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片仮名

片仮名(かたかな)とは、日本語の表記に用いられる音節文字のこと。仮名の一種で、借字を起源として成立した。日本語では主に次のような場面で用いられる。日本語以外では、アイヌ語表記にも使われる。アイヌ語仮名も参照。また、日本統治時代の台湾で台湾語の表記に使われた事もある。台湾語仮名参照。吉備真備(695 - 775年)が片仮名を作ったという説があるが、これは俗説に過ぎない。漢字の一部を使いその文字の代わりとして用いることは7世紀中頃から見られるが、片仮名の起源は9世紀初めの奈良の古宗派の学僧たちの間で漢文を和読するために、訓点として借字(万葉仮名)の一部の字画を省略し付記したものに始まると考えられている。この借字は当初、経典の行間の余白などにヲコト点とともに使われていた。それが小さく素早く記す必要から字形の省略・簡化が進んだ結果、現在見る片仮名の原型となり、ヲコト点に成り代わって盛んに訓読に利用されるようになった。片仮名はその発生の由来から、僧侶や博士家などによって漢字の音や和訓を注記するために使われることが多く、ごく初期から漢字仮名交り文に用いた例も見られる。後には歌集や物語をはじめ、一般社会の日常の筆記にも使用範囲が広がったが、平仮名で書かれたものが美的な価値をもって鑑賞されるに至ったのと比べると、記号的・符号的性格が強い。当初は字体に個人差・集団差が大きく、10世紀中頃までは異体字が多く見られ、時代を経るに従って字体の整理が進み、12世紀には現在のそれと近いものになった。平安時代中期に成立した『うつほ物語』の「国譲」の巻において「書の手本」の中に片仮名があげられており、これにより平安時代中期には、片仮名がひとつの文字体系であると認識されていたことがわかる。なお江戸時代の学者伴信友は、平安時代後期に成立したと見られる『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」に、虫愛づる姫君が男から送られた恋文に対して「仮名はまだ書き給はざりければ、かたかんなに」返事を書いたという記述があることから、当時の文字の習得が片仮名から始めて平仮名に進んでいったとしている。しかし小松英雄はこの説明について、「虫めづる姫君」に見られる記述は虚構である物語における特殊な例であり、実際には初めから仮名(平仮名)を美しく書けるように習得するのが、当時の女性にとっては一般的であったとして退けている。 明治初期のころの字体はJ・C・ヘボン著『和英語林集成』の付表などにもみられる。平仮名に比べ学問的傾向が強いので、戦前の日本ではより正式な文字とみなされ、法令全書その他の公文書で用いられ、教育面でも平仮名に先行して教えられた。現代の片仮名では明治33年(1900年)の小学校令施行規則で一音一字の原則に従い、標準とされた字体だけが普及している。ただし中田祝夫は、上の表で見られるような従来の字源についての説明を批判している。それは、従来の説ではまず現在の活字のような楷書体の漢字から片仮名の字源を想定し、各々の片仮名の字源を探ろうとするがそれは誤りであり、片仮名が生れたころの時代を含めた近代以前には、漢字は実際には行書体や草書体で記される場合がほとんどで、そんな中でいわば平仮名のように、楷書体ではない崩した字体をさらに省略するなどして出来たのが片仮名であったとしている。平成14年(2002年)、大谷大学所蔵の経典にある角筆の跡について、これが表音を企図して漢字を省略したものであり、片仮名的造字原理の先行例ではないかとする説が出された。この角筆について小林芳規は、8世紀に朝鮮半島で表音のための漢字の省略が行われており、それが日本に渡来したのではないかとする説を主張した。犬飼隆はこの小林芳規の主張について、表音を企図した漢字の省略が朝鮮半島で先行して実施されていた可能性を認めながらも、なお検証を要するとした。また平川南は経典の成立年代と訓読のための書き入れにはずれがあることが充分想定できるため、典籍の年代確定の難しさを指摘している。さらに、「根」字の脇に見られる「マリ」の如き角筆の痕跡が「ブリ」の音を表すとした上で、現代韓国語の「根(ブリ)」と一致するとの小林の主張は、新羅時代に「根」を「ブリ」と発音した可能性はないとソウル大学名誉教授の安秉禧(アン・ビョンヒ)、韓国口訣学会会長の南豊鉉(ナム・プンヒョン)らによって指摘されている。

出典:wikipedia

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