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ヴァンダレイ・シウバ

ヴァンダレイ・シウバ(Wanderlei Silva、1976年7月3日 - )は、ブラジルの男性総合格闘家、実業家。パラナ州クリチバ出身。アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス在住。ヴァンジ・ファイトチーム/キングスMMA所属。ブラジリアン柔術黒帯。元PRIDEミドル級王者。ニックネームは「戦慄の膝小僧」(PRIDE時代の呼称)、「ジ・アックス・マーダラー」(斧を持った人殺し、UFC時代の呼称)。川崎浩市に発掘され1999年のPRIDE初参戦。PRIDE中期の象徴的選手であった桜庭和志を破り一躍スターダムにのし上がると、PRIDE.17におけるミドル級王者決定戦で再び桜庭を破り初代ミドル級王者となる。その後PRIDE GRANDPRIX 2003のトーナメント戦を勝ち抜き、グランプリでもミドル級王者となり、PRIDE参戦以来(無効試合、引き分けを挟んで)17戦無敗、タイトルマッチでも3回連続防衛に成功したことから「PRIDEミドル級絶対王者」と呼ばれていた。その後マーク・ハント戦での敗戦によって連勝が途絶えると、2005年グランプリのヒカルド・アローナ戦で敗北し、ミドル級相手としても無敗記録が途絶えた。その後防衛戦でアローナを下しリベンジを果たすも、2007年にダン・ヘンダーソンを相手にした防衛戦で敗れ、5年以上保持していたミドル級王者から陥落した。PRIDE消滅後は再びUFCを主戦場にして、UFCに在籍した6年間で970万ドル(約12億円)の報酬を稼いだ。1976年、ブラジルのパラナ州クリチバに生まれる。13歳のとき、シュートボクセ・アカデミーに入門した。1996年11月、ブラジルの総合格闘技大会でプロ総合格闘技デビュー。欠場者の代理出場で、対戦相手ジウソン・フィリォとは20kgの差があったものの、逆転のKO勝利を収めた。翌1997年9月にはInternational Vale Tudo Championshipの8人制トーナメントに出場、決勝のアルトゥール・マリアーノ戦では自らの頭突きで目尻をカットし、ドクターストップでTKO負けとなり、準優勝に終わった。1998年10月16日、ブラジルで開催されたUFC BrazilでUFC初出場。ビクトー・ベウフォートと対戦し、スタンドパンチ連打で開始44秒でTKO負けを喫した。1999年4月27日、IVCライトヘビー級(-91kg)王座決定戦でユージーン・ジャクソンと対戦し、ギブアップ勝ちを収め王座獲得に成功した。1999年5月7日、UFC 20でトニー・ペテーラと対戦し、膝蹴りでKO勝ちを収めUFC初勝利を挙げた。1999年9月12日、PRIDE.7で日本の総合格闘技大会PRIDEに初出場を果たし、シウバはカール・マレンコ相手に立ち技・寝技でともに優位に立って判定勝ちで白星デビューを飾る。続く11月21日のPRIDE.8にも連続出場、松井大二郎と対戦した。試合は松井のタックルを切り続け、スタンドの膝蹴りで松井の出血を誘い、6-0の判定勝ちを収めた。2000年1月30日、16人参加のトーナメント「PRIDE GRANDPRIX 2000」の開幕戦にリザーバーとして出場、ボブ・シュライバーにスリーパーホールドで一本勝ち。4月には日本で行われたUFC 25でUFC世界ミドル級(現ライトヘビー級)王座決定戦でティト・オーティズと対戦し、判定負けで王座獲得に失敗した。その後シウバは8月には自身が所属するシュートボクセ主催のメッカVT(8月12日)でトッド・メディーナをKOすると、2週間後には日本でPRIDE.10(8月27日)に出場、ガイ・メッツァーに勝利し、10月31日に行われたPRIDE.11でのリングス無差別級王者ギルバート・アイブルとの一戦は開始直後にアイブルへのローキックが急所に命中したためノーコンテストとなった。PRIDE.12(12月23日)ではリングスKOKトーナメント優勝のダン・ヘンダーソンと対戦、ヘンダーソンの攻撃で左目をカットし視野を塞がれるものの、1ラウンド終盤から攻勢に転じたシウバは2ラウンドもマウントポジションを奪うなど試合を優位に進め、6-0のジャッジで判定勝ちを収める。試合後のインタビューではミドル級のトップコンテンダー桜庭和志との対戦をアピールした。2001年3月25日、PRIDE.13で「ミドル級頂上対決」と評された桜庭和志との一戦が実現。この大会から4点ポジションからの膝蹴りが可能となり、この新ルールはシウバに有利と言われていたが、試合ではテイクダウンを狙った桜庭にこの攻撃でダメージを与え最後はサッカーボールキックでTKO勝ちを収めた。この一戦で「戦慄の膝小僧」の異名を轟かせ、一気にスターダムにのし上がった。その後PRIDE.14(5月27日)で大山峻護に勝利したシウバは9月には桜庭とのPRIDE.17(11月3日)での再戦が決定、またこの一戦が初代PRIDEミドル級(-93kg)王座決定戦となることが発表された。