帝室御賞典(ていしつごしょうてん)とは天皇賞の前身で1944年まで行なわれていた競馬の競走である。優勝した競走馬の馬主に天皇から下賜された賞品が授与された。全国の公認競馬倶楽部(日本レース・倶楽部、東京競馬倶楽部、阪神競馬倶楽部、福島競馬倶楽部、札幌競馬倶楽部、函館競馬倶楽部、小倉競馬倶楽部)によって定期的に施行された。天皇下賜の賞品が授与される趣旨の競走の起源は1880年6月9日に横浜競馬場で行われた「"The Mikado's Vase"」(天皇の花瓶賞または皇帝陛下御賞典)である。この競走の賞品は、競走名の通り銀製の花瓶であった。以後さまざまな名称で不定期に天皇下賜の賞品が授与される競走が行われるようになった。賞品は陶磁器、銀製の花瓶、菓子鉢、酒器、花盛器などであった。1896年、日本レース・クラブ(後の日本レース・倶楽部)が「"The Niicapu Stakes"」(新冠景物)を施行したのを機に春と秋の年2回定期的に開催するようになった(1897年は施行されなかったため、本格的には1898年から)。1905年、同競馬倶楽部に明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」が下賜され「"The Emperor's Cup"」(皇帝陛下御賞盃)が施行された。今日で言う「帝室御賞典」の歴史はこのレースを起源としている(レース名が「帝室御賞典」になったのは1906年秋から)。以降、東京競馬会(後の東京競馬倶楽部)、阪神競馬倶楽部にも明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」が下賜され(レースの施行は年2回)、福島競馬倶楽部、札幌競馬倶楽部、函館競馬倶楽部、小倉競馬倶楽部には洋杯が下賜された(レースの施行は年1回)。なお1931年までは優勝馬の馬主に授与されたのは賞品のみであり、賞金は授与されなかった。各公認競馬倶楽部が1936年に発足した日本競馬会に統合されたのに伴い、1937年秋からは年2回開催となり春は鳴尾競馬場・秋は東京競馬場で開催されることになった。後にこの年2回開催となった1937年秋の帝室御賞典を天皇賞の第1回としている。第二次世界大戦終了後に競走名は改称され1947年春のみ平和賞、1947年秋以降は「天皇賞」として施行されている。なお1932年春の阪神競馬の帝室御賞典はラジオ放送され、これが大レースにおける日本初の競馬のラジオ中継となった(競馬のラジオ中継そのものは1931年7月3日に札幌競馬場で中継されたのが初。ただし中継そのものは当時の農林省畜産局の許可がまだ下りてなかったため、許可が下りてからの最初の中継は1932年春の阪神競馬の帝室御賞典が初めて)。※コース:芝
※イダホとアイダホは同一馬。
※日本では2000年まで馬の年齢を数え年を用いて表記しており、外国および2001年以降の日本では満年齢。そのため過去の印刷物と上の表で馬齢が1歳異なることがある。明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」が下賜される。※距離:第1~26回 1マイル、第27~45回 1 1/8マイル、第46~52回 1800m、第53回~ 2000m
※コース:芝
※日本では2000年まで馬の年齢を数え年を用いて表記しており、外国および2001年以降の日本では満年齢。そのため過去の印刷物と上の表で馬齢が1歳異なることがある。※距離:第1~19回 1マイル、第20~42回 1 1/8マイル、第43~49回 1800m、第50回~ 2000m
※コース:第1、2回 土、第3回~ 芝
※1909年春は中止。第6回は1位入線のブラツドフオードがゴール前、ウラカワの進路を妨害し失格。2位入線のウラカワが繰り上がりで優勝。そのため正確なタイムが存在しない。
※日本では2000年まで馬の年齢を数え年を用いて表記しており、外国および2001年以降の日本では満年齢。そのため過去の印刷物と上の表で馬齢が1歳異なることがある。※距離:第1、27~35回 1 1/8マイル、第2~26回 1マイル、第36回 1800m、第37回~ 2000m
※コース:土※距離:第1~6回 1 1/8マイル、第7~13回 1800m、第14回~ 2000m
※コース:芝※距離:第1~6回 1 1/8マイル、第7回 1800m、第8回~ 2000m
※コース:土※距離:第1~6回 1 1/8マイル、第7~9回 1800m、第10回~ 2000m
※コース:第1~3、11回~ 土、第4~10回 芝※距離:第1~5回 1 1/8マイル、第6~11回 1800m、第12回~ 2000m
※コース:芝※距離:両場とも3200m
※コース:両場とも芝詳細は「天皇賞」を参照。
出典:wikipedia
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