『mamiのRADIかるコミュニケーション』(マミのラディかるコミュニケーション)は、東海ラジオ放送、九州朝日放送(KBCラジオ)、STVラジオ、ラジオ関西で放送されていたラジオ番組である。略称はRADIコミ(ラディコミ)。RADIかるはRADIO+カルチャー、またradical、軽〜くなどの意味を込めた造語。2009年10月4日の放送をもって、25年の歴史に幕を下ろした。メインパーソナリティは小森まなみ。アシスタントはミンキー♥ヤス。小森まなみのポリシーである一回一回の放送を大切に・心と心のキャッチボールをモットーにしているあたたかさとエンターテインメント性を兼ね備えているラジオ番組。リスナー同士のコミュニケーションも旺盛で、1990年代後半から2000年にかけてのアニラジブームでは中心的存在の番組であった。2003年12月には1000回の放送を記録し、2009年10月の最終回までに25年、放送回数1,305回となった長寿番組である。23周年放送で小森は「変わらないものを守るためには、変わることをもおそれない」と宣言した。目やからだの不自由なリスナーからの多くの要望を受け、メールでの投稿の受付を開始した。夏に名古屋城で行なわれる番組イベントは、全国から数千人のリスナーが集まる「伝説的なイベント」になっていた。1994年(平成6年)に番組10周年兼、東海ラジオ放送創立35周年記念として名古屋市総合体育館(現・日本ガイシスポーツプラザ)にて挙行されたイベントには、東海地方を始め全国各地から一ラジオ番組のイベントとしては異例ともいえる約7000人ものリスナーを集めている。1995年の阪神淡路大震災時では、「できることを できるところから」と誰でもが手にしているテレフォンカードを換金するという小森の発案により「救援テレカ支援」を行なう。累計800万円を超える募金をラジオ関西・兵庫県学童保育連絡協議会・あしなが育英会などに、番組を通じ5年間にわたり寄付をした。放送は終了したが、復活できる機会があれば復活させたいと最終回で語っている。1984年10月13日に『ラジオアニメック・決定!アニメ最前線』(ニッポン放送制作)の後番組として、東海ラジオとラジオ大阪の2局ネット体制でスタート。放送時間は、開始当初は毎週土曜日20:00-20:30。その後、ラジオ大阪は1985年3月30日をもってネットを休止、同年4月からSTVラジオ・KBCラジオの2局がネットを開始する。関西地区では1986年4月13日よりKBS京都でネット復帰し、1989年4月9日まで放送される。その後1989年4月16日から1990年4月1日までラジオ大阪で、1992年10月8日から1993年5月27日までラジオ関西で放送された後、1993年6月6日にラジオ大阪でネットが再開するが2004年6月13日をもって放送を終了した。2004年7月4日よりラジオ関西で放送を開始、4局ネットとなった。なお、ABCラジオでネットされていた時期もある。このように関西地方ではネット局の変遷が著しいが、その他の地域では放送時間の変更こそあれ東海ラジオ・KBCラジオ・STVラジオでのネットを一貫して継続している。いずれもNRNの親局出力50kW局であり、NRNの事実上の基幹局でもある。一時期山陰放送でもネットしていたことがある。番組は開始当時からお便りを郵送でしか扱っておらず、FAX(生放送を除く)やEメールでの募集は通常行っていなかったが、2007年10月14日放送分で郵政民営化によりポストや郵便局が遠くなったり体の不自由な人がパソコンからアクセスしたいという要望を受け、2007年11月4日放送分よりhertz@tokairadio.co.jp宛てのEメールでの受付も行うことになった。ハガキは各放送局の本社から東京支社に転送されて、そこからさらに収録スタジオのフラミンゴスタジオに届けられるため、ハガキを投函してから番組で読み上げられるのに2週間程度かかることがあった。このタイムラグの関係上、番組で取り上げられたお便りに対するリスナーからのレスポンスは、原則としてオンエアの翌々週以降に取り上げられた。