岩波文庫(いわなみぶんこ)は、株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル。1927年(昭和2年)7月10日に、ドイツのレクラム文庫を模範とし、書物を安価に流通させ、より多くの人々が手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として創刊された日本初の文庫本のシリーズで、最初の刊行作品は『新訓万葉集』などであった。岩波文庫は、国内外の古典的価値を持つ文学作品や学術書などを幅広く収めている。1991年(平成3年)に活字を大きくしたワイド版(B6判)を創刊(2015年3月刊で休止)。概ね評価が定着した作品を収録する。該当しない書目は、岩波現代文庫(2000年(平成12年) - )に収録されている(旧版は、岩波同時代ライブラリー(1990年(平成2年) - 1998年(平成10年))。文庫巻末に掲載されている「読書子に寄す―岩波文庫発刊に際して」は、当時の教養・啓蒙主義のもと、知識を一般民衆に普及させるために刊行したという旨とともに、ドイツのレクラム文庫を模範とした事などが書かれている。起草者は三木清で、当時の社長だった岩波茂雄の名で発表された。当初は、カバーではなく、色帯をつけたパラフィン紙のみで本体を包み、色別で分野を明示していた。1960年代頃から他社の文庫はカバー導入を行ったが、岩波文庫でのカバー導入は遅く、カバー付文庫版の初登場は1982年(昭和57年)10月であった。1987年(昭和62年)7月の新刊からは全てにカバーをかけ、背表紙の帯色で分野明示となった。1990年(平成2年)からは復刊にもカバーを付けている。フランス装の雰囲気を出すために製本工程において天部(本の上部)を化粧裁ちしていない。古くからの読者には馴染みが深いが、定価は金額ではなく星印(★)で示しており、★1つ○円などと、星の数で値段を計算していた(1927年(昭和2年)の創刊当初は★1つで20銭であった)。値上げの際には、1973年(昭和48年)に★1つあたりの値段を70円に値上げするまでは、★単価の改訂で告知していた。しかし、1975年(昭和50年)の定価改定時に、☆マークを導入し、★の在庫品に関しては当時の★1つ70円という旧価格で販売し、新刊・重版時に☆マークに切り替え、☆1つ100円とした。さらに、1979年(昭和54年)からは、★マークを50円として設定しなおし、100円の☆マークと併用して50円刻みの価格設定を行った。この方式は1989年(平成元年)の消費税導入時に総額表示が行われるまで続いた。岩波文庫には原則として絶版はなく(翻訳が新しくなったときなどには古いものは絶版にすることがある)、品切れがあるのみで、1982年(昭和57年)から定期的(かつては春と秋、現在は春)に、リクエストの多い過去の刊行物の復刊を行っている。重版も毎月3〜4冊と、数十冊の一斉重版も年に1〜2度している。カバーの背表紙下側の色によって大きく5つのジャンルに分けられている。1974年(昭和49年)までは、下位分類は刊行順を基礎とするものであったが、1974年(昭和49年)から著者番号によって小さなジャンルに分けられる方式を採用した。しかし、当初は移行期ということで、帯の背には旧来の刊行順の番号を付けていた。全面的に著者番号を導入したのは1976年(昭和51年)からであり、帯にも著者別番号を記載することになった。また、本体には、1974年(昭和49年)までは通算した星の数が、番号として記載されていた(定価を改訂して星の数が増えたときは、aを追加していた)が、1974年(昭和49年)の新刊・重版からは著者番号に統一された。小さなジャンルでは著者番号が原則99人分しか確保されていないことになるが、既に満席となった赤帯500番台のフランス文学や青帯100番台の日本思想などでは、著者番号の前に「N」を付けることで著者数が拡張されている。この他、解説総目録や文学案内などの別冊がある。1989年(平成元年)2月に出版された岩波文庫版(入江曜子・春名徹訳)は、原書の全26章中、第1章から第10章・第16章と序章の一部(全分量の約半分)が省かれている。