南海電気鉄道株式会社(なんかいでんきてつどう、英称:"Nankai Electric Railway Co., Ltd.")は、大阪ミナミの難波と和歌山・関西空港・高野山などを結ぶ鉄道を経営する大手私鉄。総営業キロは154.0km。車両数は704両。一般的には「南海」もしくは「南海電鉄」と略されるほか、「南海電車」の呼称がある。本社は大阪府大阪市浪速区の今宮戎駅北西側に立地する南海なんば第1ビルに所在。東証1部に上場。純民間資本としては現存する日本最古の私鉄である。社名の「南海」は、堺 - 和歌山間の出願時に紀伊国が属する律令制の南海道に因んで名づけられたことに由来し、のちに淡路・四国航路との連絡も果たした。2015年に迎えた創業130周年を機に定めたブランドスローガンは「愛が、多すぎる。」。かつてはプロ野球球団(南海ホークス、後の福岡ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークス)や、野球場(大阪球場や中百舌鳥球場、いずれも後に解体)を経営していたが、1988年に撤退した。スルッとKANSAIでカードに印字される符号はNKである。全国登山鉄道‰会加盟。1884年に関西経済界の重鎮、藤田伝三郎・松本重太郎・田中市兵衛・外山脩造らによって大阪堺間鉄道として設立され、1885年に難波 - 大和川(後に廃止)間を開業した阪堺鉄道を始まりとしている。阪堺鉄道は日本鉄道(半官半民)・東京馬車鉄道に次いで日本で3番目の私鉄として設立され、1883年に廃止された釜石鉱山鉄道の資材を用いて建設された。1898年に新設会社の南海鉄道が阪堺鉄道の事業を譲り受け、1909年には競合路線を有していた浪速電車軌道、1915年には同じく阪堺電気軌道、そして1922年には根津嘉一郎から譲られる形で大阪高野鉄道を、1940年には交通統制のため競合会社の阪和電気鉄道、1942年には加太電気鉄道を合併した。1944年に、元阪和電気鉄道の路線を戦時買収で運輸通信省に譲渡(阪和線となる)した後、戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)により関西急行鉄道(関急)と合併、近畿日本鉄道となり、鉄道線は難波営業局、軌道線は天王寺営業局の管轄となった。しかしこの合併は、殆ど接点のない、経緯や社風が全く異なる者同士のものであって、当初から体制に無理が生じていた。当時の関急側の代表者であり、関急成立の立役者である種田虎雄でさえ、「南海との合同だけは、政府から無理強いされたもので、自分が望んだものではなかった」と語っていた。そういう理由もあって、終戦後に難波営業局員主導で分離運動が起こり、1947年に高野下 - 高野山間を運営していた高野山電気鉄道へ旧・南海鉄道の路線を譲渡する形で、南海電気鉄道が発足した(このため法人としての南海電気鉄道の設立日は高野山電気鉄道の設立日である1925年3月28日となっている)。1961年には、貴志川線(2006年に和歌山電鐵へ譲渡)や和歌山軌道線(1971年廃止)を経営していた和歌山電気軌道も統合している。なお、浪速電車軌道・(初代)阪堺電気軌道の路線については、1980年に南海子会社の(2代)阪堺電気軌道へ譲渡された。以下の各路線を有し、南海本線とその支線群(本線群扱いである空港線を除く)を南海線と総称している。南海線の各支線は「高師浜支線」というように「…支線」と称していたが、天王寺支線が廃止された1993年から空港線が開業した1994年頃より単に「…線」と呼ばれることが多くなった。なお、国土交通省監修の『鉄道要覧』には「…線」と記載されている。南海電鉄では優等列車として特急列車を運行しており、系統に応じて下記の愛称がある。各列車とも共通(「サザン」の場合は座席指定料金)。大人料金(小児は特記のない限り半額・10円未満切り上げ)。2014年4月1日改定。なお、乗り継ぎ料金制度はなく、座席指定特急同士を乗り継ぐ場合(例:天下茶屋駅、新今宮駅または難波駅で「りんかん」から「ラピート」に乗り継ぎ)は、各列車の料金がそれぞれ必要となる。