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エピックレコードジャパン

エピックレコードジャパン("EPIC Records Japan")は、ソニー・ミュージックレーベルズのレコードレーベル。EPICの名は1953年に米・コロムビアレコードが傘下に設立した、ジャズ・クラシック音楽部門を販売するためのサブレーベル名 (エピック・レコード)にその起源をもつ。なお、現在の中心レーベルである「Epic Records」については、会社名とは異なり「Japan」の表記はない。2001年10月にソニー・ミュージックエンタテインメントの製作部門からソニー・ミュージックレコーズ、キューンレコード、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズと共に分離、現在の形となる。エピックのレーベルは、ソニー・ミュージックレコーズに次いで二番目に歴史が古い。商品の規格品番に記載されてあるESは旧名称であるエピック・ソニーの名残である。1994年6月、ソニー・ミュージックエンタテインメント副社長丸山茂雄により設立。同年にTMNの活動を終了し、音楽プロデュース業に力を入れ始めていた小室哲哉のソニー側受け皿となるよう、従来型と異なるレーベルが必要とされたことが設立のきっかけである。差別化として具体的には、欧米風A&Rを導入し人的プロモーションに注力することを特色として挙げていた(社名の由来である「アンチ・ソニー」もこれらの経緯に由来する)。関連会社として芸能プロダクションアンティノスマネージメント、音楽出版社アンティノスミュージック(のちソイツァーミュージックに改称)を設立しアンティノスグループを形成。またアメリカにも支社を設立している。商品の流通販売には関わらず、それらはソニー・ミュージックエンタテインメントに依頼していた。しかし、レーベルの芯となるはずだった小室哲哉はエイベックスとの関係を深めていき、結局アンティノスレコードからのリリースは小室のプロデュースによるシングル・ライブアルバム各1枚とプレイステーション向けゲームのみであった。レーベル初期は丸山の人脈で他レーベルから移籍したTHE MODSやGAKU-MC、フラワーカンパニーズなどが主なメンバーとなり、知名度は高いものの当時セールスが低迷していた彼らの再起を狙うのが当初の目標とされた。1996年5月、浅倉大介プロデュースによりT.M.Revolutionがデビュー。1997年から1998年にかけてシングル・アルバム共にミリオンセラーを果たすなど、以降レーベル末期まで経営の柱となる。1999年には浅倉が自身の参加するユニットIcemanと共にエピックレコードから移籍。藤井隆、Fayray、コタニキンヤ等の新人も浅倉にプロデュースを依頼するなど、レーベル全体として浅倉への楽曲依存が高まり、リリースの大半は浅倉の手掛ける作品となった。ただし浅倉のプロデュースしたアーティストが全てアンティノスに在籍したわけではなく、他社のアーティストもプロデュースしていた。2002年7月、会社機能がエピックレコードに吸収され、同社の一レーベルという扱いになり、以降は流通販売もエピックレコードが担当。2004年3月、ソニー・ミュージック内の会社再編に伴いアンティノスレコードは解散。アンティノスマネージメントとソイツァーミュージック(旧アンティノスミュージック)は合併し、2004年4月付でブルーワンミュージック(現ソニー・ミュージックアーティスツ)となる。これによりアンティノスグループは2004年3月を持って終了した。ロゴマークは設立当初から1997年頃まで、上がくり抜かれた円の中にラフな手書き風でAと書かれたもの。下に「antinos」と表記されている。1998年頃から終了までは握り拳で棒状の物体を真っ二つに打ち砕く姿をモチーフにした物が使用されていた。握り拳で打ち砕かれて2本に分かれた棒状の物体には「ANTINOS」「RECORDS」の文字が刻まれている。1971年10月から1976年3月までCBSソニーの邦楽部門の一レーベルとして存在していたEPICレーベルのアーティストについては、かつて、任天堂のファミコンなどコンピュータゲーム産業にも手を出したことがあった。主に同社に所属するアーティストを題材にしたキャラクターゲームが多かった。現在は撤退している。ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)がソニー系列のコンピュータゲームメーカーとして存在している。

出典:wikipedia

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