デビッド・マシュー・マーフィー(David Matthew Murphy , 1981年10月18日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州ヒューストン出身のプロ野球選手(外野手)。現在はMLB・ボストン・レッドソックス傘下に所属している。のMLBドラフト50巡目でアナハイム・エンゼルスから指名を受けるも、入団には至らなかった。のMLBドラフト1巡目(全体17位)でボストン・レッドソックスから指名を受け、プロ入り。9月2日のトロント・ブルージェイズ戦でメジャーデビューを果たす。目を見張るような数字は残せなかったが、ニューヨーク・ヤンキース戦でジャレット・ライトからメジャー初本塁打を放っており、貴重な経験を積んだシーズンにはなった。の途中にエリック・ガニエとのトレードで、ケイソン・ギャバード、エンヘル・ベルトレと共にテキサス・レンジャーズへ移籍した。レンジャーズ加入後は43試合に出場し、打率.340・OPS0.916と打ちまくった。4月25日、ミネソタ・ツインズ戦においてキャリアで初めてサヨナラ安打を放った。この年は出場試合数を激増させ、108試合で打率.275・15本塁打・74打点を記録して中軸打者として活躍した。守備では、右翼と左翼をそれぞれ50試合以上守ったほか、中堅を守る機会もあったため、外野の全ポジションを守った。、打率と打点は減少したが、本塁打と盗塁で自己記録を更新した。OPSは、前年とほぼ同等の水準の数値をマークした。、この年も外野の3ポジションを移り変わりながら138試合に出場し、打率.291・12本塁打・65打点という好成績をマークしたほか、走塁面でも更なる進歩を見せ、14盗塁を決めた。守備では左翼で失策を1つ犯しただけで、守備防御点こそ±0だったものの、堅実さを発揮した。、前年から出場試合数は微減したものの、2年連続で10本塁打・10盗塁のラインをクリアした。守備では相変わらず外野の3ポジションを守ったが、左翼を守った試合(74試合)が右翼を守った試合(32試合)の倍以上であり、左翼をメインにプレーした。、自身初の規定打席到達を果たした上、打率.300・OPS0.850のラインをクリア、また本塁打も3年ぶりに15本以上となり、200本塁打・808得点を記録した強力レンジャーズ打線の中軸の1人として気を吐いた。この年は守備面でも大活躍し、左翼を守った120試合で僅かに1失策・守備率.995を記録したほか、DRSも + 7とプラスに転じた。6月4日のレッドソックス戦で、17対5とリードされた8回にブルペン投手を無駄に使いたく無かったのを理由に、ロン・ワシントン監督はマウンドに野手のマーフィーを送った。メジャーリーグ史上13度目の毎回得点試合が掛っていたレッドソックス打線に対し、マーフィーは先頭打者に二塁打を浴びるもナックルボールなどを駆使し無失点に抑え、レッドソックスの毎回得点を阻止した。レギュラーシーズンでは6年連続二桁本塁打こそ超えたものの、二桁盗塁の連続記録を3年でストップさせる1盗塁に終わり、打率.220と不振に陥った。オフの10月31日にFAとなった。2013年11月25日にクリーブランド・インディアンスと2年総額1200万ドルで契約した。は右翼にコンバートされ、レギュラー格で129試合に出場した。打率は.262と上向いたが、本塁打は二桁を割り込み、盗塁も2つだけだった。守備成績も芳しくなく、DRS - 17だった。6月17日のシカゴ・カブス戦で、2013年のレンジャーズ時代以来で自身2度目の登板をしたが、クリス・ブライアントに満塁本塁打を記録されるなど5失点を喫した。移籍まで、本職のバッティングでは好調をキープし、打率.296・5本塁打・27打点という成績を記録した。2015年7月28日、マイナー選手とのトレードで、ロサンゼルス・エンゼルスへ移籍し、翌29日のヒューストン・アストロズ戦に4番・左翼で先発出場した。エンゼルス加入後は打率がやや低下し.265だったが、移籍前と比して出場試合数が約半減の48試合ながら、移籍前と同本数の5本塁打を放ち、通算100本塁打を達成。また、二塁打を6本放って通算200二塁打も達成した。2チームトータルでは132試合でプレーし、打率.283・10本塁打・50打点・OPS0.739というまずまずの成績を残した。2月29日、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。
出典:wikipedia
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