前述のとおり、南海の特急は「サザン」の自由席車を除きすべて全車座席指定なので、乗車には乗車券のほかに特急券(座席指定券)が必要になる。特急券は1か月前から駅窓口(窓口でも定期券を発売している駅のみ)のほか、南海国際旅行や主要旅行代理店で買える。また、「南海鉄道倶楽部」(旧「NATTS鉄道倶楽部」)の会員であれば、インターネット上および携帯電話からも購入可能である(特急チケットレスサービス)ほか、同サービスによる特急券購入の代金として充当可能な「特急ポイント」の還元という特典も受けられる。なお、駅窓口での発券方法はJR線のマルスと違い、係員が空席情報を見て発券時に一番良いと思われる席を指定する方式である(空いていれば購入者自身で指定できる)。難波駅ではグループ会社の南海国際旅行が特急券の発売を南海より委託されている。新今宮駅、橋本駅など一部の駅ではホーム上にも窓口が設けられているが、多くの駅では改札内に窓口がないので、自動券売機が設置されている。自動券売機での発売開始は列車発車の20分前で、その時点で満席の場合は発売されずその列車には乗車できない。また、自動券売機では現金のみの取り扱いで、紙幣も千円札以外は使えない(ただし、難波駅では通勤の乗車が多くなる夕方以降は係員が一部の特急券自動販売機の側に特急の発車10分前に立って両替や誤購入等旅客の対応にあたっている)。南海電鉄における列車種別は以下の通りである。上記以外の路線では普通車のみの設定である。南海本線では空港急行と区間急行は行先が違うだけで停車駅は同じである。方向幕・種別幕などの案内表示では、快速急行は「快急」、区間急行は「区急」、準急行は「準急」、普通車は「普通」、各駅停車は「各停」と略して表示される。南海本線系統各線が「普通車」、高野線が「各駅停車」となっているのは、両線の列車が複々線の線路を並行して走る南海本線難波駅 - 天下茶屋駅間において、高野線の列車が走る東側2線の線路にしか今宮戎駅・萩ノ茶屋駅のホームがなく、西側2線を走る南海本線の列車はこの2駅をすべて通過するためである。1970年以前は南海本線からの各駅停車(東線ローカル)や高野線からの普通車も存在した。詳しくは各列車種別および路線の記事を参照。車両先頭の方向幕・種別幕の表示のほか、列車識別灯(通過標識灯)でも大方判別できる。列車種別の案内色は快速急行以外京阪と同じだが、区間急行と準急行の停車駅の方式が京阪とは逆転している。区間急行が南海の準急行の停車駅方式に準じ、準急が南海の区間急行の停車駅方式に準じている。英語表記も京阪の準急と南海の区間急行が「SUB EXPRESS」、京阪の区間急行と南海の準急行が「SEMI EXPRESS」というように逆転している。南海線検車区高野線検車区工場南海線列車区高野線列車区大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2014年4月1日改定。郊外型に近い路線体形で、京阪神間を走る大手私鉄と比べ利用客が少なめのため、中距離以上の運賃は近鉄などと同じように高めに設定されている。かつて南海の路線だった貴志川線とそれ以外の鉄道線は運賃体系が別々で、乗車キロの通算制度がなかったため、貴志駅 - (南海貴志川線)→和歌山駅 - (JR紀勢線) - 和歌山市駅 - (南海線) - なんば、のように利用するとかなり高くなってしまうという問題があった(この区間の例では、和歌山電鐵移管直前の2006年3月時点で貴志川線(14.3km)360円+JR紀勢線(3.3km)180円+南海線(64.2km)890円=1,430円。仮に運賃体系が同じで通算制度があれば当時の運賃額で南海(78.5km)970円+JR紀勢線(3.3km)180円=1,150円となる)。また、相互直通運転している泉北高速鉄道線の各駅と南海の各駅(中百舌鳥駅除く)間を中百舌鳥駅を経由して利用する場合の運賃はそれぞれの運賃を合算したものから100円(大人)を割り引いた額である。泉北高速鉄道線の運賃体系は南海と別であるが、割引額が大きいことから、乗車キロを通算して南海の運賃体系に当てはめた場合とほぼ変わらない。ただし、通勤定期運賃は南海に比べ割高である。