山本 直樹(やまもと なおき、1960年2月1日 - )は、日本の漫画家(大学時代は同人漫画家活動も実施)。北海道松前郡福島町出身。北海道函館中部高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。劇画村塾3期生。水瓶座、血液型AB型。主に青年漫画を執筆。別に、成人向け漫画を執筆する「森山 塔」(もりやま とう)、「塔山 森」(とうやま もり)の名義がある。1960年2月1日、北海道松前郡福島町に生まれる。両親、さらには父方・母方の両祖父が学校の先生という教育者の家庭で育った。小学生のころ、自身にとっての「エロのルーツのルーツ」ともいえる『ハレンチ学園』を愛読。高校時代は、筒井康隆の小説を読んで本の面白さに目覚める一方、下宿先の女性の先輩から『りぼん』を借りて読んでいた。1978年、北海道函館中部高等学校を卒業し、早稲田大学に入学。入試で第一文学部に落ちたため、教育学部に進学した。大学時代は、萩尾望都、大島弓子、山岸涼子、吾妻ひでお、大友克洋などの作品に親しむ。1979年、大学2年の冬に、友人たちとSF小説、少女漫画、ニューウェーブなどの話をするうちに、それまで読むばかりだった漫画を自分でも描き始める。1981年、小池一夫が主催する「劇画村塾」に入塾する。同期には堀井雄二、とがしやすたからがおり、その熱気に影響されて同人誌の作成を思い立つ。1982年、劇画村塾の有志が製作した同人誌に同人漫画家として初めての成人向け漫画を発表する。大学卒業に際して、就職活動はせずに、漫画の投稿、持ち込みを始めた。1984年、森山塔名義で『ピンクハウス』(日本出版社発行の自販機本)に掲載の「ほら、こんなに赤くなってる」でデビュー。同年、山本名義でも「私の青空」で『ジャストコミック』新人賞を受賞しデビュー。デビュー当初は、「山本 直樹」名義でストーリー性のある青年漫画を描く一方で、「森山 塔」・「塔山 森」名義で成人向け漫画を描いていたが、両者の境界はなくなっていった。1991年 、『Blue』が初めて東京都青少年保護育成条例で有害コミック指定を受け、当時沸き起こりつつあった有害コミック論争の中心的存在となる。有害コミック論争以降も作風は変わらず、『ありがとう』では更に過激な描写を見せた。 2000年からは、漫画雑誌『マンガ・エロティクス』(現・『マンガ・エロティクス・エフ』、太田出版)のスーパーバイザーを務めながら、同誌に作品も発表している。2006年、『イブニング』(講談社)で連合赤軍事件を題材にした 『レッド』の連載を開始し、2010年には同作品で第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した。ミュージシャンのムーンライダーズ、フランク・ザッパなどのファンである。自分でも音楽活動を行なっている。『とらわれペンギン』などのように音楽にちなんで漫画作品のタイトルを付けることがあるほか、作品の題材として音楽を取り上げることがある。同じく漫画家の江口寿史、とり・みき、吉田戦車らと交友関係がある。正気でない人やエロを題材とする作品を描くことが多い。大胆な性描写とシャープな演出センスで問題作を発表しており、愛とセックスに溺れる弱い人間たちが織り成す悲哀を過激に、シニカルに、そしてややユーモラスに描く。性描写が問題になった有害コミック論争以降も作風は変わらず、『ありがとう』では更に過激な描写を見せ、レイプ、新興宗教、いじめなどの困難に屈せずに奮闘する父を描き、「家族とは何か」という問いを投げかけた同作は、高く評価された。技術的な特徴としては、かなり早くから漫画にMacintoshによる作画(CG)を取り入れていることが挙げられる。1993年ごろから漫画を描くのにパソコンを使い始め、「Aldus SuperPaint」という現在では発売中止になった(開発元のAldusがAdobeに買収されたため)ソフトを現在も使っている。執筆方法の変化により、『フラグメンツ』以降の絵はそれまでよりも繊細になっている。かつては飛龍乱・奥浩哉・山本夜羽音・猫島礼らがアシスタントを務めていたが、近年はアシスタントを雇わずに独力で執筆している。これ以降の本は再刊・再編集。
出典:wikipedia
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