坡州市(パジュし)は大韓民国京畿道北西部に位置する市。板門店のある軍事境界線(38度線)を隔てて北朝鮮と接する最前線で、市域に非武装地帯がある唯一の市である。この項目では、かつて存在した長湍郡についても述べる。東は京畿道楊州市・漣川郡と接し、南は高陽市、西は漢江を隔てて金浦市と接する。北は軍事境界線を隔てて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の開城市(開城工業地区)・長豊郡と接する。北部から西部にかけて臨津江(イムジン・ガン)が流れる。市内北部の臨津江駅に近い場所には坡州気象台が置かれているが、ここは周囲に住宅も無い農村地帯でもあるために韓国でも有数に寒さの厳しい場所となっており、厳冬期はマイナス15度以下になることが多い。韓国気象庁観測所の統計によると、2010年1月6日には観測史上最低となる-25.9℃を記録している。長らく軍事境界線に接していることもあり開発が遅れていたが、1996年の市への昇格以降は市の南部を中心にソウルのベッドタウンとして、マンションが林立して都市化している。観光地は臨津閣・烏頭山統一展望台・南侵第3トンネルなどがある。かつては在韓米軍と韓国軍の基地に依存した地域で、ヨンジュコル(용주골、)は兵士相手の歓楽街・風俗街である。21世紀に入り、大韓サッカー協会の坡州トレーニングセンター、英語教育施設である坡州英語村、ギャラリーや美術館や芸術家のアトリエが集積するヘイリ芸術村、出版業者が集積する坡州出版都市など、文化・スポーツ施設が土地が広く緑の多い当地に集まりつつある。高句麗時代は述尓忽・波害平史・泉井口で、新羅景徳王の時に峰城・坡平・交河となった。高麗時代になっても地名は変更されなかったが、12 - 13世紀に峰城は瑞原に改名された。李氏朝鮮時代は瑞原・坡平を合併して原平と呼ばれ、その後坡州・交河になった。板門店の南に位置するソウル防衛の最前線であり、米軍や韓国軍の基地が群集する。米軍キャンプ名。市域をソウルと新義州を結ぶ京義線が走り、2009年より山駅より南が広域電鉄化された。線路は長らく山駅の北側で中断され南北分断の象徴となっていた。近年南北関係の改善により、山 - 開城間の鉄道線路復旧工事が進められ、現在韓国側では都羅山駅まで開通しているが、都羅山駅に行くには手続きが必要な上にツアー客以外は外に出ることはできない(詳細は該当記事を参照)。長湍郡(チャンダンぐん)は、日本統治時代から韓国独立後の1972年末まで存在した郡である。高句麗時代は長浅城と呼ばれ、新羅景徳王の代に長湍と呼ばれた。高麗時代は一時湍州と呼ばれ、李氏朝鮮時代は臨湍・臨津を経て長湍と呼ばれ、都護府がおかれた。1895年に長湍郡となり、1906年に開城郡の一部が長湍郡に移管、逆に長湍郡の一部を麻田郡(現在の漣川郡西部)に移管する改編を行った。日本統治時代は京義線長湍駅が設置されていた。終戦とともに38度線で郡が南北に分断され、さらに朝鮮戦争を経て軍事境界線が現在の位置に確定した際、全域が民間人統制区域に指定されたため、一般人の立ち入りが禁止されて以降は有名無実の行政区画となった。坡州郡・漣川郡への一部編入を経て、1972年12月28日に最後まで残った部分が坡州郡に編入され、長湍郡は消滅した。
出典:wikipedia
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