乗継割引額引き上げ前は、泉北高速線の通学定期運賃も割高であり、通学1か月は中百舌鳥 - 和泉中央間 (14.3km) が泉北7,910円に対し、同じ距離に相当する南海(難波 - 白鷺間14.4km)の通学1か月は5,290円と約1.5倍の開きがあったが(普通運賃は泉北が320円、南海が330円)、2015年3月1日に南海・泉北高速線間の乗継割引額の20円から100円への引き上げと、泉北高速線内の通学定期旅客運賃の値下げが行われ、中百舌鳥 - 和泉中央間の通学1か月は5,940円となった。さらに分岐駅通過の特例として、南海本線と高野線との分岐駅である岸里玉出駅と、南海本線と加太線の分岐駅である紀ノ川駅には、いずれも優等列車が停車しないため(ただし後者は普通のほかに区間急行も停車する)、天下茶屋駅 - 岸里玉出駅間(天下茶屋駅#南海天下茶屋駅の項も参照)と紀ノ川駅 - 和歌山市駅間(南海加太線#運行形態の項も参照)ではそれぞれ、重複(折り返し)乗車が認められている。"特急料金(座席指定料金)については、「特急料金」の節を参照。"以下の各項目を参照。過去に発売されていたもの当初の社章は「羽車」と呼ばれ、車輪に羽根(翼)が生えたものであった。このデザインはヨーロッパ諸国の国営鉄道の紋章によく見られるものだが、南海がヨーロッパから車両を輸入した際この紋章の「車輪に羽根が生えれば速い」との意匠を気に入り、車輪の向きのみ変えて採用したとされる。1947年6月1日、グレートリングから改称した南海ホークスの球団名も、この「羽根=鳥」にちなんだといわれる。現在でも難波駅の北側入口上には、羽車をかたどったモニュメントが飾られている。また、南海の各駅に広告が掲示されている「羽車ソース」のマークも、南海の旧社章をモチーフとしたものである。1972年6月1日に制定された2代目の社章(作者・信貴徳三)は、旧社章の「羽車」の意匠を残しつつ、当時のコーポレートカラーであった緑色を取り入れ、より直線的なデザインとなった。株主優待乗車証・社員証や土地境界標などにおいて、現在も正式な社章として使用が継続されている。関西国際空港の開港を翌年に控えた1993年4月1日に、CI導入による「"NANKAI"」を表した3代目のロゴマークを制定した(作者・レイ吉村)。コーポレートカラーも、緑色からファインレッドとブライトオレンジの組み合わせへ変更した。イメージとしては、総合生活企業として未来に向けて力強く羽ばたいていく姿勢を表現している。阪堺電気軌道・和歌山バスなどの子会社に関しても、導入時期は多少遅れながらもこのロゴマークを親会社に追随して導入している。ただし、阪堺電気軌道の正式な社章は、現在も親会社の2代目の社章に近いデザインとなっている。南海では元来、標準語ではなく大阪弁(泉州弁や河内弁)、もしくは和歌山弁のアクセントや発音による車内放送が行われていた。ところが関西国際空港の開港を控えた1990年代初頭から、これらの放送が空港連絡鉄道として相応しくないとの批判が増え始めたため、アナウンサーによるイントネーション講習会の開催や手本となるカセットテープの配布、社内の「案内放送用語例」の改訂などを行い、現在のスタイルの原型を作り上げた。さらに2004年6月1日からは、「もてなしの気持ちを表現しながら、より簡潔・明瞭な情報をお伝えする」ため、車内案内放送が一部変更されている。また、これに伴い、車掌などアナウンスに関わる業務に携わる全従業員を対象に、発声等に関する全社的な研修が行われた。車内案内放送の主な変更内容(2004年)は以下の通り。その他、以下のような特徴が挙げられる。基本的に肉声での放送が主流であるが、支線区のワンマン列車や特急列車(ただし「サザン」では2011年からで、新型車両(12000系・8000系)での運用列車のみ)・8300系では自動放送が導入されており、この場合も上記の内容に準拠したものになっている。また、特急「ラピート」では、外国人観光客の利用が急増しているため、2015年から、更新工事を終えた50000系50001Fを皮切りに4か国語放送(日本語・英語・中国語・韓国語)の導入が開始された(未更新車は従来通り2か国語)。