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準急列車

準急列車(じゅんきゅうれっしゃ)は、停車駅が急行列車または快速列車より多く普通列車より少ない列車のこと。準急行列車(じゅんきゅうこうれっしゃ)ともいい、略して準急(じゅんきゅう)という。通常英訳には「」および、略語「」が当てられるが、事業者によっては「」など異なる表記もされる。本項では、以下ともに総括して詳述する。国鉄では戦前と戦後の一時期に準急列車が設定されていた。戦前の列車は運賃のみで乗車できたのに対し、戦後のものは準急料金が徴収されるなど、その性質が異なる。1926年(大正15年)9月に東海道本線の東京駅 - 名古屋駅、名古屋駅 - 神戸駅間に設定された列車が「準急」を名乗ったのが始まりである。この当時は比較的長距離を、運賃以外の料金が不要で急行列車よりやや劣る速度で走る、現在の快速列車に相当するサービス的列車であった。したがって、「準急」は現在の快速列車の当時の呼称ともいえ、一部の地域では同様の列車が既に「快速列車」・「快速度列車」とも呼ばれていたとされる。その後は長 - 短距離で同種の列車が設定された。戦前の黄金期といえる1934年(昭和9年)12月の改正当時の特徴的な列車としては、次のようなものがあげられる。翌1935年(昭和10年)12月には、関西本線の湊町駅(現、JR難波) - 名古屋駅間を3時間1分で結ぶ列車も設定されている。なお急行「かすが」が2006年の廃止直前時点で名古屋駅 - 奈良駅間を約2時間10分で結んでいたが、天王寺駅方面から奈良駅までを走る快速の所要時間を加味すると、70年前の当時とほとんど変わりが無い。さらに鉄道省では関東大震災や昭和金融恐慌・世界恐慌などの影響を受けて日本が深刻な不況に陥り、それを受けて利用客の減少に悩まされていたことから、イメージアップと呼び込みを兼ねてシーズンになると観光地へ向けて臨時の準急列車をいくつも走らせた。その中には、当時正式には特急列車にしか付けられていなかった列車愛称を地方局独自でつけていたものもあった。代表的なものに下記がある。しかしこれらの列車は、1937年(昭和12年)の日中戦争開戦後、戦時体制が強まるにつれて同年12月15日に廃止された。戦後1946年(昭和21年)11月、上野駅 - 金沢駅間と上野駅 - 秋田駅間に再び「準急」と名乗る列車が登場した。「急行」として運転するには設備・車両が不十分であるという理由から設定され、この時から「準急料金」というものが定められて「優等列車」となった。しかし当時は運転事情が安定せず、翌1947年(昭和22年)の1月から6月にかけて石炭・車両事情の悪化から一時消滅し、6月から再び中央本線、日豊本線、山陰本線、予讃本線、土讃本線などに設定されている。その後は比較的近距離(300km未満)の区間に設定され、急行列車の補助としての役割を果たしていくが、昭和30年代には次のような急行を凌ぐ列車も設定されている。なお、急行列車の一部区間のみ「準急」として運行する事例が存在した。この場合の料金は、急行区間のみを利用する場合は急行料金を、準急区間のみを利用する場合は準急料金を、急行区間と準急区間を跨って利用する場合は全乗車区間の営業キロに対応する急行料金をそれぞれ徴収していた。この初例としては、1949年に函館駅 - 釧路駅間で運行を開始した急行3・4列車であり、函館駅 - 札幌駅間は急行列車として運行し、札幌駅 - 釧路駅間は準急列車として運行していた。なお、この列車は1950年には全区間急行として運行されるようになり、1951年には列車愛称として「まりも」が付与された。函館本線を運行した急行列車「あかしあ」は当初、函館駅 - 札幌駅間を運行する急行列車として設定されたが、運行区間を旭川駅まで延長した際に従来小樽駅 - 旭川駅間を運行していた準急列車「石狩」のダイヤを踏襲する関係から小樽駅を境に函館駅 - 小樽駅間を急行列車、小樽駅 - 旭川駅間を準急列車の扱いとした。このため、函館駅 - 旭川駅間など小樽駅を通過して乗車する際には「急行・準急券」が発行された。また、こうした施策は支線直通急行列車に用いられることが多かった。たとえば、中央本線で運行していた急行「天竜」は、中央本線内(新宿 - 辰野間)は急行、飯田線内(辰野 - 天竜峡間)は準急となっていた。