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コミックマーケット

コミックマーケット(、略称:コミケ、コミケット)とはコミックマーケット準備会が主催する世界最大規模の同人誌即売会。毎年8月(通例、8月15日頃の旧盆にかかる週末)と12月(通例、御用納め以降 - 大晦日)の年2回、東京国際展示場(東京ビッグサイト)で開催される。開催期間は現在では主に3日間。8月に開催されるものは「夏コミ」、12月に開催されるものは「冬コミ」と呼ばれる。2016年8月現在、開催回数は定期開催だけで90回を数える。コミックマーケットは回を重ねるごとに大規模化し、それに伴い一般にもその存在が広く知られるようになった。2013年夏に行われた「コミックマーケット84」では東京ビッグサイトを3日間借り切った状態でサークル参加者数は約3万5000スペース、一般参加者数は59万人にも上った。準備会がサークル参加者に提供するブース(「スペース」という単位で呼ばれる)は不足しており、いくつかの特例(用意した大量の頒布物を捌く必要性から毎回2 - 3スペース分を準備会より与えられる一部の大手サークルへの優遇など)を除いては書類審査と抽選によって選ばれる。応募のおよそ50 - 70%程度が当選し、残りは落選という形になる。大規模化に伴いいくつかの問題点も指摘されるようになった。詳細はコミックマーケットが抱える問題を参照されたい。コミックマーケットは世界最大の同人誌即売会であり、屋内で行われるイベント(展示会なども含む)としても最大規模を誇る。アメリカ最大のコミック・ポップカルチャーコンベンションである「コミコン・インターナショナル」や日本国内では「SUPER COMIC CITY」などこれに迫りつつある同人誌即売会も存在する。コミックマーケットには多種多様な同人サークルが自作の物品を展示・頒布する。漫画・アニメ・ゲーム以外の音楽・アイドルグループのファン同人誌、ゴスロリ服やコスプレ衣装、手作りアクセサリー、同人ハードウェア、ガレージキット、人形作家による人形、教師・看護師・操縦士・鉄道員・エンジニアなどの専門的職業従事者の日常が描かれたもの、またペット・ガーデニング・紅茶などの愛好家による同人誌まで現代日本の様々なポップカルチャーが一堂に集う場となっている。このためサークル参加者の多くが年間スケジュールをコミックマーケット開催周期に合わせており、コミックマーケット以外では同人誌の頒布を行わないというようなサークルも多数存在する。そのため、徹夜組や転売屋などの問題も発生している。1990年代後半以降では同人誌を専門に取り扱う書店の販売網拡大やインターネットの普及などにより、こうしたサークルの発行物も入手する手段が他にも増えてきており一部発行物に限って言えば会場まで足を運ばずとも入手出来るようになった。しかし依然としてコミックマーケットは同人サークルと参加者が一堂に会する最大級の同人イベントとして存続している。※参加者の区分については「参加者の区分」の節を参照。現在のコミックマーケットが、理念として掲げているのは以下の内容である。コミケットの理念は、大まかに2度大きく手を加えられている。おおむね、以下の流れで進行する(一部の日程は前後する)。コミックマーケットは、「コミケット」(Comiket)あるいは「コミケ」(Comike)という略称で呼ばれることが多い。開催開始当初は「コミック=マーケット」とダブルハイフン入りで表記していた。この名付け親は、立ち上げ時のスタッフの1人であり防火管理責任者の明石良信である。このイベントの正式名称である「コミックマーケット」及びその略称・俗称である「コミケット」「コミケ」は、いずれもコミックマーケットの運営法人である有限会社コミケットが1998年に商標登録している。しかし商標登録前から「○○コミケ」(例 広島コミケなど)という名称で開催されているイベントは商標権の侵害とならないため、コミックマーケット以外の同人誌即売会で「コミケ」という名称が使われることは珍しくない。これまで東京・神奈川・千葉・茨城・沖縄の1都4県以外でコミックマーケットが開催された実績はないが、この影響かコミックマーケットを知らない首都圏以外の地方在住者や参加し始めたばかりの若い年代層や同人誌即売会に詳しくない者の間では他の似通った形態の同人誌即売会も一律に「コミケ」と呼ぶ傾向がある。