三ヶ日(みっかび)は、静岡県浜松市北区の浜名湖北岸にある地区である。三ヶ日地区の人口は1万5365人(2010年国勢調査)。かつては独立した基礎自治体の「三ケ日町」(ケは大仮名)であった。三ヶ日は江戸時代は姫街道の宿場「三ヶ日宿」として広く知られ、近年は「三ヶ日みかん」の産地として名が通っている。また東名高速道路浜名湖SAがある。浜松市に編入した2005年7月から2012年3月まで、同地区を区域とするに地域自治区「三ヶ日地域自治区」が設置されていた。「三ヶ日町」という名の町はないが、域内の大字名には全て「三ヶ日町宇志」のごとく「三ヶ日町」が冠としてかぶせられ、「三ヶ日町の中にある大字の名」と解釈できるので、新聞等では三ヶ日地区を浜松市北区三ヶ日町と表記することがある。「三ヶ日」は「奥浜名湖」と呼ばれる地区にあり、旧・浜松市を中心とする浜名湖エリア(西遠)の一角をなす。現在こそ、旧・浜松市内の高校へ通う人も多く、編入合併されたこともあり、遠州地方とのつながりが強くなっているが、隣接する愛知県豊橋市(東三河地方)とも経済面・高校進学面で結び付きが強い。また、愛知県新城市からも通勤する人もいる。そのためか、地域内では豊橋ナンバーの車を頻繁に見ることができる。隣接する湖西市などと同じように、方言は遠州弁と三河弁が混在している。「三ヶ日」という地名の由来には諸説あり、三ヶ日堂から来たという説、三日池の伝説から来たという説などがある。「みっかび」は昔から「三ヶ日」と表記され(二文字目のヶに注目)、1922年の町制施行でも「三ヶ日町」となったが、1955年に隣村との合併に際して国が合併後の町名を「三ケ日町」と告示したため、行政上は「三ケ日」となった。しかし、住民・地理書は依然として「三ヶ日」を使っていた。2005年に浜松市に合併したのち、改めて「三ケ日」を「三ヶ日」と改める議案が市議会で可決され、2007年3月3日に正式に変更になって、全て「三ヶ日」で統一された。1959年-1961年に、三ヶ日人の人骨が発見された。後期更新世人類と考えられたが、放射性炭素法による年代推定の結果、9000年前より新しい縄文時代のものと確認された。北区役所の出先機関「三ヶ日協働センター」が三ヶ日町三ヶ日に置かれている。旧・三ケ日町役場の庁舎を使用している。 地域内の教育・保育施設公共交通機関は、天竜浜名湖鉄道(通称「てんはま線」)および遠州鉄道の路線バスが利用できる。また、地域内には東名高速道路の三ヶ日ICがある。三ヶ日を舞台にした作品を次に掲げる。
出典:wikipedia
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