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キッチュ!夜マゲドンの奇蹟

「キッチュ!夜マゲドンの奇蹟」(キッチュよるマゲドンのきせき)は、文化放送で1990年10月8日から1992年2月27日まで放送された夜の若者向けワイドラジオ番組。パーソナリティは「キッチュ」こと松尾貴史。放送時間は毎週月曜 - 木曜の21:40 - 24:30。アシスタントは月曜 - 水曜は文化放送アナウンサーの藤木千穂(当時。番組初期は当時文化放送アナウンサーの久保田妙子)、木曜は中條かな子が担当。その他にも火曜日に松村邦洋、水曜日の1コーナー『唐木淳が行く』には演歌歌手の唐木淳(現:黒木憲ジュニア)が出演していた。採用されたネタには面白さに応じて“星”が与えられ、星が一定数(10個)溜まると「〜ドン」という“洗礼名”がリスナーに与えられていた。使用中のペンネームの間に洗礼名を挟み込んでミドルネーム風に名乗っていたリスナーが多かった。同番組のハガキ職人から業界入りした者は少なくなく、日本テレビ系「おもいッきりイイ!!テレビ」などを担当する河野コタローなどがいる。金曜日の同時間帯はINGRY'Sをパーソナリティとした「夜マゲスペシャル INGRY'Sの一触即発金曜日」が放送されていた。因みに「夜マゲドンの奇蹟」というタイトルは、何かインパクトある名前をということで「ハルマゲドン」という言葉から松尾が命名したものである。また木曜日の番宣CMでは、松尾がいかりや長介のものまねで中條に「だめだ、こりゃ」を教えていた。なお、松尾は同番組の終了後、終了の経緯を回顧する形で、当時、週刊朝日に連載していたエッセイ「未確認卑怯物体」で記していた。なお、「未確認卑怯物体」は連載終了後、著書として発売された(現在は絶版。朝日新聞社 1992年発行。ISBN 4022564784)。前年の『ラジオバカナリヤ』では、文化放送の平日夜ワイド史上初めての放送開始時間の繰り下げによる『文化放送ライオンズナイター』の延長が実現した。ただ、『バカナリヤ』は21時40分のスタートを最大でも10分しか動かす事ができなかった。『夜マゲドン』では、『バカナリヤ』でネックとなった、22時台前半の内包番組を22時15分頃からにずらすことで、野球放送の延長枠をより大きくしようとしたが、後続の内包番組枠のスポンサーとの調整に手間取ったこと(特に23時台の花王提供枠は30分という非常に大きな箱枠だった)、また当時はプロ野球パシフィック・リーグの試合時間が延長12回以内かつ試合開始後4時間を超えて、新たなイニングに入らないというルールだったため、22時までに大概の試合終了の目途が立ったという理由で、前年比で10分拡大した22時で野球中継を打ち切り、当番組へと切り替えていた。当番組放送途中の1991年10月改編で23時台の花王枠が廃枠となり編成に余裕ができた事で、文化放送は22時以降の野球放送延長が可能となり、後継の『夜はこんびんば!』から実施した。これにより『ライオンズナイター』は開始11シーズン目で、試合開始から終了までの完全中継という悲願を達成した。

出典:wikipedia

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