ドラえもん映画作品(ドラえもんえいがさくひん)では、藤子・F・不二雄の漫画『ドラえもん』のアニメ映画作品を扱う。1980年より3月限定に子どもの春休みの時期に合わせ公開されている(声優交代の行われた2005年を除く)。1980年公開の『ドラえもん のび太の恐竜』から1997年公開の『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』までは、藤子・F・不二雄によって描かれた「大長編ドラえもん」の第1作『のび太の恐竜』から第17作『のび太のねじ巻き都市冒険記』を原作としている。ただし、1988年公開の『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』は、作者が入院中であったため「大長編ドラえもん」は執筆されていない。作者逝去により、1998年公開の『ドラえもん のび太の南海大冒険』以降の作品については、藤子プロのスタッフが、映画を原作とした漫画を執筆している。なお、作者が在命時は「今年はこんな冒険をするんだよ」と家族に話すのが恒例だったとのこと。キャラクターデザインや美術設定は各作品ごとに設定が起こされ(リメイクを除き)、同時上映の短編でドラミやザ・ドラえもんズが主人公になったり、藤子の他のキャラクターと共演することもある。例年数百万人の観客動員と数十億円台の配給収入を維持しており、日本映画が低調であった時代でも上位を占める大ヒットシリーズとなっている。2013年公開の『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』で邦画史上初となるシリーズ累計動員1億人を突破している。2005年3月18日(25日)に26年にわたって連続登板し続けたレギュラー声優陣が交代した(アニメ参照)。1980年から2004年まで毎年3月に大長編ドラえもんの映画作品が上映されていたが、交代劇によって該当年の映画は製作されず、ドラえもん映画史において唯一の空白期となる。大山のぶ代ら声優陣での映画作品は2004年公開の第25作『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』で最後となり、2006年公開の第26作『ドラえもん のび太の恐竜2006』からは水田わさびら声優陣によるものとなった。これにより、2005年を境に大山のぶ代ドラえもんによる第1陣声優の映画(のび太の恐竜~ワンニャン時空伝)シリーズを第1期、水田わさびドラえもんによる第2陣声優の映画(のび太の恐竜2006~以降継続中)シリーズを第2期として区分けされる。DVD販売等の媒体では、タイトルを青(第1陣)と赤(第2陣)で区別表記している。旧作では同時上映作品が1~2本放映されていたが、交代後は同時上映作品は現在のところ放映されていない。声優交代が行われて以降は、基本的に第2陣声優陣による新作と第1陣声優作のリメイク作品が交互に公開されているが、2006年と2007年はリメイク作品が、2012年と2013年は新作が連続して公開された。また、これらの映画作品には必ず「小動物」のキャラクターが登場するようになり、それらは通常の味方であれば、ピッポのように当初はドラえもんらと対立する敵であったりもする。また設定やストーリーなど第1陣声優作に比べて原作寄りにはなっているが、前述のように新キャラを登場させたりストーリーを別の方向へ変えたりして親世代も二度楽しめるような工夫を凝らしている。第2陣声優陣によるオリジナルは第1陣声優作に比べ、のび太の扱いが原作やTVシリーズのように悪く活躍も少ないがゲストキャラと親しくなり、絆を深め、終盤で重要な役割を果たすことが多い。タイムパトロールが登場する作品では第1陣声優作・原作ではドラえもん達は彼らにほぼ頼りがちになっているが、第2陣声優作では彼らの力を借りずに自分達で困難や強敵に立ち向かっている。テレビ放送では第2陣声優の映画以降、オープニング・エンディングをカットして放送されている(後述)。東宝による配給で、「宇宙小戦争」以降はTOHOシネマズ日劇(日劇東宝→日劇2)をチェーンマスターとする東宝邦画系劇場で毎年春休みシーズン前の3月(概ね1-3週目)に公開されている。チェーン系劇場では4月中旬の金曜日に終映となり、翌土曜日から同じ制作会社・配給系列の「劇場版クレヨンしんちゃん」へ入れ替えとなるパターンが多い。一部の劇場(主にシネマコンプレックス及び地方部の単館系劇場・巡回上映)では終映日を延長したり、上映開始日を遅らせる関係で5月以降も上映している場合もある。また、聴覚障碍者向けに日本語字幕付版の上映も劇場と時間を指定のうえ行われており、DVDソフト版での日本語字幕の収録においても活用されている。