コミックマーケットでは開催されるたびに「コミックマーケット○○」と呼び、○○に回数を入れる。略称は「C○○」。例えば2014年8月15 - 8月17日に開催されたコミックマーケットは「コミックマーケット86」、略して「C86」と呼ぶ。「第86回コミックマーケット」ではない。ただし、初回は「第1回コミック=マーケット」である。上記の形式は、C4 - 5のころに固まったようである。これはコミックマーケット準備会そのものが形式的には開催1回毎に解散及び結成を繰り返し、連続した団体としての体裁を持たないというスタイルから来たものである。この様式はC72まで続けられたが、開催ごとに解散を繰り返さないC73以降も呼称としてのCxxは継続されている。定期開催以外の「コミケットスペシャル」は独立して回数が計算され、定期開催の回数には含まれない。コミックマーケットでは、来場者は全て「参加者」と呼ぶ。企業、サークル、スタッフ、一般来場者も全て含めて参加者と呼ぶ。これはコミックマーケットにおいて参加者は対等であり、「お客様」は存在せず、皆がコミックマーケットの参加者なのである、との理念からである。参加者の主な区分は以下の通りである。※サークル参加及びコミケットスタッフへの参加資格は、公式サイトでは「申込時点で義務教育を終了している人」とされているが、「法的に中学校卒業以上の学歴がある人」という意味であり、中学校卒業以上の学歴がない場合は許可されない(ただし、開催前日の設営については特に制限はない)。これらの区分とは別に、以下のような形での参加もある。サークル参加を希望する際は、指定された期間にコミケットに対してサークル参加の申込を行う必要がある。申込には参加を希望する回の前の回のコミックマーケットで準備会販売スペースで販売される「申込書セット」を1スペースにつき1部購入し、申込期間中に参加費の振込み及びサークル情報をまとめた「短冊」と呼ばれるものを郵送する必要がある。この期間は早くても遅くてもいけない。期間外の申込は原則、全て書類不備として落選となる。郵送以外の申込方法としてオンライン申込が長い間切望されてきたが、有限会社コミケットは有限会社サークル・ドット・エムエスとWeb申込受付に関する業務委託契約を締結しコミックマーケット70(2006年夏)の申込よりオンラインによる申込受付サービスを開始している。オンラインでの申込にも郵送と同様に申込書セットが必要となり、さらに郵送申し込みで必要な郵便払い込み手数料に代えシステム利用料として申込書セット以外に1000円がかかり事実上申込手数料が倍となるが申込期間が約1週間、サークルカット提出と申し込み内容修正がオンライン申し込み終了後更に1週間と期間が延長される利点がある。主に夏コミ終了後から3日間と期間が非常に短い冬コミの申込期間が延長される点で利用者は毎回増加している。ただし、その数の急増による事務処理上の問題からC75(2008年冬開催)の期間延長日数は圧縮された。なお、参加を希望する回の前の回のコミケに参加出来ないサークル参加希望者の為に申込書セットはサークル・ドット・エムエスにより通信販売も行われている。この通販は会期前及び会期後にそれぞれ行われ、基本的にオンライン申込用としている。しかし、夏の会期後のもの以外は基本的に郵送申込にも利用可能である。サークル参加では机半分(90cm×45cm)分と椅子2脚が自スペースとして提供されるが、大手と呼ばれるサークルでは多数の一般参加者を捌く為にそれ以上のスペースが提供される場合もある。また合同誌頒布の際などに友人のサークルと隣同士に配置をしてもらう「合体参加」という申込も可能となっており、その際は合体申込を行った2サークルで机1本分の配置となる。なお、郵送申込時には専用の合体封筒の購入が必要となるがオンライン申込の際はフォーム上のみで処理が可能となっており合体封筒を購入する必要はない。サークル参加は申し込みサークル数に会場スペースが追いつかない状況が慢性的に続いているため、抽選が原則となっている。広報誌「COMIKET PRESS」によると人気ジャンルは申し込みが非常に多くなるため、若干当選率が下がる。逆に申し込みが少なく特にそのジャンルで申し込んだサークルが1つだけといった場合は、当選率を高くする傾向にあるという。