Ultimate Fighting Championship(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ、略称UFC)は、アメリカ合衆国の総合格闘技団体。アメリカのケーブルテレビのPPVで始まった企画ではあったが、それまでブラジルで行われた何でもありルールの「バーリトゥード」と呼ばれる総合格闘技を世界に本格的に紹介することになった。「金網、究極ルール」という演出で、その後、世界各国において総合格闘技の大会が開催されるようになるなどの影響を及ぼした。初期は体重無差別によるワンデートーナメントであったが、その後は階級別でのタイトルマッチによりチャンピオンを決定しており、かつて「ルール無しルール」による喧嘩大会の様相で始まったUFCは現在ではコミッションによる裁定、階級別によるマッチメイク等、確立したスタイルとして整備された。1993年から2000年まではSEG(Semaphore Entertainment Group)社、2001年以降はズッファLLCが運営に当たっている。グレイシー一族が様々な格闘技の猛者や道場破りと対戦する様子を収めたビデオ"グレーシー柔術・イン・アクション"を見て触発されたアート・デイビーが、"War of the Worlds"と名づけた8人制の格闘技トーナメントをジョン・ミリアスとホリオン・グレイシーに企画提案したのがUFC発足の発端になった。映画監督・脚本家でグレーシー柔術を習っていたミリアスはこの申し出を快諾、企画のクリイエイティブ・プロデューサーに就任する。デイビーは投資家から資金を調達してWOWプロモーションズを設立し、マルチナ・ナブラチロワ対ジミー・コナーズなどを配給した老舗ペイ・パー・ビュー配給会社のセマフォ・エンターテイメント・グループ(SEG)と1993年5月に契約を交わした。SEGはアートディレクターのジェイソン・カッソンに依頼して試合場のオクタゴンを製作、大会の名称を"アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ"と命名するなど、UFCの基礎を構築することになる。1993年11月12日、WOWプロモーションズとSEGが第一回大会のUFC 1をコロラド州デンバーのマクニコルス・スポーツ・アリーナで共同開催。アート・デイビーはマッチメイカーを担当した。1995年4月、UFC 5の大会後、アート・デイビーとホリオン・グレイシーがUFCの所有権をSEGとWOWプロモーションズに売却。デイビーは権利売却後もマッチメイカーとコミッショナーとして1999年12月まで在籍した。ホイス・グレイシーが活躍した初期大会のPPVの契約数は数十万を獲得したとも言われ成功を収めたが、それが逆に既得権益を脅かしかねないと、ボクシング業界に警戒感を抱かせることになった。同時に、親ボクシング派のアメリカ共和党上院議員ジョン・マケインなどが中心となって、アメリカ全50州の知事へUFCを追放するよう要請する手紙を送るなど、UFCは「人間による闘鶏」にすぎず暴力的で危険であるとUFC禁止を訴え、バッシングキャンペーンを展開。この結果ニューヨーク州を含む36州でノー・ホールズ・バード禁止法(ノー・ホールズ・バードは当時の総合格闘技の呼び名)が成立した。また、総合格闘技が禁止されなかった州でも、ネバダ州のように、スポーツ興行を管轄するアスレチック・コミッションが、UFCへ大会開催許可を出さない州が出始めたため、UFCは規制の緩い州を転々とするしか無くなり追い詰められていった。さらに、1997年にマケインが上院議会商業委員会委員長に就任すると管轄下のペイ・パー・ビュー業界に働きかけ、UFCのペイ・パー・ビューをケーブルテレビで配給する会社が次々に撤退したことで、アメリカではマイナーな存在である衛星放送テレビでのペイ・パー・ビュー配給を余儀なくされ、ペイ・パー・ビューの販売も低迷、SEGの経営状況は悪化していった。初期の同大会は総合格闘技のセオリーがほとんど知られていなかったため、試合はさながら街の喧嘩のような殴り合いでしかなく、右手はボクシンググローブで左手は素手という姿の選手も現れ、格闘技の経験者からは酷評されることになった。また出場していた選手の流派は数多く、さらにはアマチュアからプロの格闘家まで多岐に渡っていたが、第1回大会では、名の通った選手はパンクラスのケン・シャムロックと極真空手やリングスで活躍したジェラルド・ゴルドーのみで、ほとんどは全く無名の選手ばかりであった。