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仮面ライダークウガ

『仮面ライダークウガ』(かめんライダークウガ)は、2000年(平成12年)1月30日から2001年(平成13年)1月21日まで、テレビ朝日系で毎週日曜8:00 - 8:30(JST)に全49話が放映された特撮テレビドラマ作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称である。キャッチコピーは「A New Hero. A New Legend.」(新しい英雄、新しい伝説)で、OP最後のタイトルで左上と右下に表示される。テレビシリーズでは『仮面ライダーBLACK RX』から10年ぶり、テレビシリーズ以外では『仮面ライダーJ』から6年ぶりとなる『仮面ライダー』作品であり、同時に「平成仮面ライダーシリーズ」第1作目に当たる。「クウガ」(漢字表記では「空我」)の名は「漢字で書ける名前」という提案を受けて、石森プロ社長の小野寺章によりクワガタの語感から命名された。昭和仮面ライダーシリーズ(以下、昭和ライダー)から世界観が一新されているが、一方で昭和ライダーへのオマージュも台詞や設定の随所に盛り込まれている。昭和ライダーとの大きな違いには、「仮面ライダーは改造人間」や「世界の支配を目的とする悪の組織」、「戦闘員」などの設定がなくなったこと、劇中で「仮面ライダー」という名称が用いられないことがある。医療技術の進歩によって臓器移植手術などが多く行われるようになったことが考慮され、「改造人間」という表現には抵抗があり、東映も「改造人間による影を持った主人公にしたくない」ということで新設定となった。また、本作品には従来の特撮ヒーロー番組にはなかった新たな試みが随所に見られる。身近な恐怖を演出するための現実感と、特撮ヒーロー番組にありがちだった矛盾点を解消させるための整合性を重視し、「グロンギ族は独自の言語と文化を持つ」、「クウガと警察が協力する」、「技名を叫ばない」などの設定が生まれた。作劇においては、従来ではスポットの当たりにくかった「回を追うごとの周囲の人々の変化」や「社会におけるヒーローと悪の存在の認知の過程」が描かれるなど、ヒーロードラマの視点だけではなく、一般ドラマの視点も重視している。このため、1話30分以内では1エピソードを満足に描き切れないということで、基本的に前後編の「2話で1エピソード」というスタイルを取っている。このスタイルは以降の作品にも引き継がれた。商業面では変身ベルトなどの人気で好成績を記録したが、ドラマ重視の作劇によって戦闘シーンが極めて短い回が多く、10月に発売されていたクウガの最終形態アルティメットフォームが、雄介の見た幻影を除き翌年1月の最終回直前まで本編に登場しない(出番もわずかだった)などの展開が行われたほか、逆にスポンサーの玩具会社の担当者も知らなかった新形態(アメイジングマイティフォーム)が登場し、急遽その商品が開発・発売されるなど、販促番組としても異例づくめとなった。また、最終回(第49話)ではAパートとBパートの間にCMを挟まずにEDまで放送し、変身後の主役ヒーローの登場や戦闘シーンが存在せず、主人公・五代雄介の出番もわずかであった。本作品以降、クロスプログラム(放送開始直前に挿入される映像)が頻繁に変更されるようになった。また、提供テロップのナレーションは出演者が交代で担当している。従来のシリーズとは異なり、ナレーションは次回予告と総集編のみに留まった。仮面ライダーのテレビシリーズ再開は1996年頃から企画が進められており、当初はウルトラシリーズを放映していた毎日放送制作、TBS系の土曜6時台での放送を目指していた時期もあった。初期タイトルは『仮面ライダーXV(クロスブイ)』と『仮面ライダーカワカミ』であり、ここで提示された複数の仮面ライダーを登場させる案が、人数を1人に集約することでフォームチェンジという発想につながっている。また別の企画タイトルの一つに『仮面ライダーガイア』があり、『ウルトラマンガイア』と競合したと言われている。毎日放送が「ウルトラマンのほうを選ぶ」と断ったためTBS系での放送は実現に至らず、東映の特撮番組『燃えろ!!ロボコン』を放映中という縁で制作局をテレビ朝日に変更することとなった。しかしテレビシリーズが中断して久しい『仮面ライダー』は、当時の感覚からするとすでに古びたブランドであり、テレビ朝日も「ネタがないから」と渋々引き受けた風だった。追い風となったのは『せがた三四郎』である。