これは、落選によるジャンルの存亡の危機を招かないようにするための配慮である。3回以上連続で(夏だけ、冬だけの申し込みも含む)落選すると、次の申し込みでは救済措置で優先的に当選できるが、人気が高いジャンルにおいては4回以上連続して落選することもある。また、落選が書類不備による場合、この救済措置は受けられない。またジャンル「学漫」は当時代表だった米澤嘉博の指示により、軽度の書類不備であればパスするほど当選率が高いといわれているが、申込書に学校名が記載されていない場合は書類不備扱いで容赦なく落選となる。そのため書類不備による落選が最も多いジャンルの一つである(コミケットカタログ『配置担当者の一言』コーナーより)。同一校で複数の「学漫」サークルがあると一方は落選する。もっとも学生数の多い大学などで複数キャンパスを持つような場合はキャンパスごとのサークルが当選しているなど、臨機応変に対応している。サークル参加申込用紙は記入事項が多く、開催ごとに変更される点も多い。そして「正確に申込用紙を記入したサークル」と「書類に不備があるサークル」を明確に区別して扱う方針のため、参加ジャンルを問わず書類不備による落選はかなりの割合を占める。しかし2000年代以降では3日間開催日程の回ならば実質の当選率はかなり上がっており、毎回書類の書き方にさえ注意すれば8割以上の当選を見込めるようになっている。例えば2004年夏のC67では当選率68%、不備で落選20%、抽選で落選12%。従って、不備を除いた申込の85%が当選とのことである。逆に2日間開催の時は書類不備を除いてもなお4割程度落選となり2004年冬のC68では当選率49%、不備で落選20%、抽選で落選29%で従って不備を除いた申込の62.8%が当選。いわゆる大手サークルと呼ばれているサークルについては致命的な書類の不備、準備会への非協力行為などがない限りは当選するといわれている。ただし、抽選免除が公にされているのはコミックマーケットの母体となった「迷宮」のみ。また免除ではなく「永久スペース提供」と表現されており、公にされたのも母体ゆえの特例と言える。しかし一般的なサークルの抽選も無作為抽出ではなく、申し込み時の内容が考慮されることが「COMIKET PRESS」などで明らかにされている。また、作業期間の関係で夏コミに比べ冬コミの方が書類不備の基準は厳格になる。例えばジャンルを間違えて申し込んだ場合、夏ならば正しいジャンルに配置してくれることもあるが冬は落選となる可能性が高い。特に開催日の違うジャンルと間違えた場合、配置作業は開催日ごとに並行して進めるためフォローが困難という理由で基本的に落選となる。過去に不正な行為を行ったり、サークルスペースを確保したにもかかわらず参加しなかったり、参加したにもかかわらず頒布物がなかったようなサークルは以後の開催で落選させられることがあるといわれている。過去にはコミックマーケットスペシャル開催妨害や、サークル専用通行証のインターネットオークションでの転売を理由として永久追放になったサークルも存在する。ただ異論を排斥しない理念を掲げている(「コミックマーケット開催まで」参照)以上、永久追放は最後の手段と位置付けられており懲罰的に落選させられたサークルでもほとんどの場合は前述の救済措置の適用は受けるといわれており、最低でも4回に1回は参加できることになる。なおジャンルが二次創作物の場合、申込が原著作物の発表(発売・放映・公開など)以前だと基本的に落選になる。これは、たとえ事前情報が出回っていたとしても「作品を鑑賞してからこそのパロディでありファン活動ではないのか?」という方針があるからである。ただしケースバイケースであり、また例外的に原著作者本人によるものは当選する可能性がある。前述の通りコミックマーケットには数多くのサークルが参加する為、手ぶらの状態で会場に訪れて目的のサークルを探すのは会場の広さも相まって非常に困難である。この為、コミックマーケット準備会は毎回参加する各サークルの紹介とその配置の紹介を兼ねた冊子「コミックマーケットカタログ」を刊行している。カタログの印刷は、毎回共信印刷が担当している。参加するサークル及びその配置は毎回異なるので、カタログの内容も対応する回にのみ適用される。