前記の通り第1陣・第2陣声優により2005年以前を1期群、以降を2期群と区別し、「期数-期内で何作目か」の形で示し、『その他』の項目で登場する派生作品もこれに順ずる。それぞれの期の詳細に付いては、テレビアニメ記事(1期・2期)を参照。コロコロコミック本誌で連載する物とは別に、映画用原作として執筆された『大長編ドラえもん』を元とした物(リメイクを除く)。『大長編ドラえもん』を原作とせず、他のメインタイトル作品と併映された映画作品。1996年公開『のび太と銀河超特急』までの主題歌は、1984年公開の『のび太の魔界大冒険』を除いて武田鉄矢が作詞。絵コンテを読んで作詞し、その詞に合う曲を作れる人に曲を依頼するという流れで制作された。歌い手は初期の2-4作は岩渕まことだったが、90年代以降はほとんどの楽曲を武田鉄矢あるいは1994年に復活した海援隊が担当した。武田本人が一番気に入っていると認め、藤子・F・不二雄も気に入っていた曲は『少年期』(後表参照)。藤子・F・不二雄の死去後、武田は「藤子先生が亡くなった今、僕はドラえもんの映画の作詞を引退します」と宣言し、勇退。以降は毎回違った作詞家・作曲家が担当している。ただし、2010年公開『のび太の人魚大海戦』では映画30周年を記念して、再び武田が挿入歌の作詞・歌を担当した。映画シリーズの主題歌を請け負ったことのある団体や個人としては、ウィーン少年合唱団・矢沢永吉・SPEED・スキマスイッチ・青山テルマ・福山雅治などが知られている。また、小泉今日子・西田敏行・島崎和歌子・吉川ひなの・柴咲コウといった公開当時にアイドルや俳優として活躍していた芸能人も担当している。なお『のび太とふしぎ風使い』、『のび太のワンニャン時空伝』では公開当時のテレビ版のエンディングを使用していた。なお、『のび太の魔界大冒険』の主題歌である小泉今日子の「風のマジカル」は他作品とは扱いが異なる映画公開時のみの使用・タイアップ契約であり、原盤権を保有している音楽出版のバーニングパブリッシャーズおよび歌唱者のマネージメント元であるバーニングプロダクションと2次使用についての契約が何らかの理由で締結されなかったため、発売されている同作品のすべてのビデオソフト(1980年代に発売されたVHS版より)およびテレビ放送では前々作主題歌(「だからみんなで」)に差し換えられている。なお、同曲のCDへの収録は2010年発売のコンピレーションアルバム(後述)まで全く行われなかった。多くの作品で、エンディングのほかに物語中盤の挿入歌として使用されている。第25作目『のび太のワンニャン時空伝』までは、シリーズ主題歌としてテレビ主題歌がオープニングに流れるのが通例だった。第1作『のび太の恐竜』、第2作『のび太の宇宙開拓史』では、『ぼくドラえもん』が使われた。両作では今で言う所謂アバンパートはなく、配給会社社紋(東宝)の直後からオープニングテーマがスタートした。第3作『のび太の大魔境』からオープニングが『ドラえもんのうた』(大杉久美子版)となり、アバンパートが入るようになる。『のび太と鉄人兵団』からはのび太が「ドラえも〜ん」と叫ぶシーンまでをアバンパートとして入れる構成になった。第10作『のび太の日本誕生』から山野さと子版に変更されたが、藤子・F・不二雄の存命中の作品では大杉版時代と同様、のび太の泣き言までをアバンパートとする構成が貫かれた。藤子の逝去後の作品では、アバンパートからOPに入る際の泣き言がのび太の代わりにスネ夫・ジャイアンによるものだったり、逆にドラえもんが「のび太く〜ん」と泣き言をあげる場合もあった。第19作『のび太の南海大冒険』ではエンディングと統一感を出す形で吉川ひなの版が使われた。また、第21作『のび太の太陽王伝説』ではウィーン少年合唱団版が使用された。しかし、完全に交代することはなく、テレビシリーズと共通感を出すためこの2作を除いた形で第25作まで山野版が使用された。当初はテレビシリーズでの歌手交代後に歌手を交代する予定だったが1989年からの浸透もあり好評だったため、山野と契約が結ばれた。『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』以降の作品ではオープニング前にアバンパートが挿入されている。また『ドラえもん のび太と鉄人兵団』以降の作品では、オープニングテーマの『ドラえもんのうた』前のプロローグで、最後にのび太が「ドラえも〜ん」と叫ぶのが定番になっている(『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』だけは例外的に、のび太の叫び声の後にドラえもんが「のび太く〜ん」と叫ぶ。