『仮面ライダー』で本郷猛(仮面ライダー1号)を演じた藤岡弘、が演じる同キャラクターは仮面ライダーの人気を盛り上げた。鈴木武幸によると、こうした盛り上がりが本作品の誕生につながったとのことである。またプロデューサーの髙寺成紀は、プライズゲームで仮面ライダーシリーズの景品が売上を伸ばしていたこともきっかけになったと証言している。当時は漠然と「好反応」とだけ認識されていたが、これはゲームセンターに来る年齢層がライダーに興味を示すようになった表れであり、旧作の視聴者が父親になって「親子2世代」ファンを形成する端緒であった。髙寺成紀の企画案『仮面ライダーガーディアン』はヒーロー色の強い明快な作風で、雄介のキャラクター設定にその名残がある。この時点での髙寺は、関係各社の期待を裏切らないように従来のヒーロー番組の路線に沿ったものを構想していた。その後、石森プロが提出した企画案『仮面ライダーオーティス』がホラー色や悲劇性の強いものだったために方向性の再検討を求められ、髙寺は抜本的な見直しを決意した。なお他の仮題には、漢字での表記が提案された後の「王者」という案も存在した。まったく新しい仮面ライダーを作ろうとする髙寺の意気込みは強かったが、初期案のファンタジックで型破りな主人公像を実現するには『インディ・ジョーンズ』並の予算が必要だとか、「地球人と宇宙人とのハーフ」という設定はライダーのイメージから離れすぎているという指摘を受けて、従来のライダーに新味を加えていく方法を模索することになった。髙寺が考えた「仮面ライダーらしさ」とは、ライダーという異形のヒーローの隣に滝和也や立花藤兵衛のような生身の人物が並び立つ「男と男」の構図だった。これは雄介と一条薫のバディという形で実際の作品に活かされている。一方、旧作の基本設定だった「改造人間」という要素は、必須のものではないと見なされて排除された。この時期の仮面ライダーというブランドには「2世代ヒーロー」以外に売り込む要素がなかったため、新世代を意識した旧作との差別化が図られている。制作には昭和ライダー以上に期間を設け、極力ご都合主義や設定破綻を避けるため、主に脚本づくりに時間をかけていた。特に本作品ではシリーズ構成や文芸部といった、東映作品としては珍しいポジションが設置されており、ストーリーや設定の統一がなされている。こうした手法に関し、髙寺はドキュメンタリー風のドラマ『ER緊急救命室』から受けた衝撃の大きさについて語っている。全編がHDTV (HD1080/60i) で撮影されており、当時としては異例の16:9の画面比率(レターボックスサイズ)で放映された。ただし、当時は撮影のみがハイビジョンで行われ、ポストプロダクション・完パケ・本放送はSDTVで行われた。そして、従来のアフレコ形式より同録形式に改められ、ビデオ撮影に対応した技術会社やクルーが参加することになった。しかし、長年に渡ってフィルムとアフレコ撮影で制作を続けてきた現場スタッフは、ビデオと同録での撮影方法に慣れていないことから現場の進行が滞り、撮影開始1週間でカメラクルーからスケジュール通りに予定カット数を撮影できないと苦情が発生。東映上層部で元のアフレコ撮影に戻そうという会議が行われたが、それを耳にした録音部のスタッフが撮影技師・いのくままさおに頭を下げて尽力することを訴え出たことで、スタッフ一丸となって同録が継続されるに至った。劇中のシーンが変わるごとに、劇中の時間と場所を表示する形式になっている。劇中の描写と時間の経過は整合性を取るために綿密に計算されているが、交通機関でのシーンでは劇中の時間を現実の時刻表に合わせるための調整が必要になるなど、苦労も多かったという。第2話の教会炎上シーンには莫大な予算がかかり、本作品の予算を逼迫させたとも伝えられているが、これについて高寺は「こっちで勝手に盛り上がった。絶対に予算の許可は下りないと思ったんですね。でも制作担当は簡単に許可してくれた。多分『初めてパイロットを撮る石田秀範監督を男にしよう!』と思ってくれたんだと思う」と語っている。ただし、教会炎上については過剰に言われている部分もあり、高寺は「教会よりも遺跡のシーンのほうが予算がかかっている」と述べている。九郎ヶ岳遺跡のオープンセットは映画並みのスケールで、スタッフが洞窟に入るための橋を架ける必要があったほか、映像にまったく映らない玄室への通路までわざわざ作られていた。リアリティ重視の路線を進んだ結果、設定や描写に生々しかったり過激な表現が盛り込まれているという意見もあり、純粋な子供向けのヒーロー番組を望む親を中心にクレームが多く寄せられるなど、物議を醸した。