このカタログはおおむね開催の1カ月ほど前からコミックマーケット準備会のほか、大手書店や同人ショップによる通販などで販売される(C72まではCPSにおいても販売されていた。事情は「株式会社コミケプランニングサービス」を参照)。コミックマーケットの開催期間中には会場外の待機列付近や一部会場内でもコミケットスタッフによって販売され、ここで購入することも出来る。巻頭には、コミックマーケットへの参加に関しての諸注意事項が掲載。諸注意事項は読みやすいよう、毎回漫画形式で作成されている。そして巻末には、投稿コーナー「まんがレポート(MR)」が掲載される。この記事は、前回のコミックマーケットに実際に参加した者達から一コマ漫画形式で募集した意見や感想を、その話題ごとにまとめたものである。まんがレポートは読み物として読者からの人気を集めていると共に参加者のマナーの向上や問題提起、疑問の解決などに一役買っている。他、読み物としてカタログに掲載される記事には前回の開催内容を紹介する「アフターレポート」、準備会からの告知やアンケートへの返答を行う「コミケットプレス出張版」、コミケの諸事情を風刺したDr.モローによるショートコミック、コミケビギナーのためのアドバイスコーナー「Comi-Navi」などがある。またカタログには白地図様の会場内の配置図が毎回折り込まれており、開催会場が有明に移転してからは東京ビッグサイト東ホール用のものが色違いで2枚(表が1・2・3ホール、裏が4・5・6ホール分)、同・西ホール用のものが1枚(裏表同じ分)用意されている。参加者はこれに目的のサークルの場所を記したり同行者との待ち合わせの場所を記したりするなど、各々自由に利用することが出来る。数万のサークルを紹介するカタログのページ数は1000ページ以上にも及ぶ為、本文には特製の薄い用紙(日本製紙製「ヘンリーコート R-50」)が採用されているが、それでもなおカタログ全体の厚さは数センチ、重さは数キロに達する。より厚い月刊漫画雑誌などより重いのは、サークルカットの刷り上がりが最適になるよう採用している用紙の性質による。それゆえ会場内で持ち歩くことを考慮し、綴じ部分(いわゆる「のど」の部分)からカッターナイフなどを用いて切り分けるなどカタログを分冊する者も少なくない。このことから一時期(C48、C52)は準備会側もカタログを開催日ごとに分冊化しての発行を試みていたが、開催日に対応した冊子のうちのいずれかが売れ残るなどの問題が解決出来ず結局1冊にまとめての状態へと戻った。かつては、開場後しばらくすれば会場内のゴミ箱からカタログを拾うことができたが、現在はほぼ全てのゴミ箱に会場の清掃業者が常駐し捨てられたものを分類・管理しているため、会場内のゴミ箱からカタログを拾うのはほぼ不可能となっている。一方で、以前から有志によって行われてきたカタログのリサイクルが近年では準備会によって行われるようになった。準備会スタッフによって回収された中古カタログは、当日販売用に用意された新品のカタログが売り切れた場合に限り、「森林保護募金の協力者への謝礼」という形で配布が行われる。C56からは従来の冊子型のカタログに加え、パソコン(Windows・Macintosh)で利用できるCD-ROM(C81からDVD-ROM)版のカタログも登場している(通称「カタROM」)。当初はアスキーの持ち込み企画として始まり、その後制作期間の問題が発生したことからC58より冊子版同様共信印刷が手がけることになった。発売は毎回、冊子版の約1週間後となる。パソコンで扱えるデータということもあり、基本的な検索機能以外にも、チェックを入れた配置図やチェックリストのサークルカットを含めた一覧の印刷機能、過去のCD/DVD-ROM版カタログで出力されたチェックリストを元にしてサークル・作家のスペース配置状態をオートチェックできる「過去のカタログ読み込み機能」、サークル情報のオンラインアップデート機能やgoogleを使ったサークル検索機能などのインターネット接続を活用した機能も搭載されている。また冊子版に収録の情報に加え、落選となったサークルの情報まで収録されていることも大きな特徴である。C82からはまんがレポートも収録されるようになった。C88からは制作体制の見直しに伴い、カタROMはWindowsのみ利用できることとなった。