キリンカップサッカーは、日本で4月から6月ごろに開催されているサッカーの国際親善大会である。日本サッカー協会(JFA)が主催し、キリングループが特別協賛する(後述)。1978年に日本代表の強化を目的として創設された。創設当時は「ジャパンカップ」という大会名であり、大会は赤字続きであった。そこで、日本サッカー協会(JFA)の実務のトップだった当時の長沼健専務理事が、まだ原宿の岸記念体育会館の小さな一室にあったサッカー協会の部屋の窓から、線路を挟んで目と鼻の先にかつて本社のあったキリンビールを眺め「ああいう大きな会社に支援をお願いできないものか」と思案し、代理店なしで、人伝に同社とアポを取り、岡野俊一郎と共にキリンビールの小西秀次社長(当時)に直談判し、冠スポンサーを実現させた。今日続くキリンビールのサッカー日本代表オフィシャルスポンサーはこのとき始まる。1980年から「キリンカップサッカー」と名称が変更された。1978年から1991年までは、国外のナショナルチームやクラブチームを招待して行われる代表とクラブが混合する大会だった。1985年までは日本からは日本代表の他に、もう1チームが出場していた。当初は日本選抜が出場していたが、1980年からは前年度の天皇杯優勝チームに出場権が与えられるようになった。1988年に一度休止したが、1991年に復活し、日本代表はタイ代表、イングランドのクラブチームトッテナムなどを下して国際大会初優勝を飾った。1992年から国際サッカー連盟(FIFA)公認の国際Aマッチとなり、国外から2つのナショナルチームを招いて総当りのリーグ戦を展開している。1994年はアルゼンチン代表が出場するはずだったが、ディエゴ・マラドーナが母国での麻薬逮捕を理由に日本入国を拒否されたことから同チームが出場を辞退し、代わりにオーストラリア代表が急遽出場した。大会はヨーロッパのリーグ戦が終了する5~6月に開催されるのが通例だが、近年はワールドカップの予選やアジアカップの壮行試合という位置付けが強く、キリンカップでの勝敗よりも、ワールドカップやアジアカップでの勝敗の方が重要視されるようになった。1993年大会はワールドカップアメリカ大会・アジア1次予選の壮行試合を兼ねて3月7日と3月14日に日本の試合が行われた。2002年、2003年は国際大会のスケジュールの関係(2002年はワールドカップ日韓大会の準備などの都合)で総当たりではなく、順位は定められなかった。2011年は、史上初めて全ての試合がスコアレスドローとなったため、日本・チェコ・ペルーの3ヶ国同時優勝となった。2016年は5年ぶりに当大会が開催される。2016年の大会は4カ国によるトーナメント方式を採用する 。2010年以降、日本代表の国際試合のスケジュールの都合から開催されない年が多く出るようになった。ただし、開催されなかった年でも当大会が行われる期間に代替としてキリンチャレンジカップが行われる。キリングループの協賛企業としては、麒麟麦酒をメインにキリンビバレッジが加わるという体制が長らく続けられてきたが、2012年の幕開けとともに麒麟麦酒が「製販分離」を実施し、販売を別会社化(キリンビールマーケティング株式会社)した関係で、同年からキリンチャレンジカップともども実際の賞品目録授与はそれまでの麒麟麦酒の役員に代わりキリンビールマーケティングの役員が行うようになった。なお麒麟麦酒は引き続きメイン協賛企業として名を連ねる。近年優勝チームに対し副賞品としては、ビールの「一番搾り」、缶酎ハイ飲料の「氷結」が麒麟麦酒から、スポーツドリンク(2011年の時点では「KIRIN LOVES SPORTS」)がキリンビバレッジから、それぞれ提供されているが、イスラム圏のチームが優勝した場合は宗教戒律により原則禁酒であるため、実際には麒麟麦酒からは副賞が提供されない(キリンビバレッジからスポーツドリンクのみ贈呈。該当例は2005年のアラブ首長国連邦)。以前はキリンディスティラリー(旧・キリンシーグラム)より、シャンパンが贈呈されたことがあった。これは姉妹大会のキリンチャレンジカップの場合でも同様である。
出典:wikipedia
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