三菱リコール隠し事件(みつびしリコールかくしじけん)とは、2000年(平成12年)に発覚した三菱自動車工業(三菱自工)の乗用車部門およびトラック・バス部門(通称"三菱ふそう"、現在の三菱ふそうトラック・バス)による、大規模なリコール隠し事件をいう。その後も、2004年(平成14年)にトラック・バス部門の更なるリコール隠しが発覚。乗用車部門も再調査され、国土交通省によると、2000年(平成12年)時点の調査が不十分だったことが判明した。これが決定打となって、三菱自工・三菱ふそうはユーザーの信頼を失い販売台数が激減、当時筆頭株主であったダイムラー・クライスラーから資本提携を打ち切られるなど、深刻な経営不振、廃業の危機に陥ることとなったが、その後三菱グループによる様々な救済を受け、廃業の危機を脱した。企業倫理の問題として、自動車業界とは異業種ではあるが、タイレノール殺人事件(ジョンソン・エンド・ジョンソン製品への毒物混入事件)における迅速な対応などと対比されることもある。また本事件を基にした、池井戸潤の経済小説『空飛ぶタイヤ』も出版された。2000年(平成12年)7月18日までに、当時販売台数ベースでトヨタ自動車・日産自動車・本田技研工業に次ぐ乗用車国内シェア4位の自動車メーカーであった三菱自動車工業(三菱自工)が、1977年(昭和52年)から約23年間にわたり、10車種以上(最初の届け出だけでもランサー(ランサーエボリューション含む)、ギャラン、パジェロ、パジェロイオ、デリカスペースギアなど乗用車系で6件約45万9,000台、大型・中型トラックで3件約5万5,000台)、約69万台にのぼるリコールにつながる不具合情報(クレーム)を運輸省(現・国土交通省)へ報告せず社内で隠蔽していた事実が、同年6月に運輸省自動車交通局のユーザー業務室になされた匿名の内部告発で発覚した。告発の内容は、不正の要所を衝いており、どのように調査を進めるべきか、どこに資料や情報が隠されているか、どのように隠蔽工作を見破るべきかまで指示する具体的なものであった。「品質保証部の更衣室のロッカー」という、あまりにも具体的過ぎる情報である。運輸省によると、三菱自工はユーザーからのクレーム情報を、本社の品質保証部に集約・管理していたが、クレーム情報のうち、外部に知られたくない物などに「秘匿」の意味で「Hマーク」を付けて区分し、同省の定期検査では、H区分のクレームを提示していなかった。この区分による仕分けは、1977年(昭和52年)から行われ、同社がコンピュータによるクレーム処理システムを導入した1992年(平成4年)以降は、コンピュータシステムで分類していた。その一方で、リコール制度発足から30年以上にわたって、運輸省に欠陥を届け出ずにユーザーに連絡して回収、修理する「ヤミ改修」も行われていた。リコールの案件は、「ランサーなどでエンジン関連部品のクランクシャフトのボルトに欠陥があり、エンジンが停止する」「ギャランなどで燃料タンクのキャップが壊れ燃料が漏れる」など。一連のリコール隠しにより欠陥車を放置した結果、同年6月には熊本市内で、ブレーキの欠陥によりパジェロがワゴン車に追突、ワゴン車に乗っていた2人が首に2週間の怪我をする人身事故が発生している。このリコール隠し事件の責任を取り、当時の代表取締役社長であった河添克彦が同年8月28日に引責辞任する意向を固め、9月8日の正式発表を経て11月1日付で辞任した。また、同年8月27日には警視庁交通捜査課などが道路運送車両法違反の疑いで三菱自工本社や岡崎工場(愛知県)など5ヵ所を家宅捜索した。東京地方検察庁は翌2001年4月25日、1999年の運輸省の立入検査で約10,300件の不具合情報を隠したとして、三菱自工の宇佐美隆副社長らを道路運送車両法違反(虚偽報告)容疑で書類送検した。副社長らは5月8日、東京簡易裁判所から罰金20万円、法人としての三菱自工も同40万円の略式命令を受けた。この時点で、国土交通省から全ての欠陥情報を開示するよう求められたが、1997年以前の情報を隠し、クラッチやハブの欠陥対策をとらなかった。このリコール隠しで、三菱自工は市場の信頼を失い販売台数が急減。最高経営責任者(CEO)に資本提携先のダイムラー・クライスラーからロルフ・エクロートを迎え入れ経営再建をはかるが、2002年、大型車(ザ・グレート、スーパーグレート、エアロエース、エアロクィーン、エアロスター、エアロキングなど)のタイヤ(ホイール)脱落事故が発生し、構造上の欠陥とリコール隠しの疑念が濃厚となる。