Web上では、C74からは公式Webサイトにて開催前に諸注意ページ(コスプレの注意事項である「ちぇんじ」、コスプレ撮影の注意事項である「さいと」も同時に公開されている)を、開催後にまんがレポートを公開している。また、2012年7月31日に公式Webサイト上でWeb版カタログの開発を行うと表明、C83でβ版として11月2日より公開し、2013年夏のC84で正式版を公開しており、機能の拡充や動作スピードの向上、モバイル端末への対応、カタROM及びpixivやニコニコ動画、Twitterなど外部サービスとの連携、コスプレ参加者向けのサービス「コミケコスプレコミュニティ」の運営などを行っている。Webカタログの開発に当たっては、サークル参加オンライン申し込みシステムを手がけたサークル・ドット・エムエスが中心となって行い、日本マイクロソフトの協力を得て、クラウドプラットフォームのMicrosoft Windows Azure上にシステムが構築されている。なお、これまでカタROM収録データを会場内でも活用できるよう、各種PDAやスマートフォン、タブレット端末で閲覧するためのオンラインソフト・アプリも複数公開されていたが、カタROM自体の不正コピー利用が多くなっているため、C86からWindows版で、C87からMac版でアクティベーションがかけられ、収録データもWindows版・Mac版収録の専用ソフトとiOS版・Android版の専用アプリのみが使える形に移行、その後前述の通りC88からMac版への対応が終了したことに伴いWindows・iOS・Androidの専用ソフト・アプリのみ対応という形になっている。これに呼応する形でWebカタログではそのデータなどを外部ソフト・アプリで使えるようにするAPIを公開しており、従来からあるアプリを含めC86からWebカタログのデータを扱えるアプリが登場してきている。当初カタログがただ一枚の紙だった時代、およびその後の中綴じの時代には「背表紙」は存在しなかったが1986年冬(C31)に今のような平綴じになり白い背表紙ができた。当初は「コミックマーケット×× カタログ」としか書いていなかったが、1989年冬コミ(初の幕張メッセ開催、C37)で発行されたカタログで初めて背表紙に絵が登場した。翌C38のカタログのマンガレポートにそのことに対する反響が2枚掲載されている。うち、1枚に対して編集が「カタログの背表紙の絵は永遠に続くよ」というコメントを寄せている。主に同人界で人気のあったジャンルが背表紙になっている。カタログが薄かった頃は背表紙のやや上の方とやや下のほうに交互に人物が配置されていたが今ではカタログが厚くなったため、交互に人物を配置する必要がなくなっただけでなく1作品から2人物を登場させることができるようになっている。最初期に背表紙に登場したジャンル、キャラクターは以下の通り。1994年12月のC47より創刊された広報誌。カタログ、サークル参加申込書の補完と、準備会と参加者の交流の場の一つになっている。単独で購入することもできるが、サークル参加申込書を購入するとおまけに付く。バックナンバーをまとめた総集編も発売されている。主な内容は以下の通りである。サークル参加者は頒布物の見本を無料頒布物を含め、必ず準備会に提出する必要がある。現在では年齢制限や過激な表現などの点検も兼ねており、性器の無修正や修正が小さいと判断した場合はある程度の修正を命じられる。見本誌提出はコミックマーケットが始まった当初から行われており、現在は埼玉県内に専用の倉庫を用意して保存している。初期は完全には強制できず買い取った物や他の即売会で買い取った同人誌もあるため、収蔵漏れやコミックマーケットでは実際には頒布していない同人誌も混じっている。この制度はコミックマーケット独特の物で他の即売会では見本誌点検を行っても、事後に返却することが多い。現状、他の大規模な即売会で見本誌提出制を取っているのは「コミティア」「COMIC1」など少数である。コミックマーケットとしては見本誌で資料館、あるいは図書館を設立する構想を1995年より表明していた。また、構想の実現前にコミックマーケットが終了する事態になったなら国立国会図書館への寄贈も検討していた。制度上、同人誌も一部は(ホチキス留めなどの簡易製本や、表現上広く公開することに支障のある物は含まれない)国立国会図書館の納本対象に入る。ただし、同人誌の納本例は少ない。