高遠城址公園(たかとおじょうしこうえん)は、長野県伊那市高遠町東高遠にある城、高遠城を中心に整備された公園である。高遠城は戦国時代、武田信玄の家臣であった山本勘助が縄張りした堅城で城主は武田氏一族が務めた。別名兜山城ともいわれる。1582年(天正10年)、城主・仁科盛信(信玄五男)の時落城するが、この時籠城していた信玄の娘・松姫(盛信の妹)と、攻城軍の総大将織田信忠(織田信長嫡男)は元婚約者同士であり、落城にまつわる悲劇として知られている。城は南アルプスの裾野にあり、春になるとこの地にしか咲かない1,500本のコヒガンザクラ(サクラの一種)が咲き乱れ、城は赤みを帯びた鮮やかな桜色に包まれる。日本さくら名所100選に選定されている。毎年4月上旬から5月上旬にかけての観桜シーズンには「高遠城址公園さくら祭り」が催され、全国から花見客が訪れる。ここでは廃藩後の城址公園について解説する。これ以前の歴史は高遠城を参照されたい。明治4年、廃藩置県によって高遠城は取り壊しとなり、城内の樹木は競売にかけられ売り払われたため、この場所は荒地となっていた。1876年(明治9年)、これを見かねた旧藩士たちは城跡に桜を植樹し、城下町にあった門を移すなどして公園として整備した。1936年(昭和11年)、高遠閣が完成。高遠閣は観光客の休憩所、案内所として使用されているが、元々は地域の集会所として作られたものであった。1960年(昭和35年)、タカトオコヒガンザクラの樹林は長野県の天然記念物に指定された。1978年(昭和53年)より花見のシーズンのみ有料となった。
出典:wikipedia
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