駅自動放送に関しては、放送スタイル変更以後に機器更新されたもの、及び2012年に新設された和歌山大学前駅も含めて、古い表現のまま使用されていたが、2013年の三国ヶ丘駅の放送設備更新を皮切りに、放送内容(停車種別や直近の停車駅など)が変更となった駅から順次新しい言い回しに改められている(ただし、それ以前から「足元の白線まで」の表現に限り、「(足元の)黄色の点字タイルまで」に順次変更された)。また、放送前のチャイムが3打点の駅と4打点の駅があるほか(4打点の駅は難波駅・和歌山市駅および高野線の一部駅のみ)、駅の自動案内放送が関西空港駅を除きすべて女声で統一されており、案内される内容が比較的簡素である。難波駅および空港線内各駅(泉佐野駅も含む)では、英語による列車名・種別の案内を行っている。高野線の山岳区間(橋本駅も含む)や支線の一部駅においては、駅自動放送が導入されておらず、中でも無人駅に至っては肉声放送を含む一切の案内放送がなされない。駅係員による肉声案内放送については、車内放送の項で述べた新旧スタイルが入り交じっており、統一にまでは至っていなかったが、2013年4月より新スタイルに基本的に統一された模様である。関西の大手私鉄5社に関西圏の在来線を運営するJR西日本を含めた6社の中で唯一、発車メロディや接近(入線)メロディの類を一切使用していない。主要駅を中心に「出発時機合図音」や「通過ベル」が使われているが、このうち出発時機合図音については、自動で鳴動する駅、駅員のスイッチ操作によって鳴動させている駅、自動・手動両タイプが混在する駅(待避線のみ自動で鳴動するタイプが大半を占める)とがある。自動で鳴動する駅は難波駅・堺駅・岸和田駅・泉佐野駅・和歌山市駅・和歌山港駅・関西空港駅・汐見橋駅・高師浜駅・多奈川駅・加太駅・住吉東駅が。通過ベルについては、終端駅や山岳区間の駅などを除く大半の駅で自動で鳴動する。電車が到着した際の案内放送は、かつては「行き先・種別」の順であったが、現在では「種別・行き先」の順である(例・只今到着の電車は特急和歌山港行きでございます)。関西の大手私鉄5社では阪急・京阪も同様の「種別・行き先」だが、阪神(普通を除く)・近鉄は「行き先・種別」の順である(例・名古屋行きの特急が○両編成で参ります)。また高野線の橋本駅で極楽橋もしくは高野下行きと連絡のある列車は、その旨の案内がある(例・ただいま到着の電車は高野山極楽橋(高野下)接続急行橋本行きでございます)。かつては「高野山極楽橋(高野下)連絡」とアナウンスされていたが、自動放送とホームの列車案内は2007年頃に「接続」と改められた。ただし車両の方向幕は、同じく2007年頃に更新(連絡便専用幕を追加)されたにも関わらず、「急行|橋本」となっている。また南海線でも和歌山港駅で南海フェリー(かつては高速船も)に接続する列車は肉声の案内放送で『四国連絡』とアナウンスされる。阪堺電気軌道では現在でも1988年以前に南海で使われていた自動放送を採用している。南海電鉄の駅では、CIを導入した1993年より、非常に多種多様なピクトグラム(図記号)を用いた案内サイン看板を使用し始めるようになった。その見易さや分かり易さから、社団法人日本サインデザイン協会が主催するコンテストで表彰を受けるなど、高い評価を受けている。近年設置されている駅サインのうちの一部のピクトグラムは、財団法人交通エコロジー・モビリティ財団が制定した「一般案内用統一図記号ガイドライン」に準拠したものも使われ始めているが、一方で、独特の斬新なデザインを取り入れた矢印の記号などは現在でも使われている。これらの駅サインに関するマニュアルは、1989年に同社内で制定されたが、このマニュアルに沿った駅サインが設置されている駅は、同社の厳しい財政事情が影響し、主要駅を中心にまだ少数にとどまっている。なお、南海が2008年3月28日に発表した『2010年までの3か年事業計画(堅進126計画)』において、提供するサービスの品質向上の一環として「案内サイン及び放送等の多言語化の推進」に取り組むとしている。韓国語・中国語を併記した案内表示や交通エコロジー・モビリティ財団の標準案内記号の導入に関しては、バリアフリー等の改良工事が終わった駅から順次導入されてはいるが、他社と比べると大幅に遅れており、その主要駅とそれ以外の駅との格差は大きいと言える。