2008年、市川孝一がコミックマーケットとは別に代表を務める即売会「COMIC1」で見本誌を明治大学に寄贈する話が出た。しかし事前の告知が無くサークル参加者から反発が起こり、サークルが申し出れば寄贈対象から外すことでおさまった。同年冬に開催されたC75のサークル参加申し込みにでは同人誌図書館を設立する場合、どのような形で公開することが望ましいかという内容のアンケートが行われた。また、その後の拡大準備集会でCOMIC1での見本誌寄贈は同人誌図書館構想のテストケースであると説明された。同人誌は不特定多数への頒布を想定していない物が多く、愛好者で内々に活動しているジャンルも多い。また、奥付に住所氏名などの個人情報を載せているケースもあるため、この件は見送られた。その後も見本誌公開に向けた検討が行われ、2009年10月31日に開館した米沢嘉博記念図書館においてC77の見本誌より閲覧を開始すると発表されている。ただし現在の構想では公開期間は限定であり有料の図書館利用者登録が必要になるほか、同人誌に関する詳細な情報を指定しないと実際に閲覧することはできないため実際の閲覧にはある程度のハードルが設けられる。問題となっている奥付の個人情報に関しては、所定の申請手続きをとれば該当部分にシールを貼って見えなくする措置が検討されている。コミックマーケット公式の調査によると、参加者の年齢の中心層は中学生から30代ぐらいまでであった。回次と共に平均年齢は上昇傾向にあり、2013年8月のC84サークル参加者データによると、サークル代表者の平均年齢は男性31.24歳、女性32.5歳であった。男女比については、2010年8月のコミックマーケット78での調査によれば、一般参加者では男性64.4%、女性35.6%と男性の比率が高く、サークル参加者では男性34.8%、女性65.2%と女性の比率が高い。一方、2008年2月に準備会が公開した資料「コミックマーケットとは何か?」によれば、一般参加者は女性57%、男性43%、サークル参加者は女性71%、男性29%であり、当時の準備会は「世の中の認識とは異なり、女性の参加者が多い」と結論づけた。また、2004年8月のコミックマーケット66でのコミック文化研究会(九州大学助教授・杉山あかし)と準備会による試験的な計測では、男性がやや多いかも知れないという結果であった。2013年8月のC84サークル代表者内訳は、男性43%、女性57%と依然として女性が多いが、以前より男性が増えていると指摘している。2013年8月のC84サークル代表者の住所は、約7割が首都圏である。開催会場が有明に移転して以来、日本国外からの参加者も増えている。参加形態も一般参加者だけでなくサークル参加者もある。一部には行列のできるサークルを主宰する者も出ている。このため準備会では「国際部」と呼ばれる外国語接遇セクションを強化、「フェロースタッフ」と呼ばれる他部署兼務の外国語対応スタッフを導入している。そのほか、場外警備を担当する部署に簡単な会話帳を配布するなど対策を講じている。アニメ・漫画のイベントとしては、日本国外にも以下のようなものがある。参考リンク:世界のコスプレイベント一覧初期は「迷宮」による運営で実質的には原田央男、亜庭じゅん、米澤嘉博、高宮成河の4人が中心となっていた。名称も「準備委員会」だったり「準備会」だったりと、一定しなかった(C1では「準備委員会」)。「準備委員会」の名称は、「『準備する会』ならともかく『準備会』では、言葉の使い方がおかしい」と思った原田の提案だったが、「委員など決める必要はない」「“委員”という言葉は権威主義的」と批判を受け、定着しなかった。また、佐川俊彦によれば、草案に「準備委員会」となっていたのを、佐川は自分の苦手な、左翼運動的な名称と感じた。そこで「準備会」の名称を提案し、認められたという。米澤は、準備会が現在の(独立した組織としての)原形を持つ(ようになった)のは自身が代表になってからとしている。原田は1979年7月28〜29日開催のC12を最後に、準備会の運営から離れた。その後、米澤は約26年間の長期にわたって代表を務めたが体調不良の為、C70を最後に退任した。後任には副代表だった安田かほる、筆谷芳行、市川孝一の3人が米澤によって指名され、共同代表となった。米澤夫人の米澤英子は代表補佐でもあったが、夫の退任後も補佐に留任し、その後C82を持って代表補佐を退任している。