玉置 浩二(たまき こうじ、1958年9月13日 - )は、日本のミュージシャン・俳優。北海道旭川市出身。ロックバンド『安全地帯』のボーカリスト。身長177cm。血液型はA型。北海道旭川農業高等学校中退。ソニー・ミュージックレコーズ内自主レーベル「ソルトモデラート(Saltmoderate)」所属。2008年から、病気療養のためしばらく活動を休止していた。一般人女性、薬師丸ひろ子、キーボード奏者の安藤さと子との3度の離婚歴を経て、2009年2月25日に女優の石原真理と婚姻届を提出するが、受理されなかった。同年9月に2人の破局を関係者が認める報道が出る。玉置は同年秋より音楽制作の活動を再開、同2009年12月、「安全地帯」として活動再開を発表。現在の妻はタレント、女優の青田典子。作曲、作詞、楽器演奏(主にギター。楽曲によってはベース、パーカッション、ドラムス、キーボード)等マルチプレイヤーとしてもその才を発揮している。山下達郎が「日本で最も過小評価されているミュージシャン」、Mr.Childrenの桜井和寿が「天才であり最も尊敬するミュージシャンの一人」、徳永英明やコブクロの黒田俊介が「日本一歌が上手い」、スキマスイッチの大橋卓弥が「最も尊敬するボーカリスト」と評するのをはじめ、いきものがかりの水野良樹も自らの音楽活動が玉置のそれに多大な影響を受けたものであることを公言しており、現在もTwitterで繁く玉置に言及している。EXILEのATSUSHIは、TBS系列『EXILE魂』でゲスト出演した玉置の歌唱力に圧倒され、その後玉置の自宅マンションに訪問して歌唱指導を受けたり、玉置のライブを観に行ったりと、親交を深めている。EXILEの元メンバーである清木場俊介も、シングル『桜色舞うころ/メロディー』で玉置の楽曲をカバーしている。雅-MIYAVI-とは、フジテレビ系列『僕らの音楽』での共演以来意気投合し、玉置夫妻が雅-MIYAVI-のライブを観に行ったり、共に食事をしたりするなど、交友関係が深い。ASKAとは1993年に活動したUSED TO BE A CHILDを通じて知り合い、同じ1958年生まれということですぐに意気投合。CHAGE and ASKAのライブに玉置が飛び入り参加するなど交友が深い。ASKAは2012年に出版されたムック『ぴあ&ASKA』のインタビューで、デュエットしてみたい歌手として玉置の名を挙げている。2013年にASKAが一過性脳虚血症の疑いから入院したときは、ASKAと同じレコード会社で玉置の友人でもある徳永英明と連絡を取り、見舞いの花束と直筆の手紙を送り激励した。2014年にASKAが覚醒剤取締法違反で逮捕された際には「今度こそ一緒に歌おうぜ」と再タッグを呼びかけた。黒田アーサーや中村あゆみがブログで安全地帯のライブを観に行き、歌唱力に驚嘆した旨を記したほか、お笑いコンビ・ダイノジの大谷ノブ彦はブログやTwitterで玉置の作品を絶賛していることに加え、2012年5月22日放送のラジオ番組『SCHOOL NINE』では「玉置浩二特集」と題し放送時間の全てを玉置の生い立ちから現在に至るまでの音楽的考察と解説に充てたほどの熱狂的ファンである。さらに、宮根誠司や小倉智昭は自身が司会を務める番組で玉置を特集し、テリー伊藤は2010年12月10日に日本テレビ系列で放送された特別番組『たけしとひとし』で「究極のラブソングを作って日本の少子化に歯止めをかけるプロジェクト」と題して玉置に楽曲提供を依頼した。テリー曰く「国民栄誉賞をもらってもおかしくない」(結果的に、玉置の体調不良により楽曲作成は果たされなかった)。2014年7月9日放送のTBSテレビ『水曜日のダウンタウン』2時間スペシャル内で「音楽のプロ200人が選ぶ本当に歌が上手いランキング」と銘打って普段からアーティストの生歌を聞いている音響スタッフ、ミキサー、ボイストレーナーなどに対して行われたアンケート企画において25票を獲得し1位となった(2位は久保田利伸の18票、3位はSuperflyの15票)。一方で、師弟関係のようなイメージで捉えられる井上陽水だが、玉置のソロデビュー頃を境にプライベートでの接点はなくなっていき、2008年に玉置が入院した折、事前の連絡もなく陽水が見舞いに来てくれたのが20年ぶりの再会だったという。そのお礼に手紙を書いたが、返事はないという。主にマーティンやギブソン、バスカリーノなど、名門楽器メーカーのアコースティックギターを、レコーディングやライブで使用している。このような高価なギターは、汗などによる劣化を避けるため、レコーディングのみで使用される場合が多いが、玉置は最高の音をファンに提供するため、惜しみなく使用している。ちなみに、バスカリーノは生産中止のため、入手が困難になった。「ツアーをしないと気が済まない」と自負するほどのツアー好きで、テレビ・ラジオ出演などの傍ら年間30以上の公演を毎年敢行するほど多忙なスケジュールと並行しながら、他のアーティストへ提供するための楽曲を制作している。体調不良などにより楽曲制作の中断を余儀なくされることもあったが、アルバム制作の時などは3日に1曲のハイペースで楽曲を完成させる。ただし、自身が主演したテレビドラマ『あいのうた』の主題歌「プレゼント」は制作に半月を要した。元来、他のアーティストに提供した楽曲はあくまでもその歌い手の物であると割り切り、アンディ・ラウに提供した曲及びMISIAに提供した2曲以外はセルフカバーを行っていなかったが、2012年の自主レーベル設立後のソロ活動第1弾として、セルフカバーアルバム『Offer Music Box』を発売した。2014年9月には自身初となる、他のアーティストの楽曲をカバーしたアルバムの発売が決まっている。以下の曲など、他のアーティストに提供した楽曲は160に及ぶ。また、以下の3曲は女性歌手とのデュエットソングである。俳優デビュー作『プルシアンブルーの肖像』では、失語症の学校用務員という、人気絶頂のスターの初主演映画としては異例の役柄をあえて選んだ。当初は二枚目の役柄が多かったが、親交の深いとんねるずの看板番組である『とんねるずのみなさんのおかげです』では、コントをしたり『サザエさん』の主題歌を真顔で歌うなど三枚目としての一面を見せることも多くなった。1993年に所属事務所を移籍すると柔軟性に富んだ演技が高く評価され始め、1996年放送のNHK大河ドラマ『秀吉』の足利義昭役においては、その無能さを印象づけるため意図的に汚く饅頭を食したり、口を開けたまま他人の話を聞くなどインパクトを残し、また同年放送の『コーチ』ではザテレビジョン・ドラマアカデミー賞助演男優賞に選ばれたが、「自分は歌手である」ことを理由に受賞を辞退した。翌1997年に放送された『こんな恋のはなし』は再放送こそされソフト化は実現しておらず、視聴者からは疑問の声が挙がっておりソフト化への署名活動なども行われた。2005年放送の『あいのうた』では、病魔に侵されていく警察官を演じるために10kgの減量を敢行した。
出典:wikipedia
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