番組は小森の「ワン」(矢尾時代は「ウー、ワン!」、新年1回目の放送はその年の干支の鳴き声)の決まり文句で始まり、それに続いてリスナーからの小ネタ、通称「○○さんの今週のひと言」或いは「今週の独り言」の読み上げから始まる。タイトルコールは「俺は『北斗の拳』のケンシロウだ。708ある経絡秘孔のうち、mamiのRADIかるコミュニケーションを突いた。お前はもう、聴いている」(2004年10月10日より太字部分を含めた現在のパターンに変更)という神谷明の声の後に小森の「mamiのRADIかる♪」という声が入り、テーマ曲の歌声によって「コミュニケーション」と続く。その後でパーソナリティ2人の自己紹介が行われるが、特に小森の自己紹介の前に「みんな一週間元気だったかな、いいこといっぱいあったかな?」と言うのが定例の決まり文句となっていた。この神谷によるタイトルコールのナレーションは、同時期(1984年10月11日)にはじまった『北斗の拳』のアニメを元にしたもので、ケンシロウの声で行われている。当時、声優の指導をしていた小森の新番組ということでの友情出演だった。テーマ曲はスパンダー・バレエの楽曲「Communication」のリミックス・ヴァージョンで、番組開始当初から使用されていた。番組内容はリスナーから様々な話題のハガキを募集し、それを紹介するのがメイン。特に反響があった話題については、それ専用の特別コーナーが設けられる。本来の歌詞とは違って聞こえる曲や面白い聞き間違いを紹介する「空耳タイム」は、月に1度だったが人気があり定期コーナーと化した。最近では、馬の名前を付けてミンキー♥ヤスのアドリブ実況により競争させる「RADIコミダービー」も月に1度の定期コーナーとなっている。番組後半はミンキー♥ヤスによるアニメ関連の話題で進行した。かつてキングレコード(スターチャイルド)やラポートがスポンサーだった頃にはBGMにスターチャイルド関連の曲を流したり、ファンロード等ラポートが発行する雑誌や書籍等の宣伝が行われていたが、現在はそれらに必ずしもこだわらない。以上の経緯から、この番組をアニラジに分類する場合もある。このコーナー前後辺りで「モエールの館」というコーナーが2007年4月開始。現在はモエールちゃんが何らかの任務に出てしまい休業中。執事は「ピエール・ヤス」で、メイドは「ヘルツ・モエール」である。なお、表記の区切りに関しては公式な発表がないため不明。このコーナーではご主人様またはお嬢様の悩みに、モエールが答えるというものである。ちなみに小森やヤスは彼らについて別人扱いしているが、モエールが金魚が嫌いな描写を見せたため紛れもなく小森やヤス本人である。番組ラストの人気コーナー「マミのキュンキュン」では身の回りで起こった心に残ること(キュンときたこと)を紹介する他、多数寄せられるリスナーの悩みに小森が答えている。それに対するリスナーの反響が大きければ2週間後にリスナーの意見を発表することもあり、小森とリスナーが共にリスナーの悩みを解決しているといえよう。時に涙することもあり、多くの共感を得ているラジオらしいコーナー。これが番組が長く続く理由のひとつでもある。最後にパーソナリティ二人の自己紹介と「こころもからだも元気でね」「バッハハーイ」の決まり文句で終わる。番組開始時には「円盤観察日記」(1984 - 1987年)「ポップスドクター」(1987 - 1988年)「アーティストディクショナリー」(1988 - 1989年)「ポップス人名辞典」(1989 - 1994年)といった洋楽に関するコーナーもあった。このコーナーは当時ディレクターを勤めていた是枝正美の選曲によるもので、是枝ディレクターの色彩が濃かったといえよう。また円盤観察日記開始半年後から選曲された曲とその歌手をリスナーが当てるという、クイズの要素も持っていた。しかし番組自体のアニラジ人気が強くなり始めた1994年のリニューアルで終了。1990年4月29日から1991年4月7日までの1年間、小森の産休・病気療養のため矢尾一樹がメインパーソナリティを務め、1990年11月からは、番組タイトルも「mamiのRADIかるコミュニケーション 矢尾だよ~ん」となった。