当時すでに下り坂にある選手と見られていたゴルドーだったが、ほぼ全ての選手が緊張し興奮した状態で試合をしていたのとは対照的に、的確に相手の急所に突きや蹴りを入れて決勝まで勝ち進んだことで、その評価を払拭した。また、ケン・シャムロックは、2回戦でホイスにチョークスリーパーで敗れたものの、その後はUFCの顔としてホイスと好勝負を繰り返した。日本では紹介され始めた当初、UFCを「アルティメット大会」、あるいは単に「アルティメット」と呼称することが多かった。「アルティメット」という呼称は、UFCのみならず、同種の何でもありルールの大会の代名詞としても用いられた。今日では一般に本国アメリカと同じく、日本でもUFCと呼ぶのが通例である。初期のUFCは、規制のほとんどない体重無差別のワンデートーナメント形式であったが、徐々にルールが整備されていった。危険な行為が禁止されるようになり、体重別の階級制も導入され、ひとりの選手が一日に二度以上試合を行うワンデイ・トーナメントが行われることもなくなった。またUFCとは無関係のローカル大会が多く開かれるようになり底辺も広がった。さらに、競技人口の多いレスリングの選手が多く参入したこともあり、選手のレベルが向上した。結果、初期の様な喧嘩さながらの試合はなくなり、より洗練された格闘技となった。特定の格闘技のバックボーンを持たない喧嘩屋タンク・アボットをブラジルの柔術家ビクトー・ベウフォートがボクシングテクニックでKOしたUFC 13での試合は、喧嘩から格闘技へと進化したUFCの象徴的な出来事であろう。2001年にSEGはUFCをズッファに200万ドルで売却したことでUFCは大きな転機を迎えた。ズッファはラスベガスに「ステーション・カジノ」というカジノを経営するイタリア系の会社でオーナーはロレンゾ・フェティータである。前述の通りUFCはアスレチック・コミッションの力が強い州では興行が行えなかった。しかしボクシング業界と表裏一体にあるカジノを運営するズッファ社はコネクションを使い総合格闘技の公式ルールを制定させた。そのため、一時期のバッシングから起こった、ケーブルテレビでのPPVの打ち切りや、コミッションの力が弱い片田舎でしか興行を行えないといった事態を脱し、ラスベガスのホテルで興行を行えるようになったのである。2005年からアメリカのケーブル局Spike TVで新人UFCファイターを発掘、育成すると言うテーマのリアリティ番組「The Ultimate Fighter」の放送が開始され高視聴率を獲得した。また同局が放送していたプロレスWWEのRAWが放送局移動になったため、後釜として放送されることになったUFCも相乗効果で高視聴率をマークした。これが原動力となり、2006年5月27日のマット・ヒューズ対ホイス・グレイシーをメインにしたUFC 60ではPPVが60万件を記録するなど、この大会以降、PPVの売り上げが軒並み数十万件を記録する盛り上がりを見せている。2006年のPPVの売り上げはボクシングとWWEを超えたと言われている。2005年8月からは、Spike TVにおいてUltimate Fight NightというUFC本戦の二軍的大会の無料放送が開始され、Spike TV開局以来の最高視聴率をマークするなど高い人気を博した。2005年12月にズッファは、活動停止したアメリカの総合格闘技イベントWFAからリョート・マチダ、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン、ヒース・ヒーリングら主力選手の契約を取得する事実上の買収を行った。さらに2006年12月にアメリカの総合格闘技団体World Extreme Cagefighting (WEC) を買収。WFAとは異なり、WECはUFCとは独立運営される形で存続し、バンタム級とフェザー級を中心とした軽量級の大会にシフトしていくことになった。2007年3月27日、ズッファ社のオーナーであるロレンゾ・フェティータが日本の総合格闘技イベント『PRIDE』を買収し、運営会社として新会社「PRIDE FC WORLDWIDE」を設立することを発表した2007年10月4日、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所が解散し、旧DSEの日本人運営スタッフは全員解雇された。10日のズッファの声明では、日本でPRIDEをイベントとして開催することが不可能になったとし、その一方でPRIDEのブランドは引き続き保持していくとしている。