C69まで準備会は常設の組織ではなくコミックマーケット開催のたびに結成し、終了後解散する形を取っていた。会社設立以降は継続的な日常の業務については有限会社コミケットが請け負っていた。しかし個人情報保護法の施行によりC70以降は日常の業務も行うようになったため、解散すること無く継続して存在するようになった。コミックマーケットはその会員(イベントの性質に見合った用語を用いるなら、同人)の集会という扱いである。しかしイベント開催規模が大きくなってからは任意団体のコミックマーケット準備会では通常の事務作業とその作業場所の確保、会場借り上げの契約を行うことが出来なくなった。そこで、1985年に株式会社コミケットを設立してそれを行うこととした。後に有限会社(2006年5月より特例有限会社)となり、現在に至る。社長は米澤が準備会代表と兼任していたが、彼の死去により米澤英子が後任となり、その後共同代表の1人でコミケット社員の安田かほるが社長を引き継いでいる。業務はコミックマーケット準備会からサークル配置データの提供を受け、コミックマーケットカタログを製作。代わりに会場と契約して場所を提供している形になる。その他の業務としては中古同人誌を取り扱う古書店「コミケットサービス」の運営、事務所の維持、倉庫の管理などがある。また、作品集や同人誌に関わる内容の出版も行っている。2009年6月末までは同人誌以外の古書・古洋書・ミリタリーグッズを扱う販売店「B-Maniacs」の運営も行っていた。通称CPS。過去にはコミックマーケットカタログやカタログCD-ROM・次回申込書の通販業務を行うほか、コミックマーケットにて同人誌委託コーナーの運営もしていた。しかし同人誌委託はC71を最後にコーナー自体が中止され(参加者の区分を参照)、通販もC72を最後にカタログ通常版は準備会の直販、CD-ROM版は株式会社クリエイション、次回申込書は有限会社サークル・ドット・エムエスの業務にそれぞれ変更され、3代目代表の体制になってからCPSの排除が行われた。この間の事情についてコミケット準備会とCPS、双方の公式見解が出されている。また「運営組織の変遷」も参照のこと。2008年4月に株式会社シーピーエスへの社名変更が発表された。2010年1月からはIT事業を業務に変更し、現在のコミックマーケットとは関係無くなっている。共信印刷は、東京都文京区の印刷会社。コミックマーケットのカタログやコミケットアピール(申し込みサークル向けの案内書)・サークル参加申込書・コミケットプレスなど多くの準備会発行物印刷を請け負っており、カタログについては創刊から現在に至るまで全て担当している。また、CD-ROM版カタログについては販売とサポートも請け負っている。一般の印刷も受注しているため、同人誌印刷の受注は少ない方である(が、コミックマーケットのカタログそのものも「同人誌」という扱いであるため、そういう意味では大手とも言える)。2009年現在、コミックマーケット準備会との資本関係は一切無い。サークル・ドット・エムエスは東京都文京区の企業。2006年にコミックマーケットのサークルオンライン申し込みサービスの開発を委託する流れで設立された。オンライン申し込みサービスはコミックマーケット以外の同人誌即売会でも利用できるようになったほか、これを核として同人作家・サークル向けポータルサイトの運営業務を行い、その中で印刷所検索サイト「印刷Navi」や電子書籍サービス「emes-えむえす-」(2012年終了)の運営も行っている。また、コミックマーケット関連では公式ウェブサイトの管理運営や2012年開始のコミケWebカタログの開発運営を手がけている。コミックマーケットの歴史は、同時に開催場所移転の歴史でもある。以下でそれを追っていく。1960年代に入り漫画、SFや映画などに積極的に興味を示す人々が出現、同時に表現の場としての同人誌が制作されるようになった。1966年12月創刊の漫画雑誌「COM」は1967年3月号で読者や漫画家予備軍としての同人作家を全国的に組織化する野心的な構想を発表し、「ぐら・こん」と称した。すなわち、同人作家のプロデビューの道筋を示したものである。この構想は「COM」の路線転換や休刊(1973年8月号)もあり失敗に終わったが、漫画同人誌に与えた影響は大きかった。