小森が復帰してからもしばらく番組に出演していた。ピンチヒッター候補には日高のり子、森口博子、井潤千代美などが挙がっていた。このピンチヒッターは番組で候補者を挙げ、リスナーのハガキ投票で最終的に決定された。この投票をダービーゲームに例え、ミンキーヤスが競馬実況風に発表した。(RADIコミダービーの前身にあたるのだろうか?)この際候補者それぞれに競馬風の名前がつけられており、矢尾一樹は「サケノミホマレ」であった。リスナーによって開かれる"リスナーの集い"や公開録音・ライブなどのイベントで知り合ってリスナー同士が結婚することもあり、RADIコミのイベント(名古屋城夏まつりなど)にはその子供を連れて来る事もある。親子2代に渡ってリスナーという人も増え、家族で聞ける愛される番組となっている。時には親から「不登校のこどもが唯一、この番組なら受け入れている。ラジオでどうか呼びかけて欲しい」といった内容の手紙が届く。また身体が不自由だったり重い病気と闘うリスナーからも多くのアクセスがあり、なおかつ後述の公開録音・イベントなどにも足を運ぶ人が多い。それらにも平等に小森が応えている。2003年頃から世界に緑を増やそうと家庭から出てくる植物の種を集めて砂漠化している地域に贈る「みどりのたまごプロジェクト」を小森が提案、イベントや番組内で種を集めていた。しかし2005年、外来種輸入規正法により送り先である自然農法家の組織が存続を断念。「個々で緑を広げていってほしい」という理念を受け、番組でも種集めは一時中止となっている。2007年からは“ひとりの力は小さくても集まれば大きなウェーブになる”と、「世界のこどもにワクチンを送ろう!」を目標に捨ててしまうペットボトルのキャップを集める運動「エコキャップレボリューション」を小森が番組で提案した。2007年8月19日に行なわれた「名古屋城宵祭り」には全国からリスナーが集結し、3万3852個のエコキャップが集まった。約44人分のワクチンに相当する数をエコキャップ推進全国連絡協議会に贈った。さらに翌年2008年8月17日に行なわれた「名古屋城宵祭り」の公開録音でも、重量にして188.3kg(約7万5000個余り)、約94人のワクチン相当分のエコキャップを集めた。(2008年10月改編〜放送終了まで)2008年4月改編でラジオ関西が木曜日から日曜日に変更したため、全局放送曜日が統一された。2008年10月現在、フラミンゴスタジオで収録されている。収録風景の見学は許可されていた時期もあったが心無い熱狂的リスナーが小森に危害を加えようとした事件があったため、スタジオの見学や、スタジオ前での出待ち等は不可となる。隣では、2008年3月まで『TV Game Radions V3』が収録されていた。プロデューサーはボス是枝、ディレクターはがんちゃん(フルネーム:マシンガン野郎)から、たぐっちゃんへ。2004年3月、ディレクターにボス是枝(BOSS KOREEDER)が復帰(現在も事実上のスーパーバイザー)。2006年よりディレクターはたぐっちゃん。ADは2006年まで桂(かつら)ちゃん。公開録音は、放送局の地元で行われる。ミンキー♥ヤスのコスプレが披露される。また、"リスナーのしるし"として左手の手首にバンダナなどを巻く。かつては"RADIコミエイド"と称し左手の甲に絆創膏を貼り付けていたのがリスナーのしるしだった。イベント終了後は手の甲の日焼けの後を見て思い出を偲ぼうという趣旨だったが、汗で絆創膏が剥がれるといった為に廃止された。またこれが以後のラジオ番組(特にアニラジ)における“リスナーのしるし”の元祖だと言われている。リスナーの一部がボランティアスタッフとなり、会場への誘導や会場の掃除が行われる健全なモデル番組。前述の名古屋城における「エコキャップ」の受入及び集計も、番組で公募したリスナーによって行われている。
出典:wikipedia
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