渡し船(わたしぶね)とは、港湾・河川・湖沼などで両岸を往復して客や荷物を運ぶ船及び航路のことである。渡船(とせん)とも言う。また、渡し船に乗り降りするところを渡し場(わたしば)、渡船場(とせんじょう)などという。広義の「渡し船」には、離島との航路などや、釣り客を沖の独立した防波堤や岩礁へ運ぶ渡船業、リゾート企業などが顧客専用として運用するものも含まれる。本稿では狭義の渡し船として、「比較的狭い距離の対岸同士を渡し、庶民の日常の交通手段や観光に利用され、公共性の高いもの」について述べる。大型かつ航路の長いものはフェリーを、単純な対岸往復でなく、河川や運河の流れに沿って複数の船着場を行き来する船は水上バスを参照のこと。なお、フェリーと渡し船を呼び分ける文化は日本以外にはあまり存在しないため、各国語版へのリンクはフェリーのほうを主に参照されたい。ベトナムでは、主に南部のメコンデルタ地方を中心に多くの渡船が存在する。この地方ではメコン川が多くの支流に分かれ、農業用・輸送用の水路も網の目のように張り巡らされている。このため船による輸送が活発で、橋をかけることや、そのために高い堤防を造成することが逆に交通の不効率化を招く場所が極めて多い。とはいえ、オートバイや自転車が庶民の基本的な交通手段であることも事実であるため、渡船は生活に欠かせないものとなっている。また、21世紀になってカントー橋やラックミエウ橋が掛けられるまで、交通の大動脈である国道一号線でのバスやトラックでの大規模輸送であっても、大型の渡船が利用された。このようにベトナムの渡船は基本的に車両での乗船を考慮する必要があるため、輸送量の多い場所ではデッキがそのまま波止場の地面とひとつながりになる船体形状のものが多い。また、河川の流れが極めて緩やかなため、安定性に注意を払う必要が低く、喫水の浅く底が平たい、ある意味一枚の「床」のような形状のものが見られる。陸上の交通路がきわめて貧弱で、かつ山岳が多く川の流れが急なラオスにおいては、「対岸へ渡す」船ではなく、川を斜めに渡って乗客を運ぶ渡船が主流である。このため船体は極めて細長い形状である。タイの地方ではベトナム同様のオートバイ利用者向けの渡船も見られるが、陸上交通の充実した首都バンコクにおいては、主に徒歩客、特に観光客のためのものが主流である。バンコク市内を南北に流れるチャオプラヤー川では、チャオプラヤー・エクスプレス(水上バスに分類される)のような川を上下するもののほかに、対岸同士にあるワット・アルンとワット・ポーを結ぶ渡船などが存在する。また、ミャンマーとの国境を形成するクラ地峡には海上の国境を超える渡し船が多く運行されている。これらは公営のものではなく企業とも呼べない個人経営のものばかりのため、料金交渉が必要であり、事故が起きてもほとんど保障は得られない。メコン川でのラオス国境にも同様なものがあるが、こちらは運賃が決まっており、個人ではなく企業経営のものが多い。マレーシアも陸上交通が充実しており、自動車の普及率も高いことから渡船は地方の観光地に多い。サラワク州のクチンでは、市街を南北に分けるサラワク川支流の中心部は景観維持のために橋がかかっておらず、徒歩客むけの多くの渡船が早朝から夜遅くまで行き交う。中世以前は架橋技術の未発達により、渡船に頼る比重が高かった。江戸時代の幕藩体制においても、架橋が困難な地点や、関所など軍事的理由で架橋が許されなかった地点を中心に渡船が行われた。また、地形が山がちなことや、軍事的理由から車輪の利用が発達しなかった事によって発生する水運の優位性もあり、渡船は全国各地で行われた。道路が整備され、また車両が普及するなどして陸運が発達すると、水運の至便性よりも洪水忌避が重要となり、堤防の建設などによって生活と水辺は切り離されてゆく傾向にある。また、架橋技術や隧道等土木技術の発達も水運の重要性を低下させる。これらの理由により渡船は徐々に廃止され、21世紀初頭の日本では観光用ないしは、港湾・河川等においての船舶交通量が多いため、架橋により通過する船舶の交通量を確保できない場合や遠方の離島との間など架橋が困難ないしは、架橋するだけ交通量が確保できない、橋があっても高架に過ぎて歩行者・自転車の通行が困難な事例など特別な事情がある場合に限られている。万葉集に、古河の渡し(古河市)がうたわれている。同じく渡良瀬川を渡る房川渡し(五霞町元栗橋)、旧入間川(現在の荒川)を渡る川口の渡し(川口市)、旧利根川を渡る川口の渡し(加須市)、隅田の渡し(台東区橋場・荒川区南千住)、多摩川を渡る関戸の渡し(多摩市)、丸子の渡し(川崎市)なども中世以前から知られている。江戸時代、東海道の馬入川(現在の相模川)の例でいうと、人を20人まで乗せる小船、馬を乗せる馬船、大型で荷物を運べる平田船が常備されていた。東海道が多摩川を渡る六郷大橋は度々洪水で流され、1688年(貞享5年)以後は再建を断念し、六郷の渡しが定着した。渡し舟の中には川の向かいや島に立地する旅館やゴルフ場などに、宿泊客や利用客を輸送するためのものもあるが、本項では説明を省く。木曽川及び長良川を渡る。航路は前述の葛木渡船・森下渡船と同様に、並行して流れる両河川に分かれているが、こちらの場合は同じ名称であった(但し、木曽川側には「塩田渡船」の別名がある)。愛知県営(木曽川)、岐阜県営(長良川)。無料。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。