旭日章(きょくじつしょう、Order of the Rising Sun)は、日本の勲章の一つ。旭日章は、1875年(明治8年)4月10日に、日本で最初の勲章として勲一等から勲八等までの8等級が制定された。翌1876年(明治9年)には旭日章の上位に大勲位菊花大綬章が新設され、1888年(明治21年)にはさらにその上位に大勲位菊花章頸飾が置かれた。また、同じ1888年(明治21年)には、勲一等旭日大綬章の上位に勲一等旭日桐花大綬章が追加制定され、旭日章は9等級で運用された。2003年(平成15年)の栄典制度改正では、勲等の表示をやめ、桐花大綬章を旭日章の上の桐花章とするなど、大幅に整理され、旭日章は6等級で運用されることとなった。また、制定以来、旭日章の授与対象は男性に限る運用が行われていたが、この栄典制度改正の際に男女等しく授与される勲章となった。旭日章は、「国家又ハ公共ニ対シ勲績アル者」に授与すると定められ(勲章制定ノ件2条1項)、具体的には「社会の様々な分野における功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた者を表彰する場合に授与する」とし、内閣総理大臣などの職にあって顕著な功績を挙げた者を表彰する場合に授与される(「勲章の授与基準」)。詳しくは#授与基準を参照。2003年(平成15年)に行われた栄典制度改正により、「勲○等に叙し旭日○○章を授ける」といった勲等と勲章を区別する勲記及び叙勲制度から、「旭日○○章を授ける」という文章に改正された。なお、改正時の政令附則により、改正前に授与された者は改正後も引き続き勲等・勲章とを分けた状態で有しているものと扱われる。旧制度では、勲一等旭日大綬章の上に勲一等旭日桐花大綬章を持ち、「同種類の勲章の同一の勲等の中でさらに上下がある」という特殊な運用形態がとられていた。この勲一等旭日桐花大綬章は、旭日章八等級の制定の13年後に旭日章の最上位として追加制定されたものである。当時の宮中席次によれば、金鵄勲章の功級は同じ数字を持つ勲等より上位に位置づけられており、これに従い功一級金鵄勲章は勲一等旭日大綬章よりも上位にあったが、勲一等旭日桐花大綬章だけは例外的に功一級より上位に位置づけられていた(勲一等旭日大綬章は「第1階第18」、功一級は「第1階第14」、勲一等旭日桐花大綬章は「第1階第13」)。章のデザインは、八方向へ伸びる旭光を持つ日章。古来からの日本の紋章に用いられてきた旭日の紋をモチーフにしている。地金は銀で、勲五等(双光章)までは全体もしくは一部に金鍍金が施される。紐(「ちゅう」。章と綬の間にある金具)は、日本国政府の紋章であり、皇室の副紋でもある桐の花葉をかたどり、勲四等(小綬章)以上は五七花弁を持つ桐紋、勲五等(双光章)以下は五三花弁を持つ桐紋の意匠を持つ。外輪の旭光部は白色の七宝が施され盤面とフラットになるよう丁寧な研磨がなされている。中央に配される淡い球状に盛り上がった日章は宝石と思われていることが多いが、ここも二酸化セレンを用いた赤色のガラスである(極初期の物のみ七宝)。綬は織地白色、双線紅色と定められており、白の織り地を赤の帯が両脇を縁取る綬が用いられる。大綬章は大綬を右肩から左脇に垂れ、中綬章は中綬をもって喉元に、小綬章以下は小綬をもって左胸に佩用する。重光章(勲二等)の正章のみ右胸への佩用。全ての旭日章は裏面に「勲功旌章」の刻印が施される。ごく初期の物は紐が一体成形されており、現在の物のようにピンで結合される形ではなかった。勲二等は当初、正章のみであったが、明治31年に副章が付けられた。また勲四等は明治19年まで綬にロゼッタが付いていなかったが、他の位との区別が見分けづらいとの意見から現在の形に改められ綬にロゼッタが付くこととなった。それ以前に叙勲された者についてはロゼッタ付きの小綬を別途製造し追贈された。