スポンサーからも、仮面ライダーの呼称が登場しないことや人間に近いグロンギのデザインなどにクレームがあり、東映内部からも2クール目から作風を変える指示も出されたが、髙寺成紀は決して譲らなかった。テレビ朝日プロデューサーの清水祐美や、急遽協力することとなった脚本の井上敏樹の尽力もあり、一貫した制作体制が維持された。結末の一つとして、雄介がグロンギの親玉であるン・ダグバ・ゼバとの激闘で命を落とす結末も考えられていたという。これは「人々を守るためとはいえ、彼も暴力を振るった責任を取らせるべき」という考えからだった。しかし、髙寺をはじめとするスタッフは「これからの厳しい時代を生きる子供たちに夢を与える番組で、その結末は残酷すぎる」という結論に至り、雄介が海外に旅立つ結末になったという。オートバイスタントにトライアル元全日本チャンピオン・成田匠が参加。旧作では室町レーシングやスリーチェイスなどのカースタントチームが参加していたが、「本物のオートバイ競技のアクションを取り入れたらどうか」とのスタッフの意向で成田に打診された。トライアルのアクションを取り入れる動きは『仮面ライダーストロンガー』の時代にも試みられたが、事故で断念されており、25年ぶりの試みとなった。車種の選定も成田によって行われ、初のスペイン車によるライダーマシンが完成した(車種の詳細は後述)。成田の初登場となる第4話では様々な段差や障害物を越えて縦横無尽に駆け回る姿が描かれ、従来のアクションとは違うことが強調された。その後もウィリーによる「前輪パンチ」やジャックナイフによる「後輪キック」など、トライアル技の応用によるダイナミックなアクションが展開された。また、第31 - 33話で、成田匠の弟の成田亮がバイクを操る怪人ゴ・バダー・バを演じた。バダーのマシンであるバギブソンは、トライチェイサーと同じパンペーラを使用した。2人のプロ選手による湘南海岸での戦いは多くのトライアル技術が披露され、従来描かれていた土煙を上げて交錯するうちに敵が倒れていくオートバイ戦とはまったく違った画面が完成した。本作品もヒーローと怪人の戦いを描いているが、同時に「怪人出現という事件の起きた時代を捉えたドキュメンタリー」の様相も帯びている。怪人への恐怖が社会に蔓延する中で「こんな時代に子供を産んでいいのか」という不安を抱く保育士、仕事に追われて息子の授業参観に行けず涙する研究者、TV批判を口にする教師など、ヒーロードラマという枠の内では解決しきれない問題を視聴者に投げかけている。30分番組の中で実社会を描くことには限界があるため、こうした個人の描写に社会の反応を集約させている。刑事ドラマとしての側面が強いが、これは『機動警察パトレイバー』から平成ガメラ、平成ウルトラマンシリーズ、さらに『踊る大捜査線』を経て発展してきた官僚機構としての警察を描く手法を取り入れたものである。特撮作品にありがちな、超技術を保有しているのにやられ役を演じる防衛組織とは異なり、本作品での警察は連携する医師や研究者なども含めて超能力を持たない普通の人間であり、勇気と責任感で超常現象に立ち向かう。警察組織の描写のリアリティを追求するため、脚本の荒川稔久は「もし本当に怪人が出たら、どの部署が対応するのか」と埼玉県警察に問い合わせた。回答によれば「殺人課は人間の起こした犯罪事件を取り締まるものなので違う。出動するのはおそらく警備部の野生動物を管轄するところだろう」とのことであり、一条薫は長野県警警備部所属と設定された。ほかにも通信の場面で当初使われていた「本部より」を「本部から」に改めたり、パトカーの出入りに使う扉の方向を決めるなど、細かな事象でも現実の警察を意識している。ただしすべてを現実に合わせているわけではない。たとえば「本部長」という呼称は実在しないが、対策本部の統率者と理解しやすいため劇中で使われている。自衛隊の出動にまで至ると、パニック物という別ジャンルの作品になってしまうため、劇中での事件対処はあくまで警察の域に留まっている。後の平成仮面ライダーシリーズ(以下、平成ライダー)に比べると、勧善懲悪的と言われる。劇中の悪はグロンギだけで、人間は善として描かれている。悪と言ってもグロンギは、ショッカーのようなピラミッド型の敵組織ではない。これは当時まだ1995年までにオウム真理教が引き起こした一連の事件の記憶が鮮明であり、連想させかねないようなモチーフを使えなかったことが一因である。また、元々は怪獣好きとして知られる髙寺が怪獣映画の人間サイズ版を志向したのだろうと、切通理作は推測している。