2010年10月28日、ズッファ傘下にあったWECをUFCに統合することが正式に発表され、2011年1月1日のUFC 125以降、フェザー級・バンタム級を加えた7階級体制での運営となることが発表された。WEC世界フェザー級王者ジョゼ・アルドと同バンタム級王者ドミニク・クルーズが初代UFC王者に認定された。2011年3月13日、全米第二のプロモーションであったStrikeforceがズッファにより買収され、以前のWEC同様別ブランドとして活動していくことが発表された。12月にはStrikeforceヘビー級を廃止しUFCに統合した。2011年8月18日、4大ネットワークのひとつFOXとの複数年の放送契約が合意したと発表した。2011年10月、ブラジル最大のテレビ局ヘジ・グローボと放送契約を結んだと発表した。2012年3月、フライ級を新設。8階級体制での運営となった。2012年12月6日、Strikeforce女子バンタム級廃止に伴い女子バンタム級を新設。Strikeforce女子バンタム級王者ロンダ・ラウジーが初代UFC王者に認定されUFC女子選手第1号となった。2013年1月12日のを最後にStrikeforceとSHOWTIMEの契約が終了したためUFCに統合。Strikeforce所属選手21人と契約を結んだ。2013年2月5日、UFC公式ランキングを開始した。2013年12月、UFCファイトパスを開始した。2013年12月、女子ストロー級を新設。Invicta FCストロー級王者カーラ・エスパルザを含むInvicta FCストロー級の選手すべてと契約し、男女9階級体制での運営となった。2014年12月2日、リーボックとの6年間のスポンサー契約を発表した。2014年12月16日、独占禁止法違反で元選手数名から起訴を起こされた。2015年6月3日、全米アンチドーピング機構(USADA)と契約して、抜き打ち検査が実施されるようになり薬物検査が強化された。2016年7月11日、4大エージェンシーのひとつ「WME-IMG」が40億ドル(約4200億円)で買収した。UFCではいずれの試合も5分3ラウンド(延長なし)で行われるが、タイトルマッチ(暫定王座戦を含む)は5分5ラウンドで行われる。2011年11月5日に開催されたUFC 138より、メインイベント(ノンタイトルマッチを含む)は5分5ラウンドで行われる事となった。ラウンド間のインターバルは1分間であり、ラウンド終了時にはゴングではなくブザーが鳴る。なお、ノンタイトル戦は原則として行われず、王者の試合は必ずタイトルマッチとなる。試合は1名のレフェリーと3名のジャッジによって裁かれ、勝敗の裁定はノックアウト(KO)、テクニカルノックアウト(TKO)、サブミッション(タップアウト、口頭によるギブアップ、打撃等による戦意喪失)、テクニカルサブミッション(見込み一本)などによる。また、判定はラウンドごとに3人のジャッジがそれぞれ一方に10ポイント、他方に9ポイント以下を付け、各ラウンドのポイントの合計で勝敗を決するラウンドマスト制を採用している。そのため、必ず勝敗がつくマストシステムではなく、ジャッジの合計ポイント次第ではドロー裁定もありうる。なお、判定の呼称にはユナニマス(Unanimous、3-0)、スプリット(Split、2-1)、マジョリティ(Majority、2-0)、ドロー(Draw、1-1, 1-0, 0-0)がある。UFCの試合はオクタゴンと呼ばれるケージ(金網)で囲われた8角形の舞台で行われる。ケージの直径は8mで、、面積は約42畳である。このオクタゴンは映画監督のジョン・ミリアスが考案したものである。ミリアスは初期UFCのプロデューサーであるホリオン・グレイシーの友人であった。選手はスパッツ(トランクス)と、規定に基づく4 - 6オンスのオープンフィンガーグローブ以外いかなるものも身に着けてはならない。道着やシューズ、ロングタイツの着用は禁止されている。ルールの変遷UFCはネバダ州アスレチック・コミッションの定める階級制に則り、ヘビー級からストロー級の9階級体制で行われている。そのため、通常はこれらの階級に沿った試合が組まれるが、稀にキャッチウェイトバウト(契約体重試合)として、上記以外の契約体重を設定して試合を行うこともある。公式には上記の階級以外にもスーパーヘビー級(265lbs-)が設置されているが、UFC 28においてジョシュ・バーネット対ガン・マッギーの1試合が行われたのみ。2013年2月5日、UFC公式サイトでランキングを公開した。米国の格闘技記者達が、階級ごとに王者以外の選手に1位から15位をつける形式で投票し、パウンド・フォー・パウンドのランキングは王者も投票対象となる。