ロンキ・デイ・レジョナーリ()は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ゴリツィア県にある、人口約1万2000人の基礎自治体(コムーネ)。港湾都市モンファルコーネの都市圏に含まれる都市で、トリエステ=ロンキ・デイ・レジョナーリ空港(フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア空港)の所在地である。イタリア語以外の言語では以下の名を持つ。ゴリツィア県南部のビシアカリアと呼ばれる地域に属しており、ビシアカリアの中心都市であるモンファルコーネの北西に隣接する。県都ゴリツィアから南西へ約17km、州都トリエステから北西へ約30km、ウーディネからは南東へ約33kmの距離にある。コムーネ西部にはトリエステ=ロンキ・デイ・レジョナーリ空港(フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア空港)があり、州の空の玄関口となっている。隣接するコムーネは以下の通り。モンファルコーネからは市街地が連担している。ロンキ・デイ・レジョナーリは単体でもゴリツィア県第3位の人口を持つコムーネであり、モンファルコーネ都市圏の人口は県都ゴリツィアを上回る。この地の人々の生活はローマ時代以前に遡る。ローマ時代にはいくつかの村落が築かれ、空港周辺では古代のネクロポリスが発掘されている。この町はゴリツィア伯領から、967年にアクイレイアの総大司教領となった。町が Ronches の名ではじめて文書に現れるのは1229年のことである。15世紀以降ヴェネツィア共和国領になり、その後ハプスブルク君主国の領土となった。1850年には行政官(ポデスタ、Podestà)が派遣されるようになり、1912年には村の格を得た。第一次世界大戦後、イタリア王国領となった。1919年、国家主義的詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオは義勇兵「レジョナーリ」(「軍団」の意)を組織し、「ロンキ・ディ・モンファルコーネ」(Ronchi di Monfalcone)と呼ばれていたこの町から出発してリエカ(フィウメ)を占領した(カルナーロ=イタリア執政府参照)。コムーネの名は、これを記念して1925年に改名された。国立統計研究所(ISTAT)は居住地区()別の人口として以下を掲げている。統計は2001年時点。コムーネ西部に所在する商業空港。「トリエステ空港」「フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア空港」などとも呼ばれる。コムーネにはおおむね東西に国道 SS14 が走っており、東南に進めばモンファルコーネ、西に進めば空港の南側を経てベリアノやビゾリス(いずれもサン・カンツィアン・ディゾンツォ北部)に入る。また、モンファルコーネで SS14 から北に分かれた SS305 がコムーネを縦貫しており、北にレディプーリアの集落(フォリアーノ・レディプーリア)とを結んでいる。
出典:wikipedia
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