なお、『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』ではのび太ではなく、ジャイアンとスネ夫が担当)。これは、プロローグにドラえもんたちが一切登場しない場合でも行われる(『ドラえもん のび太の日本誕生』と『ドラえもん のび太と雲の王国』。なお『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』ではのび太の父のみの登場)。リニューアル後の作品では、『ドラえもん のび太の恐竜2006』、『ドラえもん のび太と緑の巨人伝』、『ドラえもん 新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜』、『ドラえもん のび太の宇宙英雄記』を除き、オープニング前にのび太が「ドラえも〜ん」と叫ぶシーンが挿入されている。なお『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』では、のび太ではなく、ドラえもんが担当し、「のび太く〜ん」と叫ぶ。リニューアル後の第1作目である『のび太の恐竜2006』から始まった。これまでのところ、ドラえもんが「みんな、面白かった?来年もまた見てね!」と翌年も新作の映画が公開されることを告知するために利用されてきた。なお『新魔界大冒険』以降からは翌年の映画に登場する物やキャラクターが登場し、次の映画の内容を一部明らかにするようなスタイルが取られている。1985年に新宿東宝ビレッジで開催されたのを皮切りに、以降、毎年新作公開日前後に、新宿コマ劇場や池袋HUMAXシネマズなど東京都内の映画館で、『大人だけのドラえもんオールナイト』というイベントが2004年まで20年間行われていた。このイベントは名目上「大人だけ」となっているわけではなく、本当に18歳未満の者・高校生以下は参加できない。これは、東京都の条例によって、23時以降に終了する映画上映会に18歳未満の者の入場が禁止されているためである。このイベントでは23時前後から翌日の早朝までその年の新作映画を含む過去の映画数本が上映されるほか、監督や声優たちの舞台挨拶やトークなども行われた。なお「チケットぴあ」のみで発売される入場券は、発売からわずか数分で完売するほどであった。その後、2005年に声優交代を含めた完全リニューアルのため新作映画の公開が中止となり、「大人だけのドラえもんオールナイト」は一応の終了としていた。しかし、2010年3月5日にTOHOシネマズ六本木ヒルズにて6年ぶりに開催されたのを皮切りに以後再び毎年行われ好評だったものの、2014年を最後に開催されていない。従来と同じような監督や声優たちの舞台挨拶やトークなどのほか、旧メインレギュラー声優陣の5人うち、大山のぶ代を除いた毎年2名が事前公表なしでサプライズゲストとして登場するのが恒例となっていた(大山は会場への手紙のみで参加した年もある)。そのため、めったに見れない旧声優と現声優の共演トークが見られる貴重な機会でもあった。しかし、2015年は後述の「ドラえもん映画祭」が開催されたため実質上の発展的終了となり10年ぶりに開催は見送られ、翌年2016年についても行われていない。ドラえもん映画祭は、2010年の2月上旬から3月上旬にかけて、東京都千代田区神田神保町にある神保町シアターにて開催された映画『ドラえもん』30周年記念イベントである。過去に公開された『ドラえもん』映画作品を劇場のスクリーンで上映するという趣旨のイベントであり、上映にあたっては当時のフィルムのうち保存状態が良好なものをそのまま使用したため、当時の劇場公開時にしか観られない映像(上映終了後のCMなど)も観賞することができた。イベントの前売券は劇場窓口で即完売し、追加上映も決定するほどの反響を呼んだ。2010年が想定以上の人気と反響があったことから、同じく節目の年である2015年にも同・神保町シアターで行われた。価格は2014年に増税が行われたため、200円値上げされた。前述のとおりテレビ(ドラえもんのアニメ)で放送されていることがある。各タイトル放送は『ひみつ道具博物館』以降、新作の公開前日に放送されるようになった。第2陣声優の映画以降、オープニング・エンディングがカットされて放送されている。ただし、必ずカットされるとされるオープニング・エンディング以外、必ずしもノーカットというわけではなく、オープニング・エンディング以外にも一部のシーンがカットされている。以下にその内容を示す。ここではタイトル名はフルネームではなく、「ドラえもん のび太の(と)」を省略したもので表記する。
出典:wikipedia
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