内房線(うちぼうせん)は、千葉県千葉市中央区の蘇我駅から房総半島の西岸(東京湾側)を経由し千葉県鴨川市の安房鴨川駅へ至る東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。なお、運転系統としては外房線区間(千葉駅 - 蘇我駅間)を含めた千葉駅 - 安房鴨川駅間となっている(後述参照)。千葉市から東京湾沿いに房総半島を南下し、太平洋沿岸の鴨川に至る路線。蘇我駅で外房線から分岐し、安房鴨川駅で再び外房線に接続する。なお、千葉駅から安房鴨川駅までの距離(営業キロ)は、内房線経由より外房線勝浦経由のほうが距離が29.9km短い。千葉駅 - 君津駅間は複線区間となっており、列車の本数も比較的多く東京方面からの快速電車も乗り入れている。一方で君津駅以南は単線区間となり、列車本数は少なくなる。蘇我駅 - 君津駅間では東京から京葉線経由で特急列車が乗り入れている。なお、現在は日中に定期特急列車の運転がなくなり、朝と夕方から夜のみの運転となっている。全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」、およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれている。全線が千葉支社の管轄である。内房線の正式な起点は蘇我であり、千葉駅 - 蘇我駅間は外房線となっている。しかし、内房線の普通列車は千葉駅を発着駅とするため、JRの旅客案内やウェブサイトでの乗換案内では内房線の(事実上の)起点は千葉との案内表記が多く、千葉駅 - 蘇我駅間は内房線・外房線が共用している状態となっている。この区間は東京や千葉のベッドタウンであり、沿線は新興住宅地に囲まれている。特に蘇我駅 - 姉ケ崎駅間は住宅地の密度が高く、乗車人員が多い駅が続く。姉ケ崎駅以南も東京のベッドタウンとしての開発が続き、利用者の利便性向上のために、浜野駅・長浦駅・袖ケ浦駅には快速・通勤快速が終日停車するようになった。東京都心への通勤・通学利用が多く、ラッシュ時は千葉駅発着の普通列車のほかに、総武線に直通する快速、京葉線に直通する快速、通勤快速が設定されており、同区間から東京都心まで1本の列車でアクセスできる。特に京葉線の通勤快速は、京葉線内での通過駅が多いこともあって、所要時間を大幅に短縮している。利用者が多いために、木更津駅までは日中でも1時間に4本、君津駅までは2本の列車本数(特急は含まない)であり、日中でも総武線快速が直通運転として君津まで乗り入れている。君津駅以南は東京湾と房総丘陵の間のわずかな平地を、東京湾の沿岸に寄り添う形で走行する。沿線にはマザー牧場・鋸山などの観光スポットや、多数の海水浴場が点在する。また館山は南房総における観光拠点の一つであり、観光アクセスとしての役割が目立つ区間である。また、海岸沿いを走行するため、風の影響を受けやすく、しばしば運休する。複数ある風規制区間のうち、特に運転中止になりやすい佐貫町駅 - 上総湊駅間では、防風柵の設置が行われ、2012年3月21日に完成したが、それ以外の区間でも風規制になることも多く、線区全体での対策が求められている。この区間の沿線人口は少なく、館山市街地以外は集積した市街地がないため、乗車人員が300 - 400人程度の駅が連続する。君津駅を境界に利用者における極端な段差が生じているため、君津駅以南の普通列車は、日中は1時間に1本で、路線も単線となる。また、同区間を通過する観光利用者数も減少傾向にある。東京湾アクアラインや館山自動車道・富津館山道路・国道127号館山バイパスの開通により、東京から南房総へのアクセスは自動車の比率が劇的に高まりつつあり、これが君津駅以南の観光利用客を減少させる結果となった。