普段の外見は人間と変わらない存在でありながら、まったく理解できない理由で殺人を繰り返すグロンギは「怪物ではなく人間、もしかしたら隣人こそが恐ろしい」という現実の社会の恐怖を、子供向けに翻訳したものであると虚淵玄は解釈している。凶悪化する少年犯罪への対策が叫ばれ、加害少年を保護する少年法の改正案が国会に提出されたその時期に、第34・35話が製作された。ゴ・ジャラジ・ダ(人間態も少年)は快楽的に高校生を次々と惨殺、ジャラジに狙われて怯える生田和也少年に、雄介と一条はジャラジから守ることを誓う。そして、怒りに震えるクウガはジャラジに凄まじい暴力を振るってとどめを刺した。白倉伸一郎は「殺人者は少年であっても厳罰に処する」というメッセージを読み取っている。殺害事件と対比する形で、わかば保育園での社広之と寺島周斗の喧嘩が描かれている。広之から傲慢な態度を非難された周斗は素直にそれを認め、2人は和解した。雄介は「人間だからわかり合える」と信じていた。これを観た國分功一郎は、「懲悪の側に強く同一化した大人の作為というものを感じざるを得ませんでした」と語り、白倉に賛同している。それに対し切通は、グロンギを同じ人間の中の異分子と捉える見方に異論を唱えている。切通は『クトゥルフ神話』が世代を超えて書き継がれるように、闇の恐怖や未知の怪物への畏敬を失うまいとする流れがあり、その怪人版がグロンギだったと解釈している。しかし、後の平成ライダーでは人間同士の争いにテーマが変遷したため、未知なる存在と人間の戦いを描いた本作品の感覚がわかりづらくなったのだろうとも述べている。ヒーローが担う正義について、管理秩序社会を志向していると白倉は指摘する。第25・26話ではゴ・ブウロ・グ出現と同時に、雄介の小学校時代の恩師・神崎昭二の現在の教え子である霧島拓が、栃木から1人で東京にやってきた。拓は未来に悩んだ末、昔よく遊んだ思い出の場所を訪れる。神崎から連絡を受けて拓を捜索した雄介は、拓に「もっと悩め」と激励する。白倉はこれを、「子供が規定された生活圏から逸脱するのは、ヒーローに出動が要請されるほどの大事なのだ」という感覚の発露としている。また、宇野常寛は「正義が虚構となった時代だからこそ、あえて正義を語るのだ」という物語回帰性を指摘、暴力の持つ欺瞞を「あえて」引き受け、さらに少年少女を教導する役も負う、市民道徳の体現者として主人公を見ている。この件についても切通は別解釈を提示しており、教師から相談された主人公が、ヒーローではなく1人の人間として少年に接し、問題を解決しようとする姿を描いたのだと捉えている。海老原豊は、後半になって敵が強力になっていくほど、逆に戦闘描写が減少する傾向に注目し、暴力制止のために暴力を振るうという正義の矛盾に解を示さないまま、その矛盾を引き受けた主人公を画面からフェイドアウトさせることで、むしろ正義の困難性というメタメッセージを発信しているとする。いずれにせよ、子供たちに正しい大人の生き方を示そうとする髙寺と、価値観の一元化こそが諸悪の根源とする白倉では、正義の考え方がまったく相容れないのは明白である。しかし、この2大プロデューサーの相克が、のちに続く平成ライダーを進化させていく原動力となったと、井上伸一郎は述べている。仮面ライダー玩具の定番である変身ベルトはソニックウェーブDX変身ベルトの商品名で発売された。ひとつの商品で長く遊んでもらうためと、劇中のアークルが唯一無二の存在だったことから『仮面ライダーBLACK RX』のようにフォーム毎でベルトを変えるのは止め、多色発光によってフォームチェンジを表現している。しかし当時まだ多色LEDが普及していなかったため、赤色以外はムギ球で光らせている。ステレオ音声が一般的になったテレビ事情に合わせて、ベルトにもスピーカーを2個搭載。開発陣はアクション監督の金田治、スーツアクターの富永研司とともにスイッチを押すところまで含めた変身ポーズを考案し、以後のシリーズでポーズと玩具ギミックが連動する流れを作る。ドラゴンロッド等の武器玩具もそれなりに売れたが、キックが決め技の仮面ライダーらしさを意識して合体武器路線を避け、強化パーツ「ライジングパワーセット」を発売。以後の年末商戦における仕掛けの基本となった。パーツを換装することでフォームチェンジを再現できるフィギュア「装着変身」シリーズも好評だったが、劇中での出番が多くないグロンギ怪人のソフビ人形まで売れたことはバンダイの想定外であり、商品化においては露出時間の長さではなくキャラクター性の強さが重要だという認識を促した。最終回のバンダイ玩具CMでは、ファンに向けて「五代雄介と一条刑事をいつまでも忘れないでね」という特別メッセージが表示された。放送開始当初は視聴率が前作『燃えろ!!