また旭日章制定最初期の物で、現在のような塗り箱ではなく革製のケースで授与されていた物は、現在早稲田大学のライブラリーに所蔵されている物や旧薩摩藩島津家にて保存されている物があるが、両者とも経年変化により大綬の「赤」の部分が「臙脂色」に変色しているのが確認されている。しかし明治初期の絵画で描かれる旭日大綬章の佩用者の大綬はどれも現在と変わらぬ「赤」で表現されているため、これらは染料の変更による経年変化と考えられる。旭日章は栄典制度改正により、各種勲章及び大勲位菊花章頸飾の制式及び形状を定める内閣府令(平成15年5月1日内閣府令第54号)が施行されるに伴い、一部の意匠が変更された。以前は全ての等級の勲章に於いて裏面も表面と同様の七宝による装飾が施されていたが、栄典制度改正以降の小綬章以下の勲章は、裏面の七宝装飾を持たず、梨地の仕上げのみとなっている。同時に「勲功旌章」の刻印も、小綬章以下は紐の裏面から本章の裏面中央へと変更された。重光章の副章及び中綬章の正章に関しては旭日部分は表面同様の七宝が施されるものの、紐の裏面が七宝無しとなり、梨地の金属面に直接「勲功旌章」と刻印されている。また単光章は旧制度の勲六等よりも直径が小さくなった。綬についても、両脇の紅線が太くなるなどの変更が見られる。大綬章が女性に授与される場合のみ、綬の幅が宝冠章と同等の物に替えられるが、ロゼッタの形状は以前の男性用の物と変わらない。その他の等級に関しても、現在は男女ともに共通の綬をもって授与される。現行の旭日章の名称を、旧制度下の名称を添えて以下に示した。旧制度下に於いては勲等の序列は旧来の宮中席次に則り、上位から旭日章、宝冠章、瑞宝章の順に、同じ勲等の中では最も上位に位置づけられていた。そのため、旧制度下での旭日章の授与対象は「瑞宝章を授与するに値する以上の功労のある者」と定められていた。2003年(平成15年)、栄典制度の抜本的改革にあたり、男性のみに与えられるなどの条件が社会情勢に合わなくなってきたこともあって、女性も授与の対象に含まれることとなった。同時に、それまで最上位とされた旭日桐花大綬章は桐花章(桐花大綬章)として独立し、八等と七等は廃止されて6階級での運用になった。またそれまで下位の勲章であった瑞宝章が旭日章と同等の勲章へと格付けが変更されるにあたり、叙勲の選考基準もそれまでの「功績の大小」から「功績の内容」で判断されることとなった。上記の経緯により、現在では“国家または公共に対し功労がある者の内、功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた者”が旭日章の叙勲対象となっている。国賓の来日や皇族の外遊などの際に同席する認証官クラスの要人に贈られる。役職により授与される勲等が判断され、政府首相や軍部司令官などの役職には大綬章(勲一等)が授与される。外交官などにも贈られるが、国家の規模や日本国への貢献度により授与される勲等には幅がある。その他随行の関係者等にも、その役職に応じた等級の勲章が授与される。珍しい例としては、今上天皇が皇太子時代に皇太子妃を伴ってマレーシアを公式訪問した際、接遇にあたった「前国王の令息」に対して儀礼叙勲として勲一等旭日大綬章を授与している。通常、王族男性であれば大勲位菊花大綬章が与えられるところであるが、マレーシアの国王は複数のスルタン家の中から任期を指定して輪番制で選ばれるシステムを採用しているため「正式な王家・王族」の定義が時期によって変わるので身位の定義が難しく、日本政府が苦慮した末の判断であった。皇族叙勲については、勲章制定にあたり明治天皇が勲一等旭日大綬章自ら佩用し、その他では有栖川宮幟仁親王を始めとする皇族10名に勲一等旭日大綬章を天皇から親授された。その後、皇族身位令(明治43年皇室令第2号)の制定により、男性皇族への初叙が勲一等旭日桐花大綬章へと引き上げられたため、以降勲一等旭日大綬章の皇族への叙勲はない。
出典:wikipedia
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