不要不急線(ふようふきゅうせん、不要不急路線とも)とは、日中戦争から太平洋戦争に向かう最中の1941年(昭和16年)8月30日に、特に武器生産に必要な金属資源の不足を補うことを目的に公布された勅令第835号・金属類回収令(鉄材供出)のため、政府の命令により線路を撤去された鉄道路線のことである。ほとんどの路線は手続上「休止」扱いとされたが、実質的に「廃止」で、再開されなかった路線はその後正式に廃止された。民営鉄道の場合は戦後復活を果した例がケーブルカーを除くとほとんどないが、国有鉄道の多くの路線は戦後線路を復旧し、営業を再開した。しかし復活を果たしたものでも後の「赤字83線」や「特定地方交通線」などの取組みの中で、再び廃止された路線も少なくない。以下の基準で不要不急線に選定された鉄道路線は、要するに軍事輸送上、重要度の低い路線である。また休止に至らなかったものの、複線のうち1線を撤去され単線化されたものも同様の趣旨である。事業者名・路線名などは休止当時のものである。下記9線区とも1944年(昭和19年)5月4日廃止。 金属類回収令が公布される以前から、政府は任意での鉄材供出を求めていた。これに応える形で公布以前に撤去を行ったケースも存在する。一例としては、1939年(昭和14年)9月に単線化された鞍馬電気鉄道の二軒茶屋 - 市原間がある。一時は不要不急線に指定されながら、以下の区間は松代大本営地下壕建設のため廃止を免れた。
出典:wikipedia
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