また、急行「白馬」は、中央本線・篠ノ井線内(新宿 - 松本間)は急行、大糸線内(松本 - 信濃森上間)は準急となっていた。準急列車に運用される車両は旧型客車をはじめ、153系電車、157系電車、キハ55系気動車をはじめとする準急形車両で運行されるのが基本であった。新性能電車や気動車は後に急行列車にも進出するようになったことから急行型車両と呼ばれるようになり、キハ58系気動車など、製造時から急行形と呼ばれた車両も充当されることがあった。中にはキハ10系気動車やキハ20系気動車、80系電車などの一般形車両が使われることもあった。1966年(昭和41年)3月に、準急行券の販売を営業キロ100kmまでに制限し、その額をその距離の急行料金と同額にした。また、準急行券での急行の利用(100km以下の利用)、急行券での準急の利用を、それぞれ可能とした。これにより100kmを超えて走行する準急はすべて急行列車となった。そして、「ヨン・サン・トオ改正」と称される1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正で、残った準急列車も全て急行列車に統合され、これをもって国鉄の準急列車は消滅した。準急という列車種別は消滅したものの、かつての国鉄の準急列車の多くは、JRの特急列車のネットワークに形を変えて現在に引き継がれている。国鉄では、準急料金が不要である準急電車の設定も阪和線で実施していた時期もあった。準急料金が必要な「準急列車」と区別するため、準急料金が不要な阪和線準急は「準急電車」と案内されていた。車両は現在の近郊型電車や通勤型電車に相当するものが使用されていた。詳細は阪和線を参照。2015年現在、準急という種別の列車は私鉄・地下鉄の一部で運行されている。また、「準急」の名がつく派生種別を運行している事業者もある。扱いについては各事業者一様ではないが、多くの事業者に共通することは、料金不要の優等列車のうち、原則として通過運転を行う列車で最も停車駅の多い種別という扱いになっていることである。なお、優等列車として準急料金が必要な列車(いわゆる旧国鉄の準急に相当する列車)は2015年時点では津軽鉄道で毎年12月1日 - 3月31日に運行しているストーブ列車のみである。特急や一部の急行とは異なり、専用の車両を使用する事業者はなく、基本的に一般車両(大手私鉄では通勤形車両)が使用される。なお、津軽鉄道で毎年12月1日 - 3月31日に運行されるストーブ列車には客車が使用される。大半の私鉄の準急は、都市部では急行などの上位の速達種別と同じ(または少し多い)停車駅で運行し郊外では各駅に停車するという区間急行的な種別として設定されている。このほかには、全区間で通過運転をするが急行よりも停車駅の多い種別として設定される、区間急行とともに運転され、区間急行よりも通過運転区間が短い種別として設定されるなどの例がある。小田急線の準急は、登戸駅を境に都市側では急行と同じ停車駅で運行し、郊外側では各駅に停車する、区間急行的な種別として設定されている。上り方面行き(新宿駅行き又は東京メトロ千代田線および常磐緩行線直通)に関しては、登戸駅以西の駅(新百合ヶ丘駅、町田駅など)では「登戸まで各駅に停まります」とアナウンスされるが、実質、登戸駅の1つ前である向ヶ丘遊園駅から急行運転とみなされており、同駅からの複々線区間では原則、内側の急行線を走行する(反対に、下り方面では登戸駅から各駅停車同様のアナウンスに切り替わる)。この種別は小田原線のみでの運行であったが、2014年のダイヤ改正にて多摩線(新百合ヶ丘駅 - 唐木田駅)にも新設された。但し、2014年現在、多摩線を走行する準急列車は平日朝の下り(新宿駅発、唐木田駅行き)1本のみの運行となっている。東急田園都市線の準急は一般的な私鉄の準急とは逆で、郊外側の二子玉川駅 - 中央林間駅間のみ通過運転を行い、都市側の渋谷駅 - 二子玉川駅間(および直通運転している東京メトロ半蔵門線内)では各駅に停車する。日中および平日朝夜間と幅広い時間帯で運転されているが、2007年の設定当初から2014年までは平日朝ラッシュ時上りのみに設定されていた。設定の狙いは、朝ラッシュ時に二子玉川駅 - 渋谷駅間において各駅停車の乗客が途中の桜新町駅における急行の通過待ちを嫌って急行電車に殺到することにより混雑率の増大ならびに列車遅延が発生していたことを踏まえ、この区間を各駅に停車させこの通過待ちをなくすことで混雑率の均等化を図り、路線全体の遅延を抑制することであった。