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三上寛

三上 寛(みかみ かん、1950年3月20日 - )は日本のフォークシンガー、俳優。青森県北津軽郡小泊村(現中泊町)出身。青森県立五所川原高等学校卒業。在学中は生徒会長を務めたことがあり、バンドを組んでザ・タイガースやジャッキー吉川とブルーコメッツなどをカバーしていた。作詞も高校一年から始め、バンドでは自作のオリジナル曲を演奏したこともあるという。卒業後、警察官を目指して警察学校に通っていたが、在学中に盗みを働いたと疑われ退学となり(ただしこれは冤罪であり、後に真犯人が逮捕されている)、1968年秋に上京。板前など様々な職を転々としながら渋谷のライブスペース「ステーション70」に出演するようになり、フォークシンガーの道を歩む。作風は、怒号のような荒々しさからささやくような穏やかさまでを湛える情念に満ちたうたごえと、生々しくきわどい表現の歌詞から「怨歌」フォークとも言われていた。表現のなかには、放送禁止用語も多く見られるが、つボイノリオなどのコミックソング的使用とは異なり、人間の悲しみ、恨み、哲学、物語のダダイズム的表現と破壊の一環としてのものである。ただし音楽性自体は様々に変遷しており、一貫して三上のヴォーカルとギターを軸に据えてはいるものの、山下洋輔、灰野敬二(後に石塚俊明を加えてVAJRAを結成)、ジョン・ゾーン、吉沢元治などの異端児的アーティストとの共演を通じて、アナーキーな音楽を追求している。その風貌から1970年代のジョイントコンサートでは、三上がステージに出てくるとガロや吉田拓郎めあてに来ていた女性ファンが一斉にトイレに逃げ込んでいたといわれる。1973年の東映映画『ネオンくらげ』は、監督の内藤誠が三上の楽曲の世界観を映画化したもの。音楽活動の一方、俳優業でも数多くの作品で活躍しており、1970年代の映画や刑事ドラマでは、個性派の怪優として狂気的な演技を見せた。東映の大部屋系悪役俳優で構成されたユニット「ピラニア軍団」との交流も深く、彼らのLPレコードのプロデューサーも務めている。なお、タモリの寺山修司のモノマネは、三上寛の寺山のモノマネが元ネタになっていると言われている。1990年より大阪で、「三上寛・詩学校」を開校。現在は大阪(不定期)と東京・西荻窪(毎月)で開催。三上が個人個人のレベルに合わせてテーマを出題し、それに添って自由に書いたのち、アドバイス、添削指導を受けるといったスタイルで、10人前後のクラスとなっている。

出典:wikipedia

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