水島 広子(みずしま ひろこ、1968年3月21日 - )は、日本の精神科医、医学者(精神神経科)、政治家。学位は医学博士(慶應義塾大学)。総務省顧問、慶應義塾大学医学部講師、水島広子こころの健康クリニック院長。衆議院議員(2期)などを歴任した。東京都に生まれる。桜蔭高校を経て慶應義塾大学医学部卒業、同大学院博士課程修了。その後、慶應義塾大学の医学部にて勤務した。指導教授の大野裕に紹介され、米国から対人関係療法を導入した第一人者。特に摂食障害の治療に画期的な進歩をもたらした。2000年の第42回衆議院議員総選挙で、民主党候補として栃木1区から出馬、船田元を破って初当選。この選挙では不人気の森内閣のもと自民党が苦戦し、民主党から多くの新人議員が当選した(1区現象)。水島は1年生議員にもかかわらずマスコミ出演が相次ぎ、代表質問に立つなどして話題になった。2003年、静岡空港建設反対の国会議員署名活動では署名者に加わった。平成15年(2003年)第43回衆議院議員総選挙では、上記の船田元に敗れるも、比例で復活当選した。在職中は、主に厚生労働委員会と青少年問題に関する特別委員会に所属し、質問、議員立法を行った。児童虐待防止法改正時には、超党派の作業チームの一員として、議論をリードした。民主党「次の内閣」では雇用担当大臣をつとめ、パート労働者の均等待遇推進法案を提出したほか、国会で初めて「ニート」という言葉を紹介し、民主党の若年雇用政策をまとめた。この他、民主党男女共同参画調査会会長時代には、党の男女共同参画政策である「多様なライフスタイルを生きる時代の自立と安心の政策」、次世代育成支援プロジェクトチーム座長時代には民主党の少子化対策政策である「育ちはぐくむ応援プラン」をまとめた。水島の質問は、BCG予防接種の期間の変更や乳児院と児童養護施設の断絶問題を改善する法改正の端緒となった。平成17年(2005年)9月11日第44回衆議院議員総選挙に落選後、アメリカ合衆国カリフォルニア州にてアティテューディナル・ヒーリングを学ぶ。2006年2月、一時帰国した際に後援会にむけて栃木1区からの次期衆院選不出馬を表明した。2006年7月末に帰国。対人関係療法専門クリニック院長、慶應義塾大学医学部非常勤講師、アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン代表、対人関係療法勉強会代表世話人。アティテューディナル・ヒーリングと対人関係療法の普及啓発につとめる。2009年10月、総務大臣の原口一博の要請により、総務省顧問に任命された。議員当選以前から選択的夫婦別姓制度導入のための活動を行っている。自身は別姓婚の夫とペーパー離再婚を繰り返しており、このことが海外のメディアでも取り上げられた。「民法の改正は、別姓夫婦の利益のためだけではなく、あらゆる人々が他人の価値観を尊重しながら生きていくという、人間としての基本的な考え方の確立につながるものである。多様な価値観を尊重できる社会づくりのために、まずは率先して法改正をして、国を構成する一番のかなめである家族に関する法律を、人々が生き生きと暮らしていける方向に整備することこそが、国民のための政治の第一歩ではないかと思う。」と述べている。父水島裕は元参議院議員(自民党)で聖マリアンナ医大名誉教授、祖父水島三一郎は東京大学名誉教授で文化勲章受章者(分子化学)。祖母水島勅子は正田英三郎(日清製粉名誉会長)の妹であり、皇后美智子の叔母にあたる。他に作家の近藤富枝・森まゆみ、水島恭愛(ハクビ京都きもの学院理事長)らは、水島家での遠戚にあたる。
出典:wikipedia
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