ロボコン』から低下しており、「やはり仮面ライダーは過去のものか」と思われていたが、2クールから脚本に参加した井上敏樹は、視聴率は悪くなくファンも付いていたと述べている。支持者の年齢層は、前半は30代の男女が圧倒的に多く、次第に高校生前後の少年が増えていった。本作品は元々大人の視点を意識して作られているが、これは「父と子の2世代が一緒に視聴する」という意味である。しかし、実際にはイケメン俳優目当ての母親層や、雄介と一条の関係に着目する腐女子ファンまで流入した。インターネットが普及中だった時代に開設された公式ホームページに対する反響は大きく、最終回放映日のヒット数は27万に達した。2002年に第33回『星雲賞』映画演劇部門・メディア部門を受賞した。特撮作品が同賞を受賞するのは『ウルトラマンティガ』に次いで2作目であり、仮面ライダーシリーズでは初の快挙となった。西暦2000年。長野県山中の九郎ヶ岳で謎の遺跡が発掘されたが、棺の蓋を開けたことで目覚めた謎の存在によって、夏目幸吉教授らの調査団は全滅させられてしまう。捜査に当たった長野県警刑事・一条薫は五代雄介と名乗る冒険家の青年と出会う。雄介はそこで見せてもらった証拠品のベルト状の遺物から、戦士のイメージを感じ取る。ズ・グムン・バに遭遇した雄介は、咄嗟の判断でベルトを装着して戦士クウガに変身した。そして、人々の笑顔を守るために怪人たちと戦うことを決意する雄介。以後、クウガと怪人たち=グロンギは「未確認生命体」と呼ばれ、人々に認知されていく。古代で九郎ヶ岳遺跡の棺に埋葬されていた人物が、体と同化する装飾具アークルによって変身する戦士。永遠にグロンギを封印するため、自身もアークルとともに棺に入って封印していた。現代でアークルが発掘され、アークルが雄介に同化してからは雄介が変身する。装着者の意志にアークルが呼応すると、アークルの色が変化する不思議な力が宿った石・アマダムが持つモーフィングパワーを原子・分子レベルで分解・再構成する能力で、多彩な形態に装着者を変身させる(雄介は形態を変える変身を「超変身」と呼ぶ)。さらに、雄介が第19話で蘇生処置の際に受けた電気ショックによってアマダムは変質していき、基本フォームそれぞれの発展系である4つのライジングフォームや、さらなる強化体アメイジングマイティへの変身能力を得る。戦い続けるとクウガはグロンギの首領たる「究極の闇をもたらす者」に等しいアルティメットフォームと化す。フォームの総数は11種(アルティメットフォームを複眼の色で区別すると12種)。当初は状況に適応したフォームに自動的に変身することがあり、雄介は当惑していた。手首にあるリングから発せられるモーフィングパワーで手にした物体を各フォームの専用武器に変換して使用し、必殺技を繰り出す時は手足のリングから発せられる封印エネルギーをキックや武器によってグロンギの身体に流し込む。封印エネルギーはそれを帯びた攻撃を標的に直撃させずとも、接触した物質によって伝達されていき、これを受けたグロンギのベルトは封印エネルギーと反応して爆発する。またベルトを装着していないメ・ギノガ・デのクローンが封印エネルギーを流し込まれた際は身体が溶解することが確認されている。劇中では「仮面ライダー」と呼ばれていない。雄介が第2話でズ・ゴオマ・グが自分に向けて放った言葉の中に「クウガ」という単語を聞き取って以降、この名を使用。雄介から伝えられた知人の一部も「クウガ」と呼称するが、それ以外の者は「未確認生命体第4号」と呼ぶ。モチーフは当時子供達にカブトムシより人気だったクワガタムシが選ばれた。カブトムシをモチーフにした仮面ライダーストロンガーもデザインの参考にされた。決定デザインは仮面ライダー1号をベースとしている。フォームチェンジは仮面ライダーBLACK RXのようにすべての形態でデザインが異なる案も存在したが、別人のように見えるために頭部は眼の色を変えるのみとなった。アルティメットフォームのデザインは石森プロではなく、グロンギのデザインも担当したPLEXによる。劇中では「○(各フォームの体色)のクウガ」と呼ばれている(それはテレビ朝日の公式ホームページのストーリー紹介でも同様だった)第7話のシナリオでは桜子がフォーム名を命名するシーンも用意されていたが、尺の都合でカットされた。マイティフォームとグローイングフォーム以外は胴体の形状も変化する。括弧内は使用フォーム。EPISODE15から登場。リントがクウガ支援用に作った、意思を持つ馬の鎧。巨大なクワガタムシ型の通常形態を持つ。霊石アマダムを内蔵し、クウガの求めに応じて飛来する。