高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会(たかまどのみやはい ぜんにほんユース(アンダーエイティーン)サッカーせんしゅけんたいかい)は、1989年から2010年まで開催されていた日本サッカー第2種年代(18歳以下)の大会。全国大会は、当初はノックアウト方式で、のちにリーグ&ノックアウト方式になった。高円宮杯U-18サッカーリーグが後継大会となる。主催は日本サッカー協会、共催は朝日新聞社。大会名は、日本サッカー協会名誉総裁などを歴任した高円宮憲仁親王を記念して付けられた。高校サッカーでは、全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(高校総体)、全国高等学校サッカー選手権大会(高校選手権)と、クラブユースサッカーでは、日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会(日本クラブユース選手権)、Jリーグユース選手権大会と、それぞれ3大タイトルを形成していた。高校サッカーとクラブユースサッカーのカテゴリーを越えて対戦するのが大きな特長であった。また、試合は全て世界標準と同じ45分ハーフの90分制で行われた。こうした特長は、高円宮杯U-18サッカーリーグにも引き継がれている。また、選手の疲労を考慮して全国大会の全日程で試合の間に最低1日の休養日を入れていたのも、日本における第2種年代の他の大会では見られない特長であった。1989年にプレトーナメントが開催。1990年に公式戦として開始された。開始当初は、次の16チームに全国大会の出場権が与えられた。全国大会は、16チームによるトーナメント方式であった。発足当初から1990年代半ばまでは、次の理由から出場チームの質と量の両面でマイナーな大会となっていた。そのため高校サッカーでは、インターハイや高校選手権、さらには国民体育大会に比べて、大会の価値を低く見られることが多かった。それでも、1997年に東福岡高校が当大会を含めた高校3冠を達成した頃から当大会も注目されるようになった。1998年に大黒将志、二川孝広らを擁すガンバ大阪ユースが準優勝ながら高いパフォーマンスを見せ、クラブ勢の台頭を予感させるものとなった。翌1999年にはベスト4を全てクラブユースチームが占め、ジュビロ磐田ユースが優勝した。2003年、大会形式を大きく変更した。また、この年から東芝が特別協賛することになった。JFAプリンスリーグU-18により、高校サッカーとクラブユースの両チームが年間を通じたチーム双方が参加し、3月から8月までの長期間を各チーム10試合程度戦うリーグ戦形式の予選を勝ち上がったチームによって全国大会が争われるようになった。その結果、当大会は高校生年代における実力日本一決定戦として、重要な大会として位置づけられるようになった。2003年大会に出場する16チームは、次のように決められた。全国大会は次のように開催された。2004年、全国大会の出場チームが16から24に増加した。出場枠は次のように決定された。2004年に出場チーム数が24になったことにともない、全国大会は次のように開催された。2004年の第15回大会は、一次ラウンドからの勝ち上がりが8チームであったため、例えば2強2弱のグループが3強1弱に比べて遙かに有利になるなど、グループ組み合わせの運が占める要素が強く、日本一決定戦としては相応しくないと言う批判の声が大きかった。勝ち上がりのためにはまず1位を狙わなくてはならず、そのような厳しい条件のグループリーグ戦は国際的にはあまり見られないため、グループリーグ戦の実戦経験になりにくいという面もあった。2005年の第16回大会から、FIFA U-20ワールドカップ(当時の名称は「FIFAワールドユース選手権」)と同様の勝ち上がり方式を採用した。これによりグループリーグの組み合わせによる運・不運の要素はかなり軽減されることになった。また、1勝もしなくともグループリーグを勝ち上がれる可能性があるため、引き分けも重要となった。2011年からこの大会の後継として高円宮杯U-18サッカーリーグが発足した。当大会の全国大会に代わり、高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグが開始した。決勝戦はBS朝日で生中継、テレビ朝日で録画中継されていた。スカイ・Aでは準決勝、決勝戦を中継していた。なお、2002年まではNHK教育、2003年~2005年はテレビ朝日系列で決勝戦の生中継 が行われた。
出典:wikipedia
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