サイトでは記者達の投票を総合したランキングのほか、記者毎のランキングを参照することも可能となっている。UFCではイベント毎にファイト・オブ・ザ・ナイト、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトの各賞が設けられており、受賞した選手にはファイトマネーとは別に、5万ドルのボーナスが支給される。ファイト・オブ・ザ・ナイトには当該イベント中の1試合(該当する試合の勝者・敗者の2名)、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトは当該イベントでベストなパフォーマンスを見せた選手が選ばれるが、受賞に関しては明確な基準はなく、主催者側の判断に委ねられている。また、ファイト・オブ・ザ・ナイトとパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを同時に受賞することも可能で、その場合は合計10万ドルが該当選手に支給される。体重超過した選手は対象外となる。なお、UFC 169以前の大会までは現行のパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトの代わりに、ノックアウト・オブ・ザ・ナイト、サブミッション・オブ・ザ・ナイトの各賞が設けられていた。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトは当該イベントでKO(TKO)勝利した選手のうち1名、サブミッション・オブ・ザ・ナイトはサブミッションによる一本勝利した選手のうち1名が選出されていた。UFC Hall Of Fame(ユーエフシー・ホール・オブ・フェイム)は、2003年11月21日、10周年大会のUFC 45から始まったUFCの功労者を称える制度であり、殿堂入りを果たした選手はオクタゴン型の透明の盾を授与される。最初に殿堂入りを果たしたのは、ホイス・グレイシーとケン・シャムロックだった。3人目は2005年4月16日のUFC 52でダン・スバーンが表彰された。4人目にはヘビー級・ライトヘビー級の2階級で王者になったランディ・クートゥアが、5人目には初代世界ヘビー級王者マーク・コールマンが選ばれた。不定期・不規則に運営されていた殿堂制度をグレードアップし、今後、次の4つの部門にわけて、選考・表彰されることになった。対象者はプロMMAデビューが2000年11月17日以降である者対象者はプロMMAデビューが2000年11月17日以前である者対象者は選手以外でUFCに多大な貢献があったレフリー、ジャッジ、トレーナー、コミッショナー、アナウンサー、解説者、プロモーターなどの個人もしくはグループUFC史上に残る好試合、重要試合で、行われてから5年以上経過している試合殿堂入りの条件は選手の場合、35歳以上であるか、引退してから1年以上が経過した者とされている。第1回大会に日本の格闘技団体パンクラスに定期参戦していたケン・シャムロックが参戦したことにより、格闘技雑誌、プロレス雑誌はいち早くUFCの登場を伝えた。しかし格闘ゲームの現実化とも言えるUFCの衝撃は、マニアの範囲にとどまらず、一般のテレビ番組でも大きく取り上げる事態となり、日本の格闘技界にも多大な影響を与えた。打撃系格闘技のK-1が、1994年と1995年に総合格闘技の試合を組み込んだのをはじめとして、UFC開催以前から日本で行われていた総合格闘技大会の修斗、リングス、パンクラスはUFCに端を発する総合格闘技の標準的なルールに改正し、PRIDE、DEEPなどをはじめとする総合格闘技の新規プロモーションが勃興した。SEG社時代には、スーパーステージの子会社UFC-Jとの間でフランチャイズ契約を結び、1997年から2000年にかけて計4度の日本大会を開催している。UFC-Jは代表者の不祥事によって解散になり、ズッファ社体制になってからは、ボクシングの帝拳プロモーションをパートナーとして、テレビ放送を行いつつ日本大会の開催を模索していた。2004年12月、2005年6月には、一旦は開催を発表した日本大会を延期している。2011年9月6日、2000年12月のUFC 29以来11年ぶり、ズッファ社体制下では初となる日本大会を翌年2月26日にさいたまスーパーアリーナで開催すると発表した。その後問題なく大会は開催され、大成功を収めた。2012年7月7日、2013年3月3日にさいたまスーパーアリーナで開催を予定していることが明らかとなった。