2003年、三菱自工はトラック・バス部門を子会社の三菱ふそうトラック・バスとして分社化するも、2004年4月22日、三菱自工の筆頭株主であったダイムラー・クライスラーが財政支援の打ち切りを発表。三菱自工の社長に就任していたエクロートが任期を待たずして4月26日限りで辞任した。同年5月6日、大型トレーラーのタイヤ脱落事故(後述)で、三菱ふそう前会長の宇佐美や元常務ら7人が神奈川県警察に逮捕され、同月27日に横浜区検察庁・横浜地方検察庁は宇佐美ら5人と法人としての三菱自工を起訴した。さらに、6月10日には別の事故で三菱自工の河添元社長や宇佐美ら元役員6人が、神奈川県警察・山口県警察などに逮捕された。一連の不祥事により、三菱自工及び三菱ふそうは、以下の制裁措置を受けた。2006年9月には、ユーザーから寄せられた不具合情報を共有可能とする新品質情報システムの導入を発表した。これにより、不具合の原因究明における統計分析の迅速化や、販売会社での修理手順・見積もりの照会などを可能とし、品質改善の迅速化を図っている。本事件は刑事裁判となり、全てが三菱自工および三菱ふそう側の有罪で確定した。なお、2008年1月に横浜地方裁判所が有罪判決を下した際には、弁護団が「なぜ有罪になるのか理解できない。こんな判決では、製造会社の場合、人身事故が起きたら、企業のトップは必ず刑事責任を取らなくてはいけない。極めて安直だ」とコメントし、閉廷後すぐに控訴している。また、佐高信は自著で、宇佐美の責任を追及する声が部下たちから上がってきていないようである、別著では「あの三菱自動車が」という論調であったことを指摘していている。一連のリコール隠しにより、2002年に2件の死亡事故が発生した。2002年1月10日、神奈川県横浜市瀬谷区下瀬谷2丁目交差点付近の中原街道で発生した事故。綾瀬市内の運送会社が所有する重機を積載して片側2車線の走行車線(事故当時、付近にガードレールはなかった)を大型トレーラートラックのトラクター(ザ・グレート、1993年製)の左前輪(直径約1m、幅約30cm、重量はホイールを含めて140kg近く)が外れて下り坂を約50m転がり、ベビーカーを押して歩道を歩いていた大和市在住の母子3人を直撃。母親(当時29歳)が死亡し、長男(当時4歳)と次男(当時1歳)も手足に軽傷を負った。神奈川県警が車両の検分を行ったところ、事故を起こした車両はハブが破損し、タイヤやホイール、ブレーキドラムごと脱落したことが判明。三菱自工製の大型車のハブ破損事故は、1992年6月21日に東京都内で冷凍車の左前輪脱落事故が確認されて以降計57件発生し、うち51件で車輪が脱落していた(うち事故車両と同じ1993年製が7割を占めていた)。三菱自工側は一貫してユーザー側の整備不良が原因としたが、事故を起こした車両と同じ1993年に製造された三菱自工製のトラックに装着されているハブの厚みが、その前後の型や他社製よりも薄い構造であり、ボルトを強く締めすぎた場合や、カーブや旋回時に掛かる荷重により金属疲労が生じ、ハブが破断しやすいことも判明した。これを受け、三菱ふそうは2004年3月24日、製造者責任を認めて国土交通省にリコールを届け出た。さらに同年5月6日、宇佐美ら5名が道路運送車両法違反(虚偽報告)容疑で、品質保証部門の元担当部長ら2名が業務上過失致死傷容疑で逮捕され(5月27日に起訴)、法人としての三菱自工も道路運送車両法(虚偽報告)容疑で刑事告発された。なお、この事故で死亡した女性の母親が約1億6550万円の損害賠償を求めて提訴した民事訴訟では、2007年9月、会社側に550万円の支払いを命じる判決が最高裁で確定した。このとき、原告の訴訟代理人を担当した青木勝治弁護士は、損害賠償金を代理人である自分の口座に振り込ませ、遅延損害金を含めた約670万円を預かった。しかし、訴訟当初の約1億6550万円の請求額を基準に報酬額を約2110万円と算定し、「自分が預かっている約670万円と相殺する」と通知して、原告に賠償金をいっさい渡さなかった。2010年6月、横浜弁護士会は「当初550万円としていた賠償請求額を一方的に1億6550万円に増額し、これに伴う報酬の変動についても原告に説明せず、いきなり2000万円以上という高額報酬(最高裁判所で確定した賠償額は、当初の請求額である550万円)を原告に要求した」などとして、同弁護士を業務停止6か月の懲戒処分とした。