ファミリア("FAMILIA")は、1963年(昭和38年)10月から2003年(平成15年)10月まで、マツダ(旧東洋工業)が製造生産していた小型自動車である。現在は日産自動車からOEM供給を受けて販売されている商用車のファミリアバンにその名前が残っている。2016年(平成28年)6月現在、新車で販売されている一連のマツダの車種としてはキャロルに次いで古いブランド(商標)となる。世代については、マツダ公式サイト『ファミリア物語』を元にする。ここではマツダ(東洋工業時代を含む)が自社開発した車種について述べる。当時、主力商品をオート三輪から軽自動車や小型トラックに移行させつつあった東洋工業(マツダ)は、キャロルとファミリアという2つの小型車の開発を開始する。しかし、小型自動車への参入は時期尚早と判断され軽自動車であるキャロルが先に発売された。ファミリアは市場調査の結果、商用車としたライトバンの開発が優先された。セダンとクーペはベルトーネ、トラックは小杉次郎がスタイリングを担当し、個性的で美しいイタリアンデザインで、商業的に成功を収めた。800(782ccエンジン)のモデルは、前方のナンバープレートを上方にめくり上げるとバンパーにクランク棒を通す穴が設けられており、これにより、バッテリー上がり時にはクランク棒による始動ができた。末期に追加された1.0Lエンジンの2ドアセダンにも、この仕組みがある。なお、1.0L 2ドアセダンは、モデル末期の廉価版という位置付けのため、当時装着が義務付けられていなかったサイドマーカーやウインドウォッシャー機構が省略されている。WRCでは次なるBG8Zファミリアにバトンタッチするまで、前期型を継続採用。日本国内においても、このWRCカーのベースモデルである3ドアGT-Xが圧倒的な人気を誇った。1989年4月発売開始。5ドアモデルのアスティナは、かつての5ドアハッチバック車が持っていた「実用車」の概念を完全に覆す「4ドア・クーペ」のコンセプトで作られ、新たに「アスティナ」のネーミングを与えられた。同型の姉妹車となるユーノス100もユーノス店向けに供給された。ボブスレーがデザインのモチーフとされている。リトラクタブルヘッドランプの採用などにより、非常にスポーティなスタイルであったが、大人4人分の空間と荷物スペースはきっちりと確保されており、この高い実用性と走りの融合がヨーロッパで人気を集めた。このアスティナは次世代でランティスへと発展する。通常グレードとは別に高級仕様として設定されたセダン。前後バンパーが北米仕様の長いものとなり、リアナンバープレートの取り付け位置がトランクリッド側にある。内装は電動スライドシートを装備するなど5ナンバーのファミリカーでありながら一つ上のクラス並の装備を備える。エンジンなどは1.5Lのセダンと同じものとなる。WRCをねらったモデルは、GT-Xとして登場した。1.8Lで180psを出すこのグレードは、旋廻性を考慮して、センターデフロックを排除し、ビスカスLSDが導入された。リアデフも純正でビスカスLSDが装備された。前後輪の駆動力配分は前43:後57。WRCで1989年および1991年のグループN部門ドライバーズ・チャンピオンシップを勝ち取った。しかし、インタークーラーが横置きで、放熱に問題があった。その後、1992年1月にWRCでのパワー不足を補うためにGT-R(210ps)を発売。インタークーラーもフロントに設置された。バブル崩壊による会社の資金難により、ワークスチームは1992年をもってWRCからは無期限撤退となり、以降の参戦はなかったが、プライベートチームにより、1993年グループNチャンピオンとなるほか、全日本ダートトライアル選手権三連覇を達成した。他には先代と同様にGT-Xベースの競技モデルとしてGT-A、そしてその後継にGT-RベースのGT-Aeがある。尚、セダンにもGT-Xは設定された。当時RX-7、カペラにてスポーツチューンの特別限定車として発売されていたアンフィニ(∞)グレードが、セダンに設定された。GT-Xと同じ1.8Lエンジンを搭載したがNA化され、アンフィニグレードの特徴であるFFスポーツとなった(4WDではない)。フロントデフはビスカスLSDが標準装備された。リアに張られた∞デカールと、フロントノーズの一部が3ドアハッチバック用のものを流用している点、グリルに∞マークがある点、専用ボディカラー(シェイドグリーンメタリック)の設定が、一般のファミリアセダンとの見分けポイントである。セダンタイプのスポーティーバージョンとして、2001年5月に100台限定として発売された限定車である。その後、同年9月に100余台が追加生産された。エンジンは当時セダンには非搭載であった、Sワゴンのスポルト20用のFS型をハイカム、ハイコンプピストン、ポート研磨、ピストンのクリアランス最適化、ステンレス製エキゾーストマニホールド、専用低排圧サイレンサでチューンして搭載。外装はスポルト20用エアロパーツを基本的にはそのまま装着し、リアバンパーは北米仕様の大型バンパーを装着していた。足回りは専用のハードダンパーと大径スタビライザーで強化され、205/45R17の大径サイズタイヤを標準装着していた。ディスクブレーキも15インチローターと強化されている。BJ5P改とされたこのセダンは、NAで175psを発生し、久々にスポーティなファミリアが登場した。ただし、マツダスピード側のエンジンチューンが不完全であり、アイドルが安定しないため、パワーよりアイドル安定性を求めるユーザー向けに専用カムシャフトへの無償交換が案内された。ボディーカラーは専用色スターリーブルーマイカという青色のメタリックであり、標準装着のホイールがゴールドであることもあいまってインプレッサによく似た外観となっていた。北米ではMazda Protegé MP3として発売されたが、国内では「マツダスピード」の方が知名度が高いため、マツダスピードのグレードネームが与えられた。北米では、このProtageに、2000ccFSエンジン+シングルターボを搭載した、マツダスピードプロテージが発売された。ここでは1994年より日産自動車からOEM供給を受けている車種について述べる。ファミリアとはスペイン語で「家族」の意味で、「家族揃ってドライブを」という想いがこめられている。ヨーロッパでは「Mazda 323」の名称で販売されている。また、北米では「Mazda GLC (グレート リトル カー)」、1990年代より「Protegé」の名称で販売されていたこともあった。
出典:wikipedia
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