ホイス・グレイシーが活躍した初期大会は、NHK衛星放送、日本テレビ「世界まる見え!テレビ特捜部」、テレビ朝日「リングの魂」などの番組内で紹介された。UFC-J事務局が運営した日本大会は、日本テレビやテレビ東京が深夜に放送した。CSテレビのディレクTV(スカパー!に吸収)は1,500円のPPV放送を行った。2000年、CSテレビ、ケーブルテレビチャンネルのJ SKY SPORTS(現・J SPORTS)はSEG社とUFC 28から毎回放送の契約を締結したが、UFC 29を放送した時点で、UFCの運営がズッファ社となり契約を解消した。2001年にズッファ社体制になって、UFC 31からUFC 34までをフジテレビ「SRS」の番組内でダイジェスト放送した。2002年4月からボクシングの帝拳プロモーションを仲介して、WOWOWでの定期放送が始まる。UFC 36から2時間枠で放送。実況は高柳謙一、解説は格闘家の高阪剛が担当することが多かった。2007年4月8日のUFC 69からはハイビジョン放送となっていた。しかし、諸条件の食い違いで契約がまとまらず、4月26日放送のUFC 70(リピート放送)を最後にWOWOWでの放送は一旦終了。2008年10月からWOWOWで帝拳プロモーションを介さずに定期放送が再開された。しかし、2016年4月6日を最後にWOWOWでの放送は終了。2002年4月のUFC 36から110度CSデジタル放送プラット・ワンのCS-WOWOWでPPV放送を実施。UFC 36はWOWOWでの放送と同内容で視聴料が1,200円だったが、UFC 37からは視聴料を2,000円とし、生中継ではアメリカのディレクTVと同内容で英語実況のまま放送。2005年2月からはテレビ東京が地上波での放送権を取得し、1時間枠で放送した。ただし2005年6月に開催とされた日本大会を含む4大会のみと言われた契約を消化することなく、テレビ東京での放送は1回のみで終了した。解説は船木誠勝。2006年4月からCSテレビの日テレG+でWOWOWから1か月遅れでの放送を再開。実況は日本テレビアナウンサーが務める。解説はプロレスラーの高山善廣。当初は1大会を1時間30分枠で放送していたが、その後、1大会を1時間枠で2回にわけて放送するようになる。WOWOWと同じく帝拳プロモーション経由での放送だったため、2007年6月にUFC 70の放送をもって終了した。2010年3月31日の「」は、テレビ東京にて4月8日22時より放送された。同局での中継は5年ぶり、地上波プライムタイムでは史上初となった。解説は秋山成勲。同年8月1日の「」は、スカパー!のPPVチャンネル「スカチャン」にて視聴料3,150円で生中継。2011年2月よりひかりTVにて、UFCの映像のテレビサービスおよび、ビデオサービスが開始された。2012年に開催されたマカオ大会はBS朝日で放送された。2013年よりFOX SPORTS ジャパンブランドを開始したFOXスポーツ&エンターテイメント(旧:FOX bs238)は、2013年6月よりマガジンプログラムであるUFC Ultimate Insiderとともに中継を開始。試合初中継はUFC on Fuel TV 10。その後よりFight Nightシリーズを放送している。解説は中井祐樹、実況は清野茂樹。なお、UFC on FOXシリーズについてはWOWOWが日本での放映権を保持していたため、前述のWOWOW放送終了までFOX SPORTS ジャパンでは放送していなかった。WOWOWで放送されるUFC on FOXについてはWOWOWでは独自タイトルになっており、直前のナンバーシリーズに.5をつけている。例としてUFC 168の後に開催されたUFC on FOX 10は、WOWOWではUFC 168.5となっていた。2016年4月29日よりフジテレビ「FUJIYAMA FIGHT CLUB」内で月1回「UFC TIME」と題した1時間番組を放送する。前述通り、世界最高峰のMMAの舞台と言えるUFCには、数多くの日本人選手が参戦しているが、多くの選手が苦戦・リリースされており、日本人にとって厳しい状況が続いている。日本人でタイトルマッチ挑戦権を得たのは岡見勇信と堀口恭司の二人のみで(ズッファ社による興行後)、いずれも敗北している。日本人最多出場回数は18回、最多勝利は13勝、最多フィニッシュは5で、いずれも岡見勇信の記録である。最多連勝は水垣偉弥の5連勝。2016年7月現在
出典:wikipedia
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