核兵器の不拡散に関する条約(かくへいきのふかくさんにかんするじょうやく、Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons、略称:NPT)は、核軍縮を目的に、アメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中華人民共和国の5か国以外の核兵器の保有を禁止する条約である。略称は核拡散防止条約(かくかくさんぼうしじょうやく)、または核不拡散条約とも呼ばれる。核拡散防止条約は、核兵器廃絶を主張する政府および核兵器廃絶運動団体によって核兵器廃絶を目的として制定された。核兵器保有国は核兵器の削減に加え、非保有国に対する保有国の軍事的優位の維持の思惑も含めて核兵器保有国の増加すなわち核拡散を抑止することを目的として1963年に国連で採択された。関連諸国による交渉、議論を経て1968年に最初の62か国による調印が行われ、1970年3月に発効した。25年間の期限付きで導入されたため、発効から25年目にあたる1995年にNPTの再検討・延長会議が開催され、条約の無条件、無期限延長が決定された。採択・発効後も加盟国は増加し、2010年6月現在の締結国は190か国である。条約では、全加盟国を1967年1月1日の時点で既に核兵器を保有している国(保持を許された核兵器国)であると定められたアメリカ、ロシア、イギリス、1992年批准のフランスと中国の5か国と、それ以外の加盟国(保持しておらず、また許されない非核兵器国)とに分けられる(第9条第3項)。旧ソビエト社会主義共和国連邦(核兵器国)の構成共和国であったベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンは核兵器をロシアに移転し、非核兵器国として加盟。核兵器国ではなかったが核兵器を保有していた南アフリカ共和国は条約加盟前に核兵器を放棄し、1991年に非核兵器国として加盟。核兵器国については、核兵器の他国への譲渡を禁止し(第1条)、核軍縮のために「誠実に核軍縮交渉を行う義務」が規定されている(第6条)。しかしアメリカ、ソ連は核開発競争により「誠実に核軍縮交渉を行う義務」の実行どころか核兵器保有数を大幅に増加させた。非核兵器国については、核兵器の製造、取得を禁止し(第2条)、国際原子力機関(IAEA)による保障措置を受け入れることが義務付けられ、平和のための原子力については条約締結国の権利として認めること(第4条)、などを定めている。また5年毎に会議を開き条約の運営状況を検討すること(第8条第3項)を定めている。加盟国であるイラクは、国際社会より核兵器開発の疑惑を受け、1991年に起きた湾岸戦争に敗北し核を含む大量破壊兵器の廃棄と将来にわたっても開発しないこと等を条件に和平する国連安保理決議687を受け入れた。しかし核兵器開発計画の存在が明らかになった他、生物・化学兵器の廃棄が確認できない等の問題がある。またNPTに1970年より加盟しているイランも核兵器を開発しているとみられている。インド、パキスタン、イスラエル、南スーダンの4国。インドとパキスタンは条約が制定時の核兵器保有5か国にのみ保有の特権を認めそれ以外の国には保有を禁止する不平等条約であると主張し、批准を拒否している。イスラエル政府は核兵器の保有を肯定も否定もせず、疑惑への指摘に沈黙を続けている。2010年9月3日、IAEA事務局長・天野之弥が、条約に加盟し全ての核施設についてIAEAの査察を受けるようイスラエルに対し求めたことを報告書で明らかにした。イスラエルはこの要請を拒否している。南スーダンは2011年に建国されたばかりの新国家で体制が整っていない。朝鮮民主主義人民共和国は加盟国(特にアメリカ合衆国)とIAEAからの核兵器開発疑惑の指摘と査察要求に反発して1993年3月12日に脱退を表明し、翌1994年にIAEAからの脱退を表明したことで国連安保理が北朝鮮への制裁を検討する事態となった。その後、北朝鮮がNPTにとどまることで米朝が合意し、日米韓の署名によりKEDOが発足した。しかし北朝鮮が協定を履行しなかったためKEDOが重油供与を停止。これに対し北朝鮮は2003年1月、再度NPT脱退を表明した。第6条は締約国に「誠実に核軍縮交渉を行う」ことを義務付けている。しかし、締約国のうち核保有5か国の核軍縮交渉や実行・実績は、1987年に締結された中距離核戦力全廃条約(1991年に廃棄完了を確認)、1991年に締結された第一次戦略兵器削減条約(2001年に廃棄完了を確認)に限定され、現在に至るまで核兵器の全廃は実現していない。核保有国の目的はコスト削減と核保有の寡占の固定永続化が目的であることから、核兵器の数量削減や、核実験をコンピューターシミュレーションに置き換えることを進めている。「リーチング・クリティカル・ウィル」のレイ・アチソン代表は、核兵器の近代化や投資を終わらせる第6条の義務に反し、全ての核保有国が自国の核兵器および関連施設を今後数十年で近代化する計画に着手するか、あるいはそうした計画を持っていると主張。また核拡散を抑制しようとする一方で、自らの核兵器は強化しようとする核保有国の姿勢はダブルスタンダードであり、「核兵器なき世界」を追求するという約束が裏切られている、と述べた。また村田良平(1930 - 2010、元外務事務次官)も不平等条約であると主張している。2014年4月、マーシャル諸島共和国は、核拡散防止条約に違反しているとして核保有9か国を国際司法裁判所に提訴した。加盟5か国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)は核軍縮交渉の義務を履行しておらず、加盟していない3か国(インド、パキスタン、イスラエル)と条約脱退を表明した北朝鮮についても、慣習的な国際法により同じ義務があるべきところ、それを果たしていないというのがマーシャル諸島の主張である。6月には、国際司法裁判所の強制管轄を受け入れているイギリスとインドについて、審理に入ることが決まった。日本は1970年2月にNPTを署名し、1976年6月に批准した。NPTを、国際的な核軍縮・不拡散を実現するための最も重要な基礎であると位置付け、またIAEA保障措置(「平和のための原子力」実現のための協定)や包括的核実験禁止条約を、NPT体制を支える主要な柱としている。署名にあたり政府は、条約第10条が自国の利益を危うくする事態と認めた時は脱退する権利を有するとしていることに留意するとし、「条約が二十五年間わが国に核兵器を保有しないことを義務づけるものである以上,この間日米安全保障条約が存続することがわが国の条約加入の前提」「日米安全保障条約が廃棄されるなどわが国の安全が危うくなつた場合には条約第十条により脱退し得ることは当然」との声明を発表していた。NPTを批准するまでの過程には様々な葛藤があり、1974年(昭和49年)11月20日に中曽根康弘は来日中の米国国務長官・キッシンジャーに対し、米国とソ連の自制に関連して「米ソは非核国に核兵器を使ったり、核兵器で脅迫したりしないと確約できますか」と問うと、キッシンジャーは、「ソ連は欧州の国々を上回る兵力を、中国も隣国を上回る兵力を持っている。核兵器がなければ、ソ連は通常兵力で欧州を蹂躙できます。中国も同様です」という見解を示しながら、もしも米国が非核国への核使用を放棄すれば、ソ連の東欧の同盟国にも使用できなくなるとの懸念を示して、中曽根の要求を拒否した。2009年5月5日、国際連合本部で開かれたNPT再検討会議の準備委員会に秋葉忠利広島市長と田上富久長崎市長が出席。秋葉市長は2020年までの核兵器廃絶を強く訴え、各国政府が核兵器廃絶への行動をただちに起こすよう呼びかけた。また田上市長は、バラク・オバマ米大統領が提唱した世界核安全サミットを長崎で開くよう要請した(しかしこの願いは果たされなかった)。
出典:wikipedia
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