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国鉄123系電車

123系電車(123けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)およびJR旅客3社が手荷物・郵便輸送の廃止・縮小に伴って余剰になった荷物電車などを改造し、電化ローカル線向けに投入した直流近郊形電車である。1986年(昭和61年)から1988年(昭和63年)にかけて投入された。基本的に、国鉄の新性能電車は「電動車」を2両1組にしているため、最小編成単位は2両であるが、本系列は車両の前後両端に運転台を有した1両単位で使用できる車両を元に改造されており、利用者が少ないローカル線で単行運転に充てることができる。路線によっては、2両以上を連結して運行されたこともあった。2015年(平成27年)5月現在では単行運転や国鉄105系電車に併結されての運用のみである。形式はクモハ123形のみが存在する。合計13両が改造されたが、改造元となった車両(種車)の違いから、車両ごとの特徴は異なる。いずれも、車内の座席はロングシートとされた。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化では、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)の3社に継承されたが、2007年(平成19年)にJR東海の車両が、2013年(平成25年)にJR東日本の車両が、それぞれ全廃されている。現在、JR西日本のクモハ123-2,3,4,5,6の5両のみが在籍する。JR東日本には、クモハ123-1の1両のみが在籍していた。クモニ143-1から改造された。中央本線の塩嶺トンネル完成に伴い支線化した辰野 - 塩尻間(中央本線辰野支線)の輸送力適正化を目的として、1986年(昭和61年)に国鉄長野工場(現・長野総合車両センター)でクモニ143-1から改造された車両である。松本運転所(現・松本車両センター)に配置され、同年11月のダイヤ改正に合わせて使用開始された。車両愛称は「ミニエコー」と名付けられた。走行関係の機器は種車のものを流用しており、主電動機はMT57で、直並列制御を行う(後述の2 - 6も同様)。将来のワンマン運転を考慮し、側面両端部に幅1,000 mmの片開扉を設けた。側面窓は幅674 mmのユニット窓となっており、一部の窓は種車のものをそのまま流用している。ワンマン運転の設備は1990年(平成2年)に設置された。改造当初は冷房装置が搭載されていなかったが、1995年(平成7年)に集約分散式冷房装置(AU712形2基)が搭載された。改造当初は白地(クリーム10号)に緑帯(緑14号)の塗装であったが、その後ローズピンクと白色のツートーンカラーに変更されている。終日辰野 - 塩尻間で運行され、朝晩には松本車両センターの入出庫を兼ねて辰野 - 松本間にも1往復運行された。同車の検査時や多客期には長野総合車両センター所属の115系が代走した。2012年(平成24年)12月15日・16日には、塩尻→辰野→岡谷→みどり湖→塩尻とその逆回りで運行された臨時列車(名称はそれぞれ「ぐるっと善知鳥・塩嶺号」「ぐるっと塩嶺・善知鳥号」)が運転され、通常入線のないみどり湖経由の運転が実施された。2013年3月9日にも同じ経路で「ありがとう123系 ぐるっと善知鳥号」「ありがとう123系 ぐるっと塩嶺号」として運転された。3月の運行は乗車整理券制で地元の乗客を対象にしての設定となり、JR東日本長野支社などのホームページでは公開されず、塩尻市・辰野町でのみ情報が発信された。2013年3月16日ダイヤ改正でE127系に代替されることになり、最終運行日となった同年3月15日は、最終列車の発車に合わせ、小野駅でセレモニーが実施された。また、同日は混雑対応のため車掌乗務が行われ、通常表示されない塩尻行のサボも表示された。定期運行最終列車となった塩尻始発の下り松本行では塩尻駅の電光掲示板で「123ミニエコー・ラストラン」と表示された。同車は松本到着後定期運用が終了し、23時3分に松本を発車して長野総合車両センターへ回送された。その後、同年4月15日付けで除籍され、JR東日本の123系は消滅した。JR東海が所有していた車両は、すべて101系の改造車である145系・147系を再改造したもので、静岡車両区(旧・静岡運転所)に7両が在籍していた。身延線の富士 - 西富士宮間と鰍沢口 - 甲府間の区間輸送(愛称「富士ポニー」)用として、国鉄時代の1987年(昭和62年)1月に40番台5両(41 - 45)が、国鉄分割民営化後の1988年(昭和63年)3月には600番台2両(601・602)が投入された。当初は白地(クリーム10号)に赤帯(赤2号)と前面に富士山と身延の頭文字「M」を図案化した模様の塗装であったが、のちにJR東海に承継された119系やキハ40系と同じく白地にオレンジと緑の帯の塗装に変更された。40・600番台とも2001年(平成13年)に前面に電気連結器が装備され、主電動機はMT46形からMT54形に換装された。2007年(平成19年)3月18日ダイヤ改正で全車が313系に置き換えられて運用離脱し、同年6月までに全車が廃車された。1987年1月に郵便荷物合造車クモユニ147形より改造された。運転台直後に片開扉を設けた2扉車で、外観・車内ともクモハ123-1に準じているが、側面窓がやや大きくなり、戸袋窓が廃止された。またドア下部の張り出しが前位側(パンタグラフと逆側)にあった。