2002年10月19日の深夜、山口県熊毛郡熊毛町(現・周南市)の山陽自動車道熊毛インターチェンジ付近で発生した事故。鹿児島県内の運送会社に勤めていた同県国分市在住の運転手の男性(当時39歳)が運転する、野菜を積んで大阪、名古屋方面へ向かっていた9トン冷蔵車(ザ・グレート)が料金所を減速なしで通過、インター先で合流する山口県道8号徳山光線の中央分離帯も乗り越え、道路脇に設置された歩行者用地下道の入口構造物に激突した。冷蔵車は大破して男性は死亡した。関係者や当時の記録によると、プロペラシャフトの一部が脱落した後、車体側に残されたシャフトが振り子のような異常振動を始めた。料金所へ向かう急な下り坂のS字カーブに入ったとき、振動はさらに激しくなり、シャフトに並行して設置されているブレーキ配管が破壊され、制動不能に陥った。山口県警はこの事故に関して、通常、関西方面に向かう車が熊毛ICで降りることは少ないことから、運転手が何らかの異常を感じ、点検のため高速を降りようとしたのではないかとみて、この事故に関し現場検証を行った。その結果インターの手前約3.4kmの地点に、事故を起こしたトラックから脱落したプロペラシャフトの一部が発見され、路面には脱落時にできたとみられる窪みも確認された。同県警では整備不良と車両欠陥の両面から捜査を行っていたが原因は不明のままに終わり、死亡した男性が道路交通法違反(安全運転義務違反)容疑で被疑者死亡のまま送検された。しかし後の2004年になり、山口地方検察庁は「事故は構造的な欠陥を抱えていたプロペラシャフトが破断し、それがブレーキ系統を破壊したことによって引き起こされた」と最終的に判断し、男性を改めて不起訴処分とした。2006年12月13日、横浜簡易裁判所は、過去の報告のうち9件は虚偽と認めたが、国土交通大臣による報告要求がなく国土交通省リコール対策室による要求であり犯罪成立要件を満たしていないとして、無罪判決とした。しかし、2008年7月15日、東京高等裁判所は、リコール対策室に権限が委ねられており国交相も了承しており犯罪が成立するとしてこれを破棄し、宇佐美ら3人と法人としての三菱自工に対し、それぞれ求刑通りの罰金20万円の有罪判決とした。2010年3月9日、最高裁判所第1小法廷は被告側の上告を棄却、宇佐美ら3人の有罪が確定した。法人としての三菱自工も、二審有罪判決の上告を行わず有罪が確定している。2007年12月13日、横浜地方裁判所は「欠陥の把握は可能だった。放置すれば人に危害が及ぶことも容易に予測できた」と認定し、元市場品質部長と元同部グループ長の両被告にいずれも禁固1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。2009年2月2日、東京高等裁判所は元市場品質部長と元同部グループ長の両被告にいずれも禁固1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した地裁判決を支持し、両被告の控訴を棄却した。判決では、「事故原因を強度不足と断定できなくても、その疑いがあった時点でリコールしていれば2002年の事故も防止できた」として、両被告の過失を認定した。2012年2月8日、最高裁判所は上告を棄却し有罪判決が確定した。事故原因については、過去に多数発生した破損事故にハブの摩耗の程度が激しくないものも含まれていたなどとして、「強度不足の欠陥があったと認定できる」とした。この事故をめぐり、業務上過失致死罪に問われた件については宇佐美を含む4名は控訴を取り下げ、一審横浜地裁で言い渡された禁固2年、執行猶予3年の有罪判決が確定している。国土交通省の調査の結果、法律違反はなかったとされたものの、軽自動車エンジン(3G83型)のオイル漏れの不具合については、2005年(平成17年)2月に把握していたにもかかわらず、不十分な対応のため2010年(平成22年)11月から2012年(平成24年)12月まで4回に渡り、120万台以上のリコールを行うこととなった。詳細は三菱自動車・3G83エンジンに関する問題を参照。
出典:wikipedia
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