『FNNモーニングコール』(エフエヌエヌモーニングコール)は、1986年4月1日から1990年3月30日までフジテレビ(FNN)で放送された朝のニュース・情報番組。前身の『FNNモーニングワイド ニュース&スポーツ』を目玉マーク登場に伴いリニューアル、改題してスタートされた。1989年4月、『トークシャワー』の開始に伴い30分番組に縮小。さらに1990年4月に『FNN朝駆け第一報!』の開始に伴い、番組は4年間の放送に幕を閉じた。この番組以前から、産経新聞が協力しており、フジテレビにおいては、提供表示の後に「協力 サンケイ(1988年から1990年までは協力 産經)」と表示されていた。FNN初の大型ニュースワイド番組『FNNモーニングワイド ニュース&スポーツ』(鹿内信隆時代末期に放送開始)の後続として、同じ時間枠で登場した。さらに、キャスターとして起用された川端は入社3年目、長野は入社2年目とフレッシュな顔ぶれ。さらにこの2人は、番組のテーマソング『気分は、はじけるピーチ』を歌い、レコード発売もされたコーナーはニュース、スポーツのほか、ネット局リレー中継も放送された。また、新宿・スタジオアルタ前からの生中継も毎日行われたほか、海外ニュースや、ファッション情報や、洋楽情報も放送。コーナーキャスターにはバイリンガルDJの西森マリーが起用された。、1987年にはリニューアルを試みる。新メインキャスターとして山川千秋を起用。川端、長野両キャスターはサブに回り、番組スタイルは一転して硬派路線に。スタジオセットは壁面に赤のFNNのロゴのみ、音楽やファッションなどの情報コーナーも廃止、さらに番組テーマ曲も「気分は、はじけるピーチ」から、インストゥルメンタルの音楽に差し替えられる等、報道番組らしいシンプルなスタイルに改められた。1987年のリニューアル時には、試験的に関東ローカルで番組開始時刻を前倒しして6時スタートとした。なお、この時期にはテレビ静岡も同番組ネット局で唯一、6時から同時ネットを開始した。1988年2月に、メインキャスターの山川が病気療養で降板(その年に逝去)。同年4月には出演者を一新。番組内容も国際色を強め、6時台の殆どが『マンハッタン・エクスプレス』コーナーとなる。後の『FNN World Uplink』でもニューヨークからキャスターを務めたクリス・フィールドとサチ・パーカーの2人が、フジテレビのニューヨーク支局からニュースを伝えた。1988年度上半期には、天気予報で水野愛美が履いている下駄を飛ばして天気を占う下駄予報や、「自転車に乗れない」エピソードなどを披露していた。1989年4月以降、中継や企画コーナーなどの要素をすべて、7:00からの新番組『トークシャワー』に譲り、ストレートニュース番組となる。1990年3月30日に番組は終了。鹿内宏明会長の肝いりで同年4月2日から、6時台を55分のワイドニュース『FNN朝駆け第一報!』、7時台を若者向け情報番組『グッドモーニングジャパン』へと分割した。同時期にスタートした情報番組この番組の事前に放送された番組
出典:wikipedia
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