高橋 がなり(たかはし がなり、本名:高橋 雅也(たかはし まさや)、1958年12月15日 ‐ )は、日本の実業家、AV監督。神奈川県横浜市出身。アダルトビデオメーカー・ソフト・オン・デマンド(SOD)では代表取締役を務め、現在は本名名義で国立ファーム有限会社の代表取締役を兼任している。血液型はAB型。神奈川県立横浜立野高等学校を卒業後、大学受験に二度失敗。「スーパーの店員ぐらいならなれるだろう」と、ダイエーに電話するも、「今年の募集は終わっています」と断られてしまう。この時から、高橋は自分を負け犬だと自覚する。貿易関係の専門学校を経て、負け犬である自分を戒めるため、「迷った時は厳しい道を進むべき」という信念のもと、当時、一番キツイ仕事と言われていた佐川急便にセールスドライバーとして就職。その後、テレビ番組制作会社IVSテレビ制作へ転職。IVSの先輩ディレクターであり、現在はテレビタレントとしても活躍するテリー伊藤とは師弟関係にある。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」ではADを務めていた。当時、師匠だったテリー伊藤から殴られたり、蹴られたりされながら、耐えて仕事をしていた。当時の給料は日給4,000円。しかし、毎日サービス残業を余儀なくされ、時給に換算すると200円にも満たなかったという。それでも高橋は、「『逆に、テリー伊藤に高い勉強料を払って貴重な体験をさせてくれて、それでも4,000円貰える』と、自分に言い聞かせていたから耐えられた」と語る。テリー伊藤らから投資を受け、「ゴルフショップ」「Tシャツショップ」など事業を起こすが失敗し、結果的に多額の借金を負う。それでも周りは高橋を見捨てず、「この金でもう一度やってみろ」と多額の金を渡していた。3度目の挑戦となった1995年12月、SOD(ソフト・オン・デマンド株式会社)を設立。自らが番組を制作しても制作会社という立場上、著作権はテレビ局のものになってしまう放送業界の仕組みから、自分で著作権を持つ作品を作り、「いいもの作れば大儲けで、失敗をすれば大損する」という単純な商売をしたいと思い、テリー伊藤の指示に従って、アダルトビデオ業界へ参入した(テリーがオーナーとなってアダルトビデオ会社を設立した)。それからは、成功の軌道に乗り、年商をどんどん上げ、快進撃を続けた。このエピソードから、高橋は「失敗しても、諦めず何度も挑戦すれば、絶対に成功できる」と、書籍などのメディアで語っている。愛弟子の一人に、元SODの取締役社長を務める菅原千恵がいる。アダルトビデオ業界を選んだのは、映像ビジネスの世界でまずメーカーとして独立し、自分が権利を持つ作品で制作と販売の両方を出来るという分野がアダルトビデオ業界しかなかったからである。自らは「本当はアダルトビデオは好きじゃない」と発言している。アダルトビデオで成功を収めると、一般向けのアニメ作品や映画の自社製作を手掛けたが、全く売れなかった。2003年の「マネーの虎」(日本テレビ)内で、「もうすぐ会社を辞めて、小さなことをやりたいと思っている」と話し、その後、2005年には自身のブログにて「農業を始めたい」と告白。SODの代表取締役を辞任し、以降メディアから姿を消した。2004年12月に公開された「あゝ!一軒家プロレス」を製作した理由は、「民放テレビ局にSODのロゴが入ったテレビCMを打ちたかったから。最終的に4億円以上も映画に費やしてしまった」とコメントしている。2006年4月に青葉株式会社、『国立ファーム』設立準備室をスタート。2007年3月に「既存の参加作品にはメッセージ性が無い」ことを理由に、SODと東京スポーツが主催する『AV OPEN~あなたが決める!セルアダルトビデオ日本一決定戦~』に「国立ファーム」として参加することを発表。SOD退社後約2年ぶりにアダルトビデオの世界に復帰することになった。最終的に6位という結果に終わった。2007年4月、国立ファームを有限会社化。雑誌農業経営者2007年5月号からコラム「アグリの猫」の連載を開始した。将来は国立ファームとソフト・オン・デマンドなどと合同で持株会社を作ることを目標としている。
出典:wikipedia
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