迎えたタイトルマッチでは1ラウンド途中、桜庭にフロントチョークに捕らえられた体勢からボディスラムで左肩を叩きつけ脱臼させる。シウバのインサイドガードのまま終了した1ラウンド後、ドクターストップによるTKO勝利となり、以後5年以上に渡ってタイトルを保持することになるPRIDEミドル級王座獲得に成功した。年末12月23日の福岡大会にも出場しアレクサンダー大塚と対戦、膝蹴りで鼻骨骨折に追い込みドクターストップによる勝利を手にしている。2002年の初戦は2月24日のPRIDE.19でのミドル級タイトルマッチで田村潔司と対戦、パウンドでダメージを与え最後は右ストレートでKO、初防衛に成功した。4月28日、PRIDE.20で「PRIDE vs K-1」頂上決戦と評されたミルコ・クロコップとの特別ルール(3分5R判定なし、グラウンドでの膠着はブレイクの後スタンドからのリスタート)での対戦は、時間切れで引き分けた。その後8月にはDynamite!(8月28日)への出場が決定、一度はジェレル・ヴェネチアンとの対戦が決定したものの、大会プロデューサー石井和義の呼びかけに応じた極真空手王者の岩崎達也に変更となった。試合では岩崎に比べ12kgの体重差があったものの、膝蹴り、テイクダウンからのパウンドで攻勢を掛け、最後は左ハイキックでダウンを奪いパウンドでTKO勝ち。11月24日にはPRIDEの東京ドーム大会で金原弘光を相手にミドル級タイトルマッチを行い、1ラウンド3分過ぎにシウバの踏みつけで金原陣営がタオルを投げ入れ、2度目の防衛に成功した。2003年、シウバは8名によるミドル級トーナメント「PRIDE GRANDPRIX 2003」に出場する。8月10日に行われた1回戦では桜庭と3度目の対戦となったが、桜庭のローキックにカウンターの右ストレートを合わせて失神させ、返り討ちにした。10月には準決勝の組み合わせ抽選会で吉田秀彦の指名を受け対戦が決定、迎えた11月9日の準決勝では吉田を判定で破り決勝進出を果たすと、決勝ではクイントン・"ランペイジ"・ジャクソン相手に首相撲からの15発の膝蹴りでKO、ミドル級グランプリ優勝を果たした。2004年2月15日、PRIDEの新シリーズであるPRIDE武士道の第2回大会に出場、「日本VSシュート・ボクセ 3対3対抗戦」の大将戦として美濃輪育久と対戦し、開始1分過ぎ、テイクダウンに失敗して引き込んだ美濃輪にパウンドを浴びせKO勝利を収めた。4月には「PRIDE 武士道 -其の参-」でのパンクラス・ライトヘビー級王者近藤有己との対戦が決定するも右膝靭帯損傷により欠場となり、試合は8月に延期された。8月15日の「PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦」で行われたこのノンタイトル戦は「日本人最後の砦」と称された近藤をパンチでダウンさせ、踏みつけによりレフェリーストップとなった。試合後にはリングに登場したクイントン・ジャクソンの挑戦表明を受け、「ヤル!」と応じるパフォーマンスを見せた。PRIDE.28(10月31日)で実現したジャクソンとの再戦は首相撲からの膝蹴りで失神KOに追い込み、PRIDE史に残る激闘を展開し、ミドル級王座3度目の防衛に成功した。大晦日の「PRIDE 男祭り 2004」では桜庭と4度目の対戦が決定していたが、桜庭の怪我で直前に対戦相手がヘビー級のマーク・ハントに変更となった。試合は2ラウンドにダウンを奪われるもその後はマウントポジションを取るなどポジショニングで優位に立った。判定は1-2でPRIDE初黒星を喫したものの、インタビューでは「自分の勝ちだったと思う」というコメントを残した。2005年は連覇を掛け16人で行われたミドル級グランプリに参戦。4月23日の1回戦では吉田秀彦との再戦となり、2-1の判定で勝利する。2回戦(6月26日)では半袖の柔道着を纏った中村和裕との対戦となり、開始5分過ぎ、中村が服を脱いだ瞬間にパンチでダウンを奪い、マウントパンチによる追撃でレフェリーストップ、ベスト4に進出した。しかし8月28日の準決勝ではヒカルド・アローナにグラウンドで抑え込まれる展開が続き、判定で敗れGP連覇を逃す(優勝は同門のマウリシオ・ショーグン)。シウバが同階級の選手に負けたのはティト・オーティズ戦以来5年振りのことであった。大晦日には「PRIDE 男祭り 2005」でアローナとミドル級タイトルマッチで再戦。僅差の判定で下し4度目の防衛に成功している。2006年、シウバは負傷欠場したエメリヤーエンコ・ヒョードルに代わって「PRIDE 無差別級グランプリ」の2回戦に出場し、藤田和之と対戦した。右ストレートでダウンを奪いサッカーボールキックを放つとセコンドがタオルを投入、TKO勝利となり準決勝進出を果たした。9月10日の「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦」で行われたトーナメント準決勝では、PRIDE.20以来の再戦となるミルコ・クロコップと対戦。序盤から素早い打撃戦を展開し、会場を沸かせた。1ラウンド5分過ぎに左ハイキックを受け失神、PRIDE初のKO負けを喫した。