フラワーロードは、兵庫県神戸市中央区にある、加納町1丁目から神戸税関(税関前交差点まで)を結ぶ三宮の主要道路。兵庫県道30号新神戸停車場線の愛称である。六甲山山麓から、港湾地区(新港)に至る坂道で、標高が高くなるほど斜度も高くなる。北端の加納町1丁目では、北に山麓バイパス(南行出口)が、東西に北野通りが接続する(北野通りの東端は加納町1丁目にあると誤解されがちであるが、実際の東端は、さらに約150m東の生田川橋梁であり、そこで原田線と接続する)。三ノ宮駅以南の地下部分は、地下街(さんちか)と駐車場になっている。沿線には神戸市役所などがあり、毎年ここで神戸まつりのパレードが行われる。生田区と葺合区が中央区として統合される1980年(昭和55年)までは、フラワーロード以西が生田区、以東が葺合区であった。フラワーロードの全区間において、明治時代初期までは、生田川の水路であった。神戸開港に際しての条件とされた外国人居留地の整備に際し、天井川であった生田川の治水対策が急務として生田川の付け替えが行われた。旧生田川の水路は道路として整備され、さらに戦後になって歩道および中央分離帯に花を植えるようになったことや花時計が誕生したことなどから「フラワーロード」と命名された。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で、沿線のビルが数多く倒壊した。これに関して「旧生田川を埋め立てたために地盤が弱い」との評論がまれに散見されるが、これは必ずしも正しくない。旧生田川を埋め立てた部分もあるにはあるものの(加納町二丁目あたりまでが該当)、ビルの倒壊が集中した場所では旧生田川は天井川であり、埋め立てたのではなく掘り下げて平らにしたのである。ビル倒壊の直接の原因は、1950年代から1970年代にかけて、建造物の高層化のなかで模索された建築手法の主流(中層階の剛性を小さくすれば上層階への振動を減らせるとの仮説)や建設ラッシュに伴う建築資材の粗悪化によるものである。沿線のビルのうち、この当時の建造物ばかりが、中層階あるいは1階といったワンフロアのみ圧縮倒壊したのはこのためである(神戸阪急ビルについては1930年代の建造物だが、地上に完全崩落した5階映画館は戦後の増築部分であり、その時期はやはりこの時期である。また、同じく半壊したそごう神戸店に関しても、倒壊した中央部分2階以上は同時期に増築されたものであり、同じ部分の1階より下は崩壊していない)。ただし、地盤の点で言えば、旧生田川流域で上流から流れてきた砂が堆積して扇状地が形成されており、それはフラワーロード沿線に限らず、旧居留地(神戸市)のほぼ全域や生田神社の東側など広範囲に及ぶ。
出典:wikipedia
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