平日日中の特急「さざなみ」が軒並み定期列車から臨時列車に変更されたのが代表例である(逆に高速道路網が整備されていない外房線沿線は現在も鉄道利用が主体となっている)。なお、沿線にある鹿野山山頂付近に「国土地理院鹿野山測地観測所」が存在し、「気象庁地磁気観測所」と同様に地磁気の観測を行っているため、常磐線のように交流電化ではないものの、君津駅 - 館山駅間の一部区間では、直直デッドセクション方式(通電区間を数km単位に細分化し、それぞれの通電区間に1変電所を設置。通電区間毎に絶縁する方式)を採用している。館山駅より先は進路を東に変えて、外房線と連絡する安房鴨川駅を目指す。この区間は基本的に普通列車のみが運行される。千倉駅 - 安房鴨川駅間は太平洋の沿岸に寄り添って進み、海水浴場やマリンスポット・マリンリゾートなどの海に関するレジャー施設が多くなる。この区間における利用動向は、館山駅 - 安房鴨川駅間の両都市間の相互移動と、南房総の観光の入り口の一つである千倉駅への観光利用、安房拓心高等学校の最寄である南三原駅への通学利用に留まる。普通列車を中心としたダイヤ編成で、主に千葉駅を始発・終着とする。東京方面から直通する列車は、東京駅 - 千葉駅間は総武本線を、千葉駅 - 蘇我駅間は外房線を経由する。また特急列車と一部の普通列車(快速含む)は京葉線を経由し蘇我駅から当線に合流する。京葉線の東京駅から君津駅まで特急「さざなみ」が運転されている。かつては特急「ビューさざなみ」や、朝の上りに「おはようさざなみ」、夕方下りに「ホームタウンさざなみ」が運転されていたが、2005年12月10日のダイヤ改正で「さざなみ」に統一された。また、臨時列車であるが、週末に特急「新宿さざなみ」(主に新宿駅 - 館山駅間)が運転されている。かつては千倉駅まで運転する列車もあった。2015年3月14日のダイヤ改正で、特急「さざなみ」の定期運用ではすべての列車が平日に東京駅 - 君津駅間での運転に統一され、君津駅 - 館山駅間の特急列車の運用は土曜・日曜・祝日の臨時特急「新宿さざなみ」のみとなった。普通列車は主に千葉駅 - 館山駅・千倉駅・安房鴨川駅間の列車(一部は館山駅で乗り換え)が1時間あたり1本程度運行されており、千葉駅 - 姉ヶ崎駅・木更津駅・君津駅・上総湊駅間の区間列車も設定されている。千葉駅 - 木更津駅・君津駅間は総武快速線直通列車も合わせると1時間あたり4本程度運行されている。かつては安房鴨川駅で外房線と相互直通を行う列車もあったが、現在は安房鴨川駅を越える列車はない。京葉線直通列車は君津発東京行きの普通列車(京葉線内も各駅停車)が夜に2本設定されている。千葉駅 - 千倉駅間では最大10両編成、千倉駅 - 安房鴨川駅間では最大8両編成(ホーム自体は10両編成に対応)で運転されている。総武線快速が朝の1往復のみ木更津駅発着である以外は君津駅まで乗り入れている。運転本数は一部時間帯を除き1時間あたり1本で、日中の房総方面に向かう列車は一部を除き内房線への直通列車である。1972年の設定当初は千葉駅 - 木更津駅間の停車駅は五井駅のみだったが、沿線のベッドタウン化が進むにつれて停車駅が増えていき、1990年時点の千葉駅からの停車駅は蘇我駅・八幡宿駅・五井駅・姉ケ崎駅・木更津駅となっていた(ラッシュ時のみ長浦駅にも停車)。その後も沿線自治体による快速停車の陳情や駅周辺のベッドタウン化などで徐々に停車駅が増えていき、2001年12月1日の改正でラッシュ時のみ袖ケ浦駅に停車、2004年10月16日からは長浦駅・袖ケ浦駅に終日停車し、2009年3月のダイヤ改正では浜野駅、2010年12月4日のダイヤ改正から本千葉駅にも停車するようになり、千葉駅 - 木更津駅間の通過駅は巌根駅のみとなっている。