田川市(たがわし)は、福岡県の中央部に位置する市である。筑豊地方を構成する自治体の一つ。田川地区の中心都市であり北九州都市圏に属している。筑豊を代表する都市の一つで、飯塚市、直方市と並んで筑豊三都に挙げられる。炭坑節発祥の地としても知られ、筑豊最大の炭都であった歴史を活かしたまちづくりが行われている。福岡県立大学が立地している。田川市は福岡県のほぼ中央部に位置し、北九州市中心部から南南西約30km、福岡市から東北東約50km、行橋市から西約20kmの地点にある。旧豊前国に属していたこともあって北九州市や行橋市などの京築地域との関係が深く、北九州都市圏の都市圏#直接通勤圏5%圏域に属する。北を除いて、東、西、南の三方を山々に囲まれている。東には田川のシンボルでもある香春岳、西には船尾山、南には全国的に霊峰として知られる英彦山を主峰とする山々が並ぶ。平野部には、英彦山を源流とする彦山川と中元寺川が流れ、下流の平野部と結ばれている。三方を山に囲まれた内陸部に位置するため、冬季は放射冷却で冷え込みやすく、雪が降ると積雪することもある。夏季は真夏日になる日が多く、35度以上になる日もある。明治末から、田川は三井を中心とした炭鉱の街として繁栄した。1900年、三井田川鉱業所が設立されると、仕事を求めて全国から移住者が訪れた。田川は筑豊最大の炭都として栄え、1943年、後藤寺町と伊田町が合併し、田川市が誕生。戦後、1950年代には人口が10万人を突破した。しかし、1960年代のエネルギー革命でエネルギー源が石炭から石油に転換すると、石炭産業にかげりが見え始めた。1964年、三井田川鉱業所は閉山。その後は新会社の新田川炭鉱が事業を引き継ぐ形で操業を始めたが、1969年に閉山。この影響で、市内に残っていた小規模炭鉱も閉山を強いられ、1971年に田川市内の炭鉱は全て閉山した。炭鉱の閉山後、全盛期の半分近くまで人口は減少したが、産業構造の転換に向けた取り組みが行われている。工業では、北九州工業地帯に近い地の利を活かして炭鉱跡地を工業団地として再生し、企業の誘致が進められている。1992年には、医療・福祉の人材の育成を目指し、伊田地区に福岡県立大学が設立された。近年では、田川市石炭・歴史博物館が所蔵している山本作兵衛の炭鉱記録画がユネスコ世界記憶遺産に登録され、観光客も増えている。炭鉱住宅や失業の問題も残っているが、現在も復興・自立に向けた努力が続けられている。このほか、福岡県立田川高等学校については田川郡香春町に所在している。市内には工業団地が整備され、企業誘致が進められている。近年は、伊田地区に設立された「たがわ情報センター」を中心として、田川市郡の企業・大学・各種教育機関・商業施設等におけるIT化推進への取り組みが行われている。たがわ情報センターでは、パソコン講座を受講したり、持参した自身の端末から無料でインターネットサービスを利用したりすることが出来る他、一部情報関連の資格試験も開催している。国道201号田川バイパス(ウイングロード田川)沿いの川宮地区・下伊田地区・夏吉地区に、大型ロードサイド店舗が集積している。以前、福岡県立大学周辺の下伊田地区には魚市場や青果市場が立地していた。後に両市場は閉鎖となったが、跡地にトライアルが進出。更に、付近へドライブスルー付きのファストフード店が進出するなど、近年は商業地としての色合いが強まっている。1992年にミスターマックス田川バイパス店、1998年にサンリブ田川が川宮地区に進出。これにより、モータリゼーションによる郊外化へ拍車がかかり、中心部の伊田・後藤寺などの商店街は空洞化が著しくなった。かつては大型総合スーパーの寿屋が両市街地に立地(後藤寺には寿屋田川店、伊田には寿屋AXiS伊田店が立地)していたが、どちらも閉鎖・解体へと追い込まれている。田川市は中心市街地の空洞化に歯止めをかけるために、平成26年度から「田川伊田駅周辺地区都市再生整備事業」を実施している。その事業の一環として、2021年度の完成を目途に田川東高校跡地にホテル・商業・観光機能が集まった複合施設の建設を計画している。また全てのテナントが撤退したJR田川伊田駅舎についても、民間活力を取り入れた再整備を計画している。伊田・後藤寺両商店街では、買物客にコミュニティバスの片道無料乗車券を発行するなどして、集客向上に努めている。太字の駅は中心となる駅。田川市は旧伊田町と旧後藤寺町が対等合併して発足した市であるため、それぞれの中心駅であった「伊田駅」と「後藤寺駅」のどちらが市の中心駅として「田川駅」を名乗るか論争になった経緯がある。結局は両駅を市の中心駅として扱うことにし、また市の中心をアピールするため駅名の頭に「田川」を付けることで落ち着いた。列車の運行上に於いては田川後藤寺駅がJR九州線、田川伊田駅が平成筑豊鉄道の起終点駅となることが多い。ただし、平成筑豊鉄道糸田線については田川伊田駅を通っておらず、田川後藤寺駅が終着駅となっている。西鉄バスが田川市と近隣市町村、福岡市、北九州市などを結ぶ路線バスを運行しているほか、西鉄バスの通らない市内地域のバス交通として田川市コミュニティバスが運行されている。1959年に田川後藤寺駅付近に後藤寺バスセンターが開設され、半世紀以上にわたり、田川市の西鉄バス路線の拠点として長距離バスや各方面への路線バスが数多く発着していたが、建物の老朽化が進んだことから2016年9月末を以って閉鎖された。これにより、同年10月1日以降からは発着場の変更が行われている。西鉄バスによる運行。国道201号・八木山バイパスを経由し田川市と飯塚市・福岡市などを結ぶ特急・急行・直行がある。これらは全便西鉄後藤寺を発着または経由し、飯塚市・福岡市のほかに糸田町・篠栗町・粕屋町内で乗降扱いを行う。 他には、香春町を経由して田川市と北九州市を結ぶ快速がある。市内には通っていない。最寄りとなるインターチェンジは以下の通り。
出典:wikipedia
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