単体でもクウガが脚に掴まった状態で飛行でき、トライチェイサーやビートチェイサーに合体して強化する(その際、ゴウラムの力で融合しやすいように変形する)。トライチェイサーとの分離時は金属成分を失って化石状の破片に戻ってしまい、その度に金属を何らかの手段で補給することで形を保っていた(ビートチェイサー2000のタンクはその配慮)。普段は科警研で保管され、時折リント語を発している。クウガがアルティメットフォームとなって理性を失って暴走すると、ゴウラムの力が悪用されないようゴウラムが砂となり自滅するようアマダムに力が込められている。雄介が憎しみの心を抱かずにアルティメットフォームに変身したので、グロンギ壊滅後にそのままの形で残っている。ゴウラムが話すリント語はオダギリジョーが吹替えを担当している。小説『MASKED RIDER KUUGA EDITION -オデッセイ-』『MASKED RIDER KUUGA EDITION -DARK SIDE-』では、ゴウラムが馬に合体した鉄騎が登場する。人間とほぼ同じ身体・血液構造を持つ、人類に極めて近い種族(のちにその1体は人間と自分達は等しいと述べている)。残虐かつ闘争心旺盛であり、超古代にクウガによって封印されていた。九郎ヶ岳遺跡発掘に伴い、200体余りが現代に復活。警察や世間からは「未確認生命体」と呼ばれている。普段の外見は人間と変わりないが、体のどこかに怪人体を表す刺青がある。腹部にアマダムと同質の物体「魔石・ゲブロン」が埋め込まれており、拳銃で武装した警官隊も一掃できる怪力と、胸を撃ち抜かれても死なない脅威的な再生・回復能力を持ち全員が動植物の力を持った怪人体に変身する。クウガとグロンギは基本的に同じ力を有している。ゴ集団やズ・ゴオマ・グのように、より強力になるほど体が黒く変化していく。クウガの技で死亡する場合、ほとんどは体に打ち込まれた封印エネルギーが腹部の核に伝達することで爆発する(そのため、クウガの必殺技を受けた身体の箇所を強引に引き千切って逃走した怪人もいる)。ン・ダグバ・ゼバを頂点とし、ゴ集団・メ集団・ズ集団の階級が存在し、階級ごとに怪人体時に装着しているベルト「ゲドルード」のバックルやプロテクターなど、装飾品の色が異なる。リント(現代人をリントの末裔と見なしている)を標的とする殺人ゲーム「ゲゲル」を、進行役のラ集団のもとで行う。登場時期が後になるほど強さが増していき、ゴ集団の終盤の3体はクウガのフォームチェンジに当たる形態変化が可能。強さはゲブロンの強さに比例し、爆発した際の被害も甚大になる。特にライジングマイティキックで倒すと、爆発規模は半径3kmに及ぶ(ゴ・ガメゴ・レやゴ・バダー・バなど)。他に、ダグバのベルトの修復など裏方仕事を担当していたヌ・ザジオ・レ(登場したのは人間体のみ)や、本編ではゴ・ジャーザ・ギの台詞で存在が示唆されただけのベ集団もいた。独自の言語「グロンギ語」を話し、位取り記数法として九進法を用いる。個体差はあるが日本語や自動車・バイクの運転、インターネットなどを短期間でマスターするほど知能は高い。ゴ集団の中には人類の文化・芸術に興味を示して熟達する者もいた。人類はあくまでもゲゲルの標的=リントであり、クウガすらゲゲルの難度を上げる障害物かやや強い標的としか見ていない。人間社会との文化の違いのためか、服装のセンスも一部の者を除いて通常の人類とは大きくかけ離れたものとなっている場合が多い。倉庫・廃墟・植物園・水族館・飲食店など営業していない複数の施設をアジトとして使い、彼らの文化に合わせたかのようにマネキンや鎖などで個性的な装飾を施すか、最初から神秘的な内装をされている店内などを好んで使っている。九郎ヶ岳遺跡のある長野県を皮切りに山形県から岐阜県まで広い範囲で行われたが、主に人口の多い東京都を中心とする関東地方周辺に集中していた。グロンギが関係すると思われる殺人・窃盗などの事件は「未確認生命体関連事件」として広域指定事件とされ、警視庁に置かれた合同捜査本部によって捜査される。グロンギは毎回1体ずつ登場するということがなく、ストーリーの節目となる回ごとに数名がバルバのもとに人間体で現れ、自分がゲゲルを行う順番を待っていた。初登場から怪人体になるまで数週かかった者も多い。怪人体が出現した順に「未確認生命体第○号」と呼称されるが、上述のような事情に加えて設定のみで本編未登場のグロンギも多いため、本編での登場順とは一致しない。なお、人間体しか目撃されていていなくても未確認生命体と判断される場合は、「未確認生命体B群」として分類される。