捕鯨文化(ほげいぶんか)とは日本において捕鯨{鯨漁、古くは勇魚取(いさなとり)や鯨突(くじらつき)という}を産業だけの枠に捉われず、捕鯨が盛んになるにつれ、日本人特有の畏怖や感謝の心根などから発生したとも言われ、偶然の捕鯨により鯨の利用がされた地域や捕鯨を生業にした地域において捕鯨や鯨に纏わる様々な信仰、伝統芸能、祭礼、絵画、書籍などが、各地域で発生し伝承され、現在においても育まれ地域振興として催されていることを指す。日本で鯨は文化史や産業において「魚」であるため、以下の事項においては、魚として記載されている。日本以外でも捕鯨や鯨にまつわる文化や信仰と呼べるようなものが散見されるが、その文化において魚とするか、動物とするかは、その国の歴史による。 "産業(資源利用)としての捕鯨については捕鯨、鯨骨、鯨油を参照"。"また捕鯨文化のうち、鯨料理に関する食文化や書籍については鯨骨、鯨肉を参照"。えびす(蛭子、戎、恵比寿など)は外来の神としての性格を持ち、外洋から訪れる鯨にえびすの神格が重ねられる。島嶼部性の高い日本において「寄り鯨」「流れ鯨」と呼ばれた漂着鯨が高い頻度で発生する。それらのクジラを「えびす」と呼んで神格視しながら受動捕鯨として盛んに資源利用し、これが「寄り神信仰」の起源となった。特に三浦半島や能登半島や佐渡島などに顕著に残り、伝承されている。寄り鯨の到来は「七浦が潤う」ともいわれ、えびす神が身を挺して住民に恵みをもたらしてくれたものという理解もされていた。土地によって逆の解釈もあり、えびす神である寄り鯨を食べると不漁になるという伝承も存在した。流れ鯨や寄り鯨を捕獲や浦や湾に迷い込んだ鯨を追い込み漁で捕獲した記録が日本各地の海浜地区で残されており、その大漁に賑わった事や感謝や追悼を様々な形で表し記念碑を建てて後世に伝承している。また日本各地の捕鯨を生業としていた漁業従事地域では、豊漁祈願や追悼として地域住民が定期的に設けた碑に供物や唄・踊り・音楽(囃子)などを捧げている。ここで紹介する例は全体のほんの一部である。個々の名称は「塚」や「墓」など様々であるが、ここでは総称として「碑」とした。仏教において鯨の供養に関連する表記は鯨鯢(けいげい)とするところが多く、「鯨」は雄鯨「鯢」は雌鯨の事である。また一部地域では、クジラとイルカを分けておりイルカは鯆と表記する。神社に鯨の墓や奉納された位牌があるが、記載の誤りではなく神仏習合の影響と考えられる。神道と仏教を分け隔てなく供養や祀りをしている地域も多くあり、また追悼や感謝だけでなく海神や漁業神として鯨を祭る地域もある。詩人の金子みすゞは山口県長門市仙崎で生まれた。仙崎は鯨の捕獲で成り立っていた漁師の村であり、ここにも鯨墓が存在する。金子みすゞは鯨法会をする地域の慣わしに感銘し『鯨墓』を書いた。この『鯨墓』が慈しみを主題とする金子みすゞの詩集の原点とも言われる。鯨神社とは、鯨に対する感謝や追悼のための塚を建てたり、神体として鯨の遺骸を祀っている神社や、あるいは捕鯨行為自体を神事として捉え信仰している神社などの捕鯨とかかわりの深い神社の俗称。鯨鳥居とは神社の鳥居が鯨の骨でできている鳥居である。日本で最古の物は、和歌山県太地町の「恵比須の宮」の鳥居である。このことは井原西鶴の「日本永代蔵」1688年(貞享5年)刊行に「紀路大湊、泰地といふ里の、妻子のうたへり 此所は繁昌にして 若松村立ける中に 鯨恵比須の宮をいはひ 鳥井に 其魚の胴骨立しに 高さ三丈ばかりも 有ぬべし」と記述があり1688年より古くから存在していたことが分かる。他には長崎県有川町の海童神社にあり、1973年(昭和48年)に日東捕鯨株式会社によって奉納されたが、記録によれば現在の鳥居は三代目であり、それ以前は何で作られていたか判明していない。これらが現在、日本にある鯨鳥居の全てであるが、かつて日本統治下の台湾の最南端の鵝鑾鼻にあった鵝鑾鼻神社、または樺太にあった札塔恵比寿神社、北方領土の色丹島の色丹神社の3か所に鯨鳥居があった。以上5ヶ所はそれぞれ捕鯨に直接または、間接的(捕鯨基地など)に係わる場所である。鯨寺とは、捕獲した鯨に位牌を作ったり、戒名を付けたり墓を建てたりといった供養を行っていた寺の俗称。中には「鯨過去帳」というものまで作製して鯨の戒名、獲れた日時、場所や種別、大きさ捕獲した鯨組の名称まで詳細に記録を残している寺もある。そのため捕鯨史研究の史料としても重要な存在である。鯨鯢供養や鯨鯢過去帳と表記する場合が多数である。日本各地に鯨に対する漁の感謝や供養を表現した唄があり、主に鯨漁を生業にしていた鯨組により奉納されたもので、現在も伝承されている。鯨唄と同様に鯨の到来や感謝や追悼の意味を込めて踊られる。日本各地で鯨漁神事や鯨供養祭などと呼ばれる捕鯨や鯨にまつわる祭が寺社を中心に地域振興として開催されている。日本各地で行われる鯨祭りと呼ばれる祭で主に使用される。特に鯨船山車においては古くから保存されてきた実物も多く存在し和船や伝統捕鯨の文化史的資料としても貴重である。鯨と捕鯨に関する絵巻物。出所不明のものなど含め日本には多数の絵巻物が存在する。捕鯨に関する歴史的書物や文献。"鯨料理の書籍は鯨骨、鯨肉を参照"。日本全国にある、捕鯨や鯨(クジラ)に関連する水族館や博物館。捕鯨問題に関連して捕鯨の中断などから日本の文化のいくつかの存続に少なからず影響を与えることについての具体例の記述。"食文化については鯨骨、鯨肉を参照"。世界の十大小説の一つでもあるハーマン・メルヴィルの白鯨(1851年)は、アメリカで捕鯨が盛んだった当時を舞台に世界有数の捕鯨港ナンタケットから、太平洋でマッコウクジラが多く生息する海域「Japan grounds」を目指す捕鯨船を描いた海洋冒険小説である。
出典:wikipedia
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