改造当初はクモハ123-45と珍しい並びの車両番号も存在した。1989年(平成元年)に集約分散式冷房装置(DC-DCコンバータ電源によるインバータ式のC-AU711D形2基)を搭載して5040番台(5041 - 5045)に改番された。翌1990年(平成2年)のワンマン化改造に際しては5045のみ前面に貫通扉が設置され、5145に再改番された。2006年(平成18年)9月に5041、翌2007年(平成19年)1月に5044・5145が廃車。同年3月のダイヤ改正後、5月に5043、6月に5042が廃車され、本番台は区分消滅となった。1988年3月に牽引車のクモヤ145-601・602から改造された。同時期登場の愛知環状鉄道100形に類似した両端部と中央部に扉を設けた3扉構造となっており、種車の前面にあった貫通扉は2両連結した時に幌で貫通路が構成できるように改造された。改造当初は非冷房であったが、1988年(昭和63年)12月に集約分散式冷房装置(C-AU711A形2基)が搭載された。冷房電源は電動発電機 (MG) からの供給とされたため、改番はされていない。1990年(平成2年)にワンマン運転設備が設置された。2007年(平成19年)5月に601、同年6月に602が廃車され、区分消滅している。JR西日本には、クモハ123-2 - 6の5両が在籍する。可部線および阪和線羽衣支線向けとして、国鉄分割民営化直前の1987年(昭和62年)にクモニ143-2・3・6 - 8から改造された。JR東日本のクモハ123-1とは種車が同じで、番号も続番となっているが、外観は大きく異なる。2013年(平成25年)からキハ120形気動車とほぼ同一構造のトイレが設置され、2014(平成26)年度までに全車両へかの取り付けが完了した。2010年(平成22年)5月17日から始まった本系列の塗色変更は、2015年(平成27年)8月17月のクモハ123-6出場で終了した。主な運用は小野田線や宇部線(閑散時のみ)での単独運用だが、ラッシュ時は105系に併結されて宇部線や宇部線の山陽本線直通列車宇部~下関間などで運用されている。可部線向けに改造された3両は、クモハ123-1や40番台と同様両端2か所に片開扉を配置しているが、側面窓の形状は上部3分の1が室内側に倒れる大形窓となっており、座席はキハ54形などで採用されたバケットタイプとなっている。また、前面に排障器(スカート)が装着されている。塗装は地色が白3号で、車体裾に青20号の帯が2本入っている。改造時に第2パンタグラフを撤去し、改造当初から集中式冷房装置(AU75系列)を搭載している。冷房電源用の70 kVA電動発電機は485系などの食堂車の廃車発生品を再利用した。ジャンパ連結器は105系に合わせたものに交換された。前面は種車のままの非貫通構造であったが、1993年(平成5年)度に貫通扉が設置された。1993年(平成5年)に下関運転所(現・下関総合車両所運用検修センター)に転属。検査のため下関総合車両所に入場していたクモハ123-4が濃黄色一色となり、2010年(平成22年)5月17日に構内試運転が行われた。次いでクモハ123-2が2014年、クモハ123-3が2015年6月に濃黄色となった。なお、クモハ123-3はクモハ123-5と同じく塗装変更時に運賃表を液晶画面に換装されている。阪和線向けの2両は201系と類似した2段式側窓となっており、改造当初から前面に貫通扉が設置されている。2か所に両開扉を設けたが、種車の荷物用扉の位置を踏襲したため、変則的な位置にあった。改造時に第1パンタグラフを撤去し、改造当初から集中式冷房装置(AU75系列)を搭載している。ラッシュ時は103系の制御車クハ103-194を併結した3両編成という特異な運用をするため、ジャンパ連結器は103系に合わせたものに交換され、クハに冷房電源の三相交流を供給するためのジャンパ連結器も設けられた。日中は単行または2両で運行された。1989年(昭和64/平成元年)にワンマン運転設備を追設している。塗装は阪和線の103系に合わせた青22号だが、運転台部分は黒く塗られていた。1995年(平成7年)にクモハ84形を置き換えるために岡山電車区に転属し、宇野線の茶屋町 - 宇野間で使用された。塗装は地色はそのままだが運転台部分の黒い部分がなくなり、カモメが描かれた。その後、宇野線のワンマン化時に105系と混用されることになり、運賃の車内収受に対応していない本形式は105系用のジャンパ連結器を追設し、福塩線・山陽本線岡山 - 福山間・赤穂線で105系2両と併結の4両編成で使用され、宇野線は105系に置き換えられた。さらに2002年(平成14年)には宇部線・小野田線用として下関地域鉄道部(現:下関総合車両所運用検修センター)に転属し、2003年(平成15年)に最後の営業用旧形国電クモハ42形を置き換えた。その際に塗装は2 - 4と同様のものに変更された。2002(平成14)年度に扉位置を運転台直後に移設する改造を受けたため、外観が大きく変わっている。ただし、車内のつり革の配置は変わっておらず、元々ドアが設置されていたところにあたるつり革はやや高い位置に設置されているので、つり革を見れば移設前のドアの位置がわかる。また運賃の車内収受に対応するため整理券発行機・運賃箱・デジタル式運賃表が取り付けられた。2015年(平成27年)3月にクモハ123-5が、同年8月にクモハ123-6がそれぞれ濃黄色に塗り替えられている。なお、その際に運賃表が液晶画面に換装されている。

出典:wikipedia

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