劇中で詳しい出自などは最後まで書かれなかったが、『MASKED RIDER KUUGA EDITION』では地球に落下した隕石により、DNAの塩基配列が変化した狩猟民族とされる。名称の末尾の語は、もとの生物の種別を表している。本編未登場を含めたグロンギの一覧については、仮面ライダーシリーズ怪人一覧のグロンギ(未確認生命体)の項を参照。ゲゲルに参加資格を有する階級集団。すべてのグロンギが参加資格がある訳ではなく、各集団の実力者が参加資格を有する。ゲゲルに参加できないが裏方として、ゲゲルの運営を担当。ラ・ドルド・グはゴ・ガドル・バと互角に戦った。最強のグロンギに与えられるグロンギの最高位の階級で、「究極の闇をもたらす者」と呼ばれている。グロンギの中でも桁違いの戦闘力を持つ存在であり、身体能力は無論、特殊能力も他のグロンギと大きく差がある。頂点ゆえに本編に登場するのはダグバのみ。バックルの色は黄金であるほか、他の階級のグロンギよりも派手な形状となっている。定められた期間内に定められた人数の人間を殺すゲーム。ズ集団のゲゲルではバルバが制限時間と人数を定め、メ集団では自己申告で目標を決める。一度にゲゲルを行う「ムセギジャジャ」(プレイヤー)は1名のみで、「ムセギジャジャ」(プレイヤー)以外のグロンギはゲゲルの最中は人間を殺さず、警官隊に襲われても抵抗もせず逃げてしまう。ゲゲルの進行によっては下位集団のゲゲルが停止させられる場合もあり、それに不満を覚えた者が暴走・反抗に出たこともある。殺害人数のカウントは、ドドゾ(ボード)とグセパ(腕輪)でそれぞれ行う(ドドゾが警察に押収されてからは、バグンダダが代用されている)。ゲゲルに成功した者は上位ランクに昇格する(劇中ではガルメがズ集団からメ集団に昇格)。ゴ集団が行うゲゲルで、意味は「セミファイナル・ゲーム(超古代語対訳版では黒き闇のゲーム)」。メ集団壊滅から1ヵ月後に開始された。通常のゲゲルと異なり、殺害方法に武器の使用が義務付けられ、各々が定めた条件を満たす相手だけを殺す。殺害人数のカウントも本人ではなくドルドが行う。ゲリザギバス・ゲゲルに成功すれば、ダグバと1対1で戦う「ザギバス・ゲゲル(ファイナル・ゲーム、超古代語対訳版で「白き闇のゲーム」)」に臨み、ダグバを倒せば彼の変身ベルトを受け継いで強大な力を手に入れられる。グロンギの人間体は、予算の都合からスーツでのアクションを減らすために考案された。その一方で、怪人のスーツはアップ用とアクション用の2種類が用意されている。ハイビジョン撮影ではスーツの材質や造りがそのまま映ってしまうため、従来とは異なる工夫がなされた。スーツにはゴム素材を用いており、スーツをスーツアクターに密着させることでしわをなくすため造型時には毎回スーツアクターのフィッティングを行っていた。腰布などの衣装は股関節などのシワになりやすい部分を隠すためにデザインされ、次作『仮面ライダーアギト』のアンノウンでも引き継がれている。日中や屋内の撮影でも筋肉の隆起などのコントラストを強調するため、着色したラテックスを重ね塗りして陰影を表現している。世間ではヒーロー像の固定観念ができあがっており、オーディション出場者の多くが、何かにつけて「ゴルゴムの仕業だ!」と力んでいた『仮面ライダーBLACK』の南光太郎のように大仰な芝居をしたため、主人公の五代雄介役の選出は難航した。その中で、最後のオーディションに出たオダギリジョーはまさにハマリ役だった。オダギリはイメージや価値観が凝り固まった特撮ヒーロー作品に強い抵抗感を抱いていたが、それを隠そうとしない裏表のなさがむしろ五代役に最適と判断された。オーディション終了後もオダギリは出演を断るつもりでいたが、髙寺プロデューサーに「あの仮面ライダーではなく、むしろ違うものにしたいと思っているから、力を貸してほしい」と説得されて、引き受けることにしたという。オダギリと一条を演じる葛山の人気は男性アイドル雑誌にも露出するなど異例の注目を集め、「イケメンヒーロー」と呼ばれる、従来特撮に関心がなかった層を新たに取り込んだムーブメントを生み出した。髙寺プロデューサーと付き合いが長いということで荒川稔久(荒川は、平成ライダーでは、唯一のメインライターでの参加)が前番組から続投、メインライターになり、前述のとおり井上敏樹がサブとして参加した。また髙寺の知己で、特撮雑誌『宇宙船』の編集者、また『TVチャンピオン』「TVヒーロー王選手権」の連続王者でもあった大石真司が文芸担当として迎えられ、緻密なヒーロー像やストーリーラインを構築した。他にも、当時はまだ武蔵野美術大学の学生だった阿部卓也が企画検討段階からデザイナーとして抜擢されるなど、斬新なスタッフワークが採られた。