1960年の読売ジャイアンツのユニフォームは1960年に読売ジャイアンツが親会社読売新聞が資本参加している日本テレビ放送網でカラーテレビ試験局が中継放送を実施したのに合わせ、カラーテレビ用として新調した夏用のユニフォームのことを指す。しかし、解説者陣からの評判が芳しくなく、1960年9月10日のカラー本放送開始時の普及率アップに貢献できなかったことから実質3ヶ月で封印されたユニフォームである。帽子は黒でツバとYGマークが赤色。アンダーシャツは黒。ストッキングは黒で上部分に赤い線の上下に白い線。襟・袖・ズボンのラインは黒一本。GIANTS(ホーム用は胸・ビジター用は左袖)・TOKYO(ホーム用は左袖・ビジター用は胸)のロゴ、胸・背番号は赤で白と黒の縁取り。ユニフォームの地色はビジター用はグレーだがホーム用はテレビ中継時にハレーションが起きるとの理由から白ではなくベージュ色が採用されていた。スパイクシューズは黒のラインなし。1960年9月10日にNHK東京放送局・NHK大阪放送局・日本テレビ・東京放送・朝日放送・読売テレビの6局が日本で初のカラー本放送を開始されたが、とりわけカラー放送に熱心だったのが日本テレビだった。日本テレビに資本参加していた親会社・読売新聞の要請を受けた巨人は、ユニフォームをカラーテレビ放送用にテストすることを考え付き、1960年6月11日から夏用としてカラーテレビ用のユニフォームを新調。当時としては派手な赤色を使用したユニフォームであったが、プロ野球解説者陣には評判が悪く「カラーテレビのためにプロ野球があるのか…。」などの声が出たという。そしてカラー本放送が開始されるが、本放送開始時における東京23区のカラーテレビ普及率はわずか1%と貢献するに至らなかった。カラーテレビ用ユニフォームは本放送開始直前にお役御免となっているが、同年オフに川上哲治が監督に就任。翌年からは最もポピュラーなV9時代のユニフォームにフルモデルチェンジされたため、わずか3ヶ月で封印された。ちなみに、日本でカラーテレビが普及するきっかけとなったのは1964年の東京オリンピックで、カラーテレビが定着するようになったのは1970年代半ばのことである。この年の巨人は1953年から使用されているユニフォームに胸番号を付け加えているが1953年~1960年までの通称・第2期黄金時代ユニフォームのデザインは以下の通りである。
出典:wikipedia
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