2007年2月25日、PRIDE.33で7年振りの再戦となるダン・ヘンダーソンとミドル級タイトルマッチを行ったが、最終ラウンドに左フックでダウンしパウンドでTKO負け。5年余りに渡って保持していたミドル級王座から陥落した。2007年のPRIDEの活動休止とともにUFCと再び契約し、それに前後してシュートボクセ・アカデミーから脱退。アメリカに移住し、ランディ・クートゥアのジムであるエクストリーム・クートゥアでトレーナーに就任した。2007年12月29日、UFC 25以来7年半振りのUFC復帰戦となるUFC 79ではチャック・リデルと対戦し、0-3の判定負けを喫するもファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2008年5月24日、UFC 84でキース・ジャーディンと対戦。試合開始直後に右フックでダウンを奪いパウンドによる追撃でわずか36秒で秒殺KO勝ち、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。12月27日のUFC 92ではPRIDEで2連勝したクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと3度目の対戦を行い、カウンターの左フックで失神KO負けを喫した。2009年3月、ネバダ州ラスベガスに自身のジム「ヴァンジ・ファイトチーム」を設立。2009年6月13日、UFC 99でリッチ・フランクリンと契約体重195ポンド(約88kg)で対戦し、判定負けを喫するもファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。10月にはミドル級で秋山成勲との対戦が発表されたものの、その後マイケル・ビスピンに変更となった。試合は2010年2月20日のUFC 110で行なわれ、シウバが判定で勝利。2010年7月3日のUFC 116で秋山成勲と改めて対戦予定であったが自身の怪我により欠場することが試合1週間前に発表された。2011年7月2日のUFC 132でクリス・リーベンと対戦するも試合開始早々にアッパー連打でダウンしたところにパウンドを浴びせられKO負け。2011年11月19日、UFC 139でカン・リーと対戦し、パウンドでTKO勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2012年、ビクトー・ベウフォートと共にThe Ultimate Fighter: Brazilでコーチを務めた。2012年6月23日、UFC 147でリッチ・フランクリンと対戦し、0-3の判定負け。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。当初はビクトーとTUFのコーチ対決を行う予定であったが怪我で変更になった。2013年3月3日、6年半ぶりの日本での試合となったUFC on Fuel TV 8でブライアン・スタンと対戦。1R序盤からお互いにダウンを奪い合う壮絶な激戦となり、2Rに左フックでスタンからダウンを奪いパウンドでKO勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。この試合の前に、「渋谷LIVE! ザ・プライムショー」において、一部で囁かれたスタン戦がラストマッチであるという説を否定した。2014年7月5日のUFC 175で長年に渡って挑発し合ってきたチェール・ソネンと対戦する事が決定するも、シウバが薬物検査を拒否したために欠場した事が発表される。これに対しシウバはこの報道を否定し、UFC175に出場する事をなおも熱望していた。しかし、その後ソネンが薬物検査に失格した事が発表され、試合は消滅。さらに6月17日、シウバはネバダ州アスレチック・コミッションの公聴会において、骨折した手首の保水性を最小限に抑える事を名目に、禁止薬物である利尿剤を服用していた事を明かした。2014年9月19日、総合格闘家として引退する事を表明。最後にUFCを批判するようなコメントを残した。2015年7月29日、「UFCが八百長試合を行っている証拠がある」と発言したところ、ズッファから名誉棄損で訴えられた。2016年3月、PRIDEの元スタッフらで運営される日本の総合格闘技団体「RIZIN」に出場することを発表。同年4月17日には日本ガイシホール大会「RIZIN.1」にて、田村潔司とタッグチームを結成し、所英男・桜庭和志とグラップリングダブルバウトで対戦した。引き分けに終わったが、シウバにとって日本での試合は約3年振り、日本の団体での試合は約9年振りとなった。12月29日に開催される「Cygames presents RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント」には2回戦よりシード枠で出場が決定し、PRIDE.20以来となるミルコ・クロコップ戦で3年振りに総合格闘技に復帰する。

出典:wikipedia

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