阪急京都線で2001年まで運転されていた茨木市駅発(土曜日は高槻市駅発)梅田駅行き準急もほぼ同様で、淡路駅までは急行(現快速急行)と同じ停車駅で運行し、淡路駅からは各駅に停車する。名古屋鉄道では路線ごとに性格が異なる。犬山線と瀬戸線のものは、他社でよく見られるような、都市部では急行停車駅に停車して郊外では各駅に停車、というようなパターンである。そのほかの路線については、名古屋本線では8駅、常滑線では2駅、西尾線では1駅、急行よりも停車駅が多くなっている。また、豊川線・河和線・空港線・津島線(上りにのみ設定)・尾西線(佐屋駅 - 須ヶ口駅間の上りにのみ設定)においても準急が設定されているが、これらの路線内での停車駅は急行と同一である。南海電気鉄道・泉北高速鉄道では準急列車を表記上は「準急」、アナウンスでは「準急行」と使い分けている。 京阪電気鉄道では他の私鉄の一般的な種別立てと異なり、急行より下位、区間急行より上位という位置づけとなっている。そのためか、他の私鉄で準急に使われている英語名「」は区間急行に割り当てられ、準急には一般に区間急行で使われる「」の英語名が割り当てられている。阪神電気鉄道では、阪神なんば線において、直通先の近鉄奈良線で準急として運転される列車が線内でも準急として運転されているが、自社線内は各駅に停車する。2009年3月19日までは、本線で通過駅のある種別として運行されていた。本線での準急は、ラッシュ時に各駅停車用車両が不足することと、一部の駅のホームの有効長が4両分しかないなどの事情から「主にラッシュ時に運転される、6両編成の急行用車両を用いて普通を補完するための列車」という位置づけであった。前述のホーム有効長の問題と高加減速性能を有する各駅停車用車両を使用した普通列車との性能差を調整するためにごく一部の駅を通過扱いにしているだけで、2駅連続して通過する区間が皆無であった。過去には以下の鉄道路線にも準急が設定されていた。準急の派生種別として通勤種別の通勤準急や、準急よりもさらに通過駅が少なく各駅停車区間が長い区間準急がある。このほか、過去には快速準急、準急A、準急Bなどといった派生種別を用いた鉄道事業者が存在した。小田急電鉄が1964年から1972年まで小田原線に設定していた種別で、同線の準急を昼間時に速達化する目的で運行されていたものである。東武鉄道と北陸鉄道がかつて停車駅別に準急を区別する際に用いていた種別である。東武鉄道では伊勢崎線、北陸鉄道では石川線にそれぞれ設定されていた。東武鉄道では伊勢崎線の準急Aは日中の伊勢崎発着のみ設定されていたが、準急Bは東武日光線直通列車を含め全時間に設定され、複々線を擁する北千住駅 - 北越谷駅間では急行線の基礎列車の役割も果たしていた。なお、東武時刻表の当該路線のページには単に準急と記載され、準急の種類は分別していなかった。北陸鉄道では曽谷駅を通過する準急を準急A、同駅に停車する準急を準急Bとしていた。準急Aと準急Bが30分間隔で毎時各1本ずつ設定され、昼間帯は準急Aが全区間、準急Bが野町駅 - 鶴来駅間の区間運転となっていたが、1995年(平成7年)3月30日のダイヤ改正で準急に統一され消滅した。日本国外の列車は日本の列車種別を明確に当てはめることは難しいが、台湾の台湾鉄路管理局における座席指定優等列車である復興号は日本国有鉄道(国鉄)の準急列車に相当する列車種別として扱われることがある。ただし運賃制度上は座席指定の有無以外は区間車・区間快車と同格であるため、全席指定の快速列車に相当する場合もある。大半は「準急」の表記を使用するが、過去に西日本鉄道天神大牟田線で運転されていた列車は「准急」の表記を使用していた(西鉄天神大牟田線#准急を参照)。路線バスにおいては下記の会社・路線にて運行されている。☆神姫バス11系統 (準急)新三田駅 - センチュリープラザ前 - 関西学院前 - 美奈木台 - 渡瀬        55系統 (準急)新三田駅 - センチュリープラザ前 - 三田西陵高校前 - 関西学院前 - 相野駅 - つつじが丘北口

出典:wikipedia

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