『サウンド・オブ・ミュージック』(英語:"The Sound of Music" )は、リチャード・ロジャース作曲、オスカー・ハマースタイン2世作詞、ハワード・リンゼイ、ラッセル・クラウス脚本による1959年のミュージカル作品である。オーストリア出身のマリア・フォン・トラップによる自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』("The Story of the Trapp Family Singers")を基にしている。「エーデルワイス」や「私のお気に入り」、「すべての山に登れ」、「ドレミの歌」、表題曲「サウンド・オブ・ミュージック」といったミュージカルの多くの曲がスタンダードとなっている。メアリー・マーティンとセオドア・ビケル主演のオリジナルブロードウェイ公演は1959年11月16日に開幕した。以後、数多くの上演やリバイバル公演が行われている。1965年にジュリー・アンドリュースとクリストファー・プラマーでミュージカル映画化され、アカデミー賞5部門を受賞した。『サウンド・オブ・ミュージック』はロジャース&ハマースタインによって書かれた最後のミュージカルであった。ハマースタインはブロードウェイプレミアの9か月後にがんのため死去した。ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』は、『トラップ・ファミリー合唱団物語』の前編に基づく。1959年11月16日のブロードウェイで初演、日本でも何度か上演されている。トラップ男爵の人物像など基本的なストーリー以外の部分が大きく変更され、実在のトラップ一家は大きなショックを受けていたという。初演当時は「古臭いオペレッタ」などと酷評する批評家も多かったが、観客には歓迎されてヒット作となり、さらには後に制作された映画の世界的なヒットで評価は決定的なものとなった。実話ではあるものの、「ドイツによるオーストリア併合(アンシュルス)に抵抗するオーストリア人」という主題は、ヒトラー自身がオーストリア人であることをはじめ、当時大部分のオーストリア人がアンシュルスに積極的に加担していた史実に対する国民感情を逆撫ですることもあり、ドイツとオーストリアでの人気が高い上演『マイ・フェア・レディ』とは違って、ザルツブルグの観光客向け劇場以外では同地での上演は稀であったが、2005年にウィーン・フォルクスオーパーでドイツ語版が初めて上演され、その後も何度か再演されている。公演中の1960年、作詞家のオスカー・ハマースタイン2世が病で逝去し、ブロードウェイに一時代を築いた作詞・作曲家コンビ、ロジャース&ハマースタインの最後の作品となった。1954年に出た小田部胤明訳は原題"The Story of the Trapp Family Singers"の訳に近い『国超えて歌う一家―トラップ家族合唱団の物語』であったが、ドイツ映画『菩提樹』が上映されると中込純次訳が『菩提樹』の題で出版され、アメリカ映画『サウンド・オブ・ミュージック』がヒットすると1967年に中込訳も『サウンド・オブ・ミュージック』と改題された。谷口由美子訳でも『サウンド・オブ・ミュージック』の題名が用いられており、前編を「オーストリア編」、後編を「アメリカ編」として1997年と1998年に刊行されている。1913年に生まれたトラップ男爵と最初の妻アガーテの長女、アガーテ・フォン・トラップ(Agathe von Trapp)による回想録『わたしのサウンド・オブ・ミュージック―アガーテ・フォン・トラップの回想』も出版されている。谷口由美子訳。2004年 東洋書林発行。回想と多数の写真がある。
出典:wikipedia
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