これは駅名標に限らず駅施設全体にも言え、バリアフリーの駅舎がある一方で木造駅舎や構内踏切などが残存している駅もいまだ多く、乗降客の少ない駅を中心にバリアフリーなどの改良工事がなかなか進んでいないが、2013年度から難波駅を皮切りにLED照明への切り替えを随時進めている。駅名標などにおける、固有名詞のローマ字表記については、多数の関西の鉄道事業者で小文字混じりの表記方法(例:「Ōsaka」「Umeda」など)が採用されている中、2015年8月現在でもすべて大文字表記(例:「NAMBA」「WAKAYAMASHI」など)の、鉄道掲示規程に準じた表記方法となっている。最新の駅名標のデザインは1993年にCIを導入した際にリニューアルしたものがベースとなっている。このため、1994年に開業した空港線では最新タイプのみしか存在していない。2012年4月1日に駅ナンバリングが全駅で導入されたが、大部分の駅では駅名標の改修は行われず既存のものにシールで貼り付ける形になっていた。しかし2013年以後は大半の駅で駅名標の交換が行われており、旧式の駅名標は数を減らしている。2013年から一部の駅を除いて改札口に16:9サイズのディスプレイを設置、通常時はCMを流している。各線で運行支障があった場合はこのディスプレイで運行情報が表示(主要駅では路線図で)される。また南海各線の運行情報のみならず、徳島航路や金剛山ロープウェイ(オフシーズンは除く)の運行情報、また沿線の海水浴場の遊泳禁止情報(夏場のみ)も流している。全線がJRの在来線と同じ軌間1,067mmの狭軌であり、関西の大手私鉄では唯一標準軌(軌間1,435mm)の路線を有していない。なお、近畿日本鉄道からの旧南海鉄道路線の譲り受け以前の例をのぞくと、過去には阪堺線・上町線(1980年に阪堺電気軌道へ譲渡)、平野線・大浜支線(廃止)の各軌道線が標準軌であった。軌間がJR在来線と同一であることから、総合車両製作所横浜事業所(旧・東急車輛製造)で製造した新製車両をJR線を走行して搬送(甲種輸送)することや、空港線のりんくうタウン - 関西空港間でJR関西空港線と同一の線路を共用する、といったことが容易に可能である。その一方、狭軌であるがゆえに、標準軌である大阪市営地下鉄堺筋線への相互乗り入れ計画が頓挫した(後述)。1963年の大阪市交通事業基本計画で策定された大阪市交通局高速電気軌道6号線(現在の大阪市営地下鉄堺筋線)と相互乗り入れを行う計画があった。6号線には、京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)も天神橋付近での相互乗り入れ希望し、それぞれの規格が異なっていたことから激論となった。大阪市は御堂筋線などの既設路線で1435mm軌間(標準軌)、直流750V 第三軌条方式を採用していたことから、6号線についても当初はトンネル断面を最小限に抑えられ、また自局他線との車両融通が容易なこの規格による路線建設を希望していた。そのため、それぞれ規格の異なる両社との相互乗り入れには消極的で、特に軌間、集電方式、電圧(当時、直流600V)の規格が全く異なる南海との乗り入れ対しては、当初から冷淡であった。最終的には、日本万国博覧会の開催決定や千里丘陵の宅地開発を考慮し、当時の運輸省大阪陸運局長の裁定によって、堺筋線を軌間1435mm、直流1500V架空電車線方式で建設し、阪急千里線と相互乗り入れとすることで決定。南海への乗り入れは実現しなかった。1971年12月8日都市交通審議会第13号答申では、堺筋線の動物園前 - 天下茶屋間が緊急整備区間に挙げられた。この区間の計画時にも大阪市と南海の協議が続けられ、南海は大阪市から標準軌に改軌して相互直通運転を行うことと、天王寺支線の廃止を求められた。南海はいずれも困難として交渉が難航したが、両者の歩み寄りにより南海が天王寺支線を廃止し、大阪市が南海との相互直通運転を断念することで合意した。
出典:wikipedia
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