大川駅(おおかわえき)は、神奈川県川崎市川崎区大川町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)鶴見線(大川支線)の駅である。大川支線の終着駅。旅客列車は朝晩のみの運行(7 - 20時台:20 - 60分間隔)であり、日中は8時間ほど運行がない。2009年3月14日のダイヤ改正でさらに本数が減り、平日は1日9往復、土曜・休日は3往復のみとなった。国鉄時代の昭和50年代には日中も運行があり、土曜・休日でも1時間あたり1 - 2本の運行があった。なお、列車がない時間帯でも、本線の武蔵白石駅へ徒歩約10分でアクセスできる(武蔵白石駅構内にも当駅への案内図がある)ほか、駅前にバス停のある川崎鶴見臨港バスの路線が利用できる。当駅を出た列車は武蔵白石駅構内を通過し安善駅に停車するが、かつては武蔵白石駅にも停車していた。当駅と浜川崎方面と行き来する場合、列車は安善駅で乗り継ぐことになるが、武蔵白石駅で接続するものとして運賃を計算する。この場合、安善・武蔵白石間は区間外の飛び出し乗車となるが、武蔵白石駅は大川支線の列車の通過駅扱いで「特定の分岐区間に対する区間外乗車の特例」にあたり、安善駅で途中下車しない限り運賃を払う必要はない。当駅は川崎市内にあるが、JRの特定都区市内制度における「横浜市内」の駅として扱われる。単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎およびホームは線路の西側に配置されている。ホームに面した線路以外にも側線があるが、後述のとおり貨物扱いがなくなったため使用されていない。無人駅。武蔵白石と反対側のホームの端には、出札口しかない木造の簡易な駅舎が設けられている。簡易Suica改札機が設置されている。かつては首都圏最後の旧形国電クモハ12形が、単行で武蔵白石との間を行き来していた。1996年(平成8年)3月に103系3両編成に置き換えられた際に、ホームが延長された(延長部分には鉄板が張られている)。駅構内の脇には桜の木があり、春の見ごろを迎えると一斉に満開となり、利用者の目を楽しませてくれる。JR貨物の駅は、臨時の車扱貨物の取扱駅である。2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正で、貨物列車の設定(末期は臨時専用貨物列車のみ)が廃止された。列車設定廃止まで、旅客ホーム脇の側線から分岐し駅東側の昭和電工川崎事業所へ至る専用線が存在した。液体塩素を積むタキ5450形が扇町駅から工場へ輸送されていた。末期は週に2・3回、1回につき2両程度の到着があった。入換作業は、配線の都合上「手押し」で移動させるという珍しい手法をとっていた。作業は神奈川臨海鉄道がJR貨物より受託して行っていた。貨車の入換作業を間近に見ることのできるスポットとして人気があった。また、駅西側にある日清製粉鶴見工場へ至る専用線も存在した。同工場で生産された小麦粉の発送をタキ24700形を用いて輸送していたが、専用トラック輸送に順次切り替えられ、1997年6月30日の岩沼駅への発送をもって廃止された。最盛期には、高崎駅、宇都宮駅、館林駅などの駅に隣接する工場へ、ホキ2200形を使用する穀物輸送も行われていた。2008年度の1日平均乗車人員は1,009人である。近年の推移は下記の通り。※無人駅は正確な数が把握できないとして、2009年以降非公表となった。近年の年間発着トン数は下記の通り。駅名は日本初の製紙技師としていくつもの製紙会社を興し、「製紙王」と呼ばれた大川平三郎にちなんでいる。開業当時大川が経営していた富士製紙は鶴見臨港鉄道が属する浅野財閥や、それを支援していた安田財閥に近い企業で、1933年に王子製紙(初代)に合併された。また、一時期駅名を改称したという説もあり、1935年ごろの鶴見臨港鉄道の路線図に日清駅の記載があったが、公式な記録では改称していない。
出典:wikipedia
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