訳者あとがきでは、「原著は本文二十五章のほか、序章、終章、注を含む大冊であるが、本訳書では主観的な色彩の強い前史的部分である第一〜十章と第十六章『王政復古派の希望と夢』を省き、また序章の一部を省略した」と述べている。岩波文庫版で省略された章には、当時の中国人が共和制を望んでおらず清朝を認めていたこと、満州が清朝の故郷であること、帝位を追われた皇帝(溥儀)が日本を頼り日本が助けたこと、皇帝が満州国皇帝になるのは自然なこと、などの内容が書かれている。岩波文庫版の旧版訳書は、多数の誤訳や不適切な訳文が指摘された。以後は「在庫なし」の状況となり、入手は困難だったが、2011年(平成23年)11月に新訳書が出版された。岩波文庫版では騎士道を「任侠」と訳するなどの問題が指摘されている。中川八洋は、著書『保守主義の哲学』において、この翻訳について「悪意を感じる」と発言している。1994年(平成6年)4月23日のわだつみ会総会で、副理事長の高橋武智が理事長に就任し、第4次わだつみ会が発足する。第4次わだつみ会は1995年(平成7年)に岩波文庫から『新版「きけ わだつみのこえ」』を出版したが、遺族や関係者から、「誤りが多い」、「遺族所有の原本を確認していない」、「遺稿が歪められている」、「遺稿に無い文が付け加えられている」、「訂正を申し入れたのに増刷でも反映されなかった」といった批判を浴びることとなる。1998年(平成10年)、遺族は中村克郎・中村猛夫・西原若菜が発起人となって、第4次わだつみ会とは全く別に「わだつみ遺族の会」を結成。うち中村克郎と西原若菜が遺族代表として、わだつみ会と岩波書店に対して「勝手に原文を改変し、著作権を侵害した」として新版の出版差し止めと精神的苦痛に対する慰謝料を求める訴訟を起こす。原告が提出した原本と新版第一刷の対照データをもとに岩波書店が修正した第8刷を1999年(平成11年)11月に出版し提出した結果、翌12月、原告は「要求のほとんどが認められた」として訴えを取り下げた。科学者でもない翻訳者福田宏年の誤った解説を、何ら検証することなく掲載し、読者に重大な誤解を与えた。古典文学の注釈者や外国作品の翻訳者が異なるもの(つまり、同一の校訂者や翻訳者による改訂・改訳の領域を超えているもの)であっても、岩波文庫ではISBNコードを使い回すことがある。たとえば、佐佐木信綱 編の新訂『新訓 万葉集』上巻のISBN-10は「ISBN 4-00-300051-X」である。新日本古典文学大系を文庫版にした佐竹昭広、山田英雄、工藤力男、大谷雅夫、山崎福之『万葉集(一)』のISBN-13は「ISBN 978-4-00-300051-9」である。ISBN-10の「ISBN 4-00-300051-X」をISBN-13に変換すると「ISBN 978-4-00-300051-9」になるので、ISBNコードは同じものを使っているということになる。そこで、大学図書館の検索システムなどでは、国立情報学研究所が付与したNII書誌ID(NCID)(これは非常に粒度が細かい番号付けを行っている)を用いて、前者の新訂『新訓 万葉集』上巻にはを、前者の新訂『新訓 万葉集』上巻〈特装版〉にはを、後者の『万葉集(一)』にはを、(新訂ではない)改訂再版『新訓 萬葉集』にはを割り当てるなどして区別している。ISBNコードはその書物のユニーク性を維持する目的で定められているものなので、このようにISBNコードを使い回すような運用は本来、行ってはならないルールになっている。インターネット上の古書市場において、商品の識別にISBNコードに由来する値を用いているシステムを運用していると、それまでの旧版と、全く訳注者が異なる新版とが、同一の番号にひも付けされ、両者を区別して登録することができなくなる。出品者・購入希望者共に留意が必要である。公共図書館の蔵書検索システムや店頭書店の在庫管理システムでISBNコードのみを用いた場合も同様の結果となるので、著者名・校注者名・翻訳者名などもあわせて確認する必要がある。なお、『万葉集』に関しては、第2巻には〈ISBN 978-4-00-300055-7〉という、いままでの刊本にはなかった番号があたえられ、第3巻以降と『原本 万葉集』は新しい番号となっている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。