列車の編成長は15両または11両編成である。2015年3月14日のダイヤ改正(実際は月曜日の16日から)より、東京駅 - 館山駅間に総武快速線直通の特別快速が設定された。運転本数は平日のみに1日1往復である。2015年の設定時の東京駅 - 館山駅間の停車駅は、錦糸町駅・船橋駅・津田沼駅・千葉駅・蘇我駅・五井駅・木更津駅・君津駅・佐貫町駅・浜金谷駅・保田駅・岩井駅・富浦駅で、錦糸町駅 - 館山駅間の停車駅は従来の特急「新宿さざなみ」と同じである。車両の編成長は東京駅 - 木更津駅間では15両(グリーン車2両連結)、木更津駅 - 館山駅間では4両(グリーン車連結なし)編成である。京葉線の快速・通勤快速のうち朝夕の一部列車が上総湊駅まで乗り入れている。以下は2015年3月14日現在の運転本数である。快速は、平日ダイヤでは朝に上り1本、夜に下り4本運転されており、すべて君津駅発着で運転されている。土・休日ダイヤでは、朝に上り3本、夜に下り5本運転されており、朝の上りのうち1本のみ上総湊発で、残りは君津駅発着となっている。下りの上総湊行きは運転されていない。通勤快速は平日のみ運転されており、朝に上り2本、夜に下り1本運転されている。朝の上りのうち1本のみ上総湊発であるが、下りの上総湊行きは運転されていない。君津駅で夜間滞泊した車両が上総湊駅まで回送され、折り返して営業列車となる。京葉線直通の通勤快速・快速は2015年3月14日のダイヤ改正より巌根駅も停車駅となり、内房線内は各駅に停車する。このほか普通列車が夜に上り2本運転されており、夜1本目の快速と夜2本目の快速(土休日は3本目の快速)が、君津駅到着後に折り返す運用である。平日の通勤快速(土休日は快速)と夜3本目の快速(土休日の4本目)は、君津駅到着後、普通列車として千葉駅まで運行され、千葉駅から平日の通勤快速(土休日は快速)は木更津駅、夜3本目の快速(土休日の4本目)は君津駅まで運行後、終着駅で夜間滞泊する。これは、京葉車両センターに所属する京葉線の車両が千葉駅に乗り入れる唯一の運用である。現在はすべて電車で運転されている。房総半島を一周する鉄道のうち、東京湾側の鉄道として1912年(明治45年)に蘇我駅 - 姉ケ崎駅間が木更津線(きさらづせん)として開業したのが始まりである。以後小刻みに延伸を繰り返し、1919年(大正8年)に安房北条駅(現在の館山駅)まで達したところで北条線(ほうじょうせん)と改称し、その後1925年(大正14年)に安房鴨川駅に達して現在の内房線の区間が全通した。1929年(昭和4年)には、房総半島の東側で建設されていた房総線が安房鴨川駅まで延伸され、北条線を編入の上、千葉駅 - 大網駅 - 安房北条駅 - 木更津駅 - 蘇我駅間が房総線(ぼうそうせん)とされた。1933年(昭和8年)には再び蘇我駅 - 木更津駅 - 安房鴨川駅間が房総西線(ぼうそうさいせん)として分離され、1972年(昭和47年)に現在の内房線に改称された。1950年(昭和25年)の夏には太平洋戦争後初の海水浴客向けの臨時列車「潮風」を運行する。以後、夏期は各地から房総西線(内房線)へ向けて臨時列車が数多く運行された。1963年(昭和38年)と1964年(昭和39年)の夏には、列車不足を補うために当時未電化であった房総西線に電車も入線させた。電車は千葉駅でパンタグラフをたたみ、ディーゼル機関車の牽引によって館山駅まで運行された。市原市の構想として、五井駅 - 姉ケ崎駅間に島野駅(仮称)の設置が検討されている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。