阿部は完璧な意味を持つ古代文字を構築した他、グロンギ怪人のベースデザインを作った。阿部は学業との両立が困難になって途中から作品を離れるが、後をプレックスなどに属する職人デザイナーたちに託し、劇中最後の敵、ン・ダグバ・ゼバのデザイナーとして復帰した。大石、阿部、そして特撮ヒーローを大胆に解釈した作風で、演劇ファンから人気があった劇作家・演出家のきだつよしら、本作品で実質、髙寺プロデューサーに「一本釣り」されたことで本格的に商業特撮作品に携わったスタッフ達は、後に同じ髙寺プロデューサーの『仮面ライダー響鬼』(プロデューサー交代前)時にも招聘され、深く関わっていくことになる。演出陣では、石田秀範が初のメイン監督を担当した。また、戦隊サイドにいた渡辺勝也、長石多可男といった髙寺プロデューサー縁の演出家も集結している。因みに当初は石田がメインを務める予定ではなく、別の監督がパイロットを撮り石田は第3・4話を撮る予定であった。しかし髙寺とその監督の意見が衝突し監督が降板、急遽石田にパイロットのお鉢が回ってきたとのことである。その皺寄せがありハードスケジュールが祟ったせいか石田は撮影中に倒れてしまい、パイロット作品ではチーフ助監督の鈴村展弘が演出を代行した箇所もあるという。『仮面ライダーアギト』以降の作品で劇場版が連年制作される中、TVシリーズ放映当時から署名サイトが開設されるなど、本作品の映画化に向けた活発な署名・要望活動が行われた。これに対し、番組終了後に発売された『超全集』最終巻でオダギリ・髙寺から映画化の約束のコメントが載るなど、当初はスタッフ・キャストも映画化に前向きな姿勢を見せていた。2001年、髙寺は大泉の東映撮影所に足を運び、坂上所長の元で『クウガ』の映画化に向けて準備をしていた。しかし成果は上がらないままで、企画が通らず出資者が集まらないらしいという噂が流れた。髙寺は、白倉伸一郎が主導する劇場版『アギト』の制作体制を懸念しており、「予算・スケジュール共に『クウガ』はしっかりした体制で作りたい」と高い要望を抱いていたが、結果を見れば慎重さよりもチャンスを逃さないことを選んだ白倉のほうが商業的成功を遂げた。資金集めは行き詰まり、2002年に髙寺が角川書店事業部長・井上伸一郎を訪ねたときも、出資依頼を切り出せずに帰ったという。そして2006年6月1日付で、髙寺により映画化に至らなかったことへの謝罪メッセージが公式サイトに掲載された。劇場版『クウガ』こそ実現しなかったが、「仮面ライダークウガ」というキャラクター自体は2009年公開の『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』において、初の映画登場となった。劇中の音楽は佐橋俊彦が担当したが、作品の雰囲気を尊重するため、佐橋サウンドの持ち味だったオーケストラの使用を避け、アクションテーマはバンド編成による激しいロック、 怪人襲撃・暗躍を表現する音楽はシンセサイザーによる音色で、洋画ホラー物のような雰囲気を演出しており、それまでに佐橋が手掛けた作品とは全く異なる音楽世界を確立している。本人もインタビューなどで、普段の自分のスタイルとは違ったことを試みた、という主旨の発言をしている。当初、最終回の音楽を完成したVTRマスターに合わせて録る話があったが、間に合わず結局不可能となった。これを実現していたならば、佐橋はスケジュールに追われて楽曲制作の質が落ちることを防ぐため、次作『仮面ライダーアギト』の音楽担当を辞退するつもりだったという。仮面ライダー関連CDとしては最後の8cmシングルでのリリースとなった。これらは放送時8cmシングルでそれぞれリリースされ、後に『仮面ライダークウガ ソングコレクション』『仮面ライダークウガ ソングコレクション2』に収録された。「“t”」のみマキシシングルとしてリリースされ、JOE ODAGIRI名義のアルバム「WHITE」には収録されたがクウガ関連のアルバムには収録されていない。全曲本編未使用。全編通してサブタイトルは漢字2文字で統一、放送回数は「EPISODE」と表記。アバンタイトル前と各話終了時にはリント文字が表示され、終了時の背景には一部を除き、その回で活躍したフォームの色が使われる(ライジングフォーム時はリント文字の周辺が光る)といった演出がなされている。特番などによる放送休止は以下の通り。いずれの作品にも仮面ライダークウガが登場。前出の事情から、本作品単独での映画作品は存在しない。

出典:wikipedia

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