そこで、時代の潮流として大型の同人誌即売会の開催が求められた。そんな中で出現したのがコミックマーケットである。コミックマーケットを立ち上げるまでに至った主なきっかけの一つは、SF大会を模して開催された「日本漫画大会」や流行の端境期に直面していた旧来の漫画や漫画評論への反発といったものだった。また「日本漫画大会」を批判したある前回参加者が参加を拒否された事件があったことから、「迷宮」はこれを告発するとともにコミックマーケットでは批判者を排斥しない理念が形作られることになった。そして「日本漫画大会」や「マンガフェスティバル」などではイベントの一つの同人誌即売会を独立させ、「ファンのファンによるファンのためのイベント」を目標にした。従って「ぐら・こん」のようにプロ漫画家予備軍ではなく、また「日本漫画大会」のように漫画イベントの一つでもなくただ同人誌を描き頒布するならば誰でも参加できる「マーケット(=市場)」となった。コミックマーケットを企画・主催したのは「迷宮」だが、名目上の主催は当初から「コミックマーケット準備委員会(のちの準備会)」である。実態として両者は表裏一体だが、将来の分離も視野に入れていた。準備委員会の初代代表は「迷宮」同人で人脈の一番広い、原田央男に落ち着いた。C1(第1回)のコミックマーケットは1975年12月21日、漫画批評集団「迷宮」が実質的な主催の下、東京・虎の門の日本消防会館会議室において参加サークル32(ただし委託・展示サークルがほぼ半数)、参加者約700名で開催された。開催前日には合宿も行われ、アニメソングが高歌放吟されたというSF大会の影響の濃いものだったらしい。また参加サークルの半分近くを学漫(学校内クラブ活動としての漫画研究会)が占め、萩尾望都作品を中心とした少女漫画ファンクラブがそれに次いだ。主催者によると、入場者の9割余を「中・高校生の少女まんがファンを中心とした女子」が占めたという。この時既に、「やおい」の先駆的同人誌も出されていた。当時、同人誌といえば一般には文学同人誌を指し漫画同人誌の知名度は低かった。そこでSFファン向け同人誌の用語として用いられた「ファンジン」がまだしもわかりやすいだろうと借用し、「まんがファンジンフェア」と名乗っていた。しかしその後コミックマーケット自体の知名度が上がるに連れ、漫画同人誌を指す用法が定着していった。このC1以降、春・夏・冬の学校の休みに合わせて年3回のコミックマーケット開催が定着する。なお、「迷宮」とコミックマーケットはその後分離した。しかし、現在でも「迷宮」はサークル参加での永久スペース取得権を有している。帳簿上コミックマーケット準備会は「迷宮」からの借金が残ったままになっており、その代償という形を取っているという。この会場は第1回のみである。1976年にはC2からC4の春・夏・冬コミが板橋産業連合会館で開催される。この頃はまだ参加サークルは100に満たない状態だったが、大田区産業会館に移った1977年春のC5あたりから入場待ちの行列ができるようになっていく。途中、四谷公会堂(1978年夏・C9)と東京都立産業会館・台東館(1979年夏・C12)を1度ずつ使用したものの、結局1979年冬のC13まで同館の使用は続き、そのC13では参加サークル300弱、参加者約4,000人とコミックマーケットは確実に大きくなっていった。また参加サークルにおける学漫(学校の部活動、サークルとしての漫画・同人サークル)の占める割合は低下し、オリジナルの創作系が増えていった。また、『宇宙戦艦ヤマト』などアニメのファンサークルの参加も目立ちだした。特に『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』のブームと非常に初期の現在で言う「おたく」が出現したことは、コミックマーケットを牽引する大きな原動力となった。この時期を最後に「迷宮」は運営から手を引き、コミックマーケットは組織として独り立ちしたようである。「迷宮」は1980年、創作漫画専門の同人誌即売会「まんが・ミニ・マーケット」をコミックマーケットの補完として開催した。これはコミックマーケットの規模拡大で売り手と買い手、作者と読者、さらにはファン同士の交流が薄れ始めたため適正規模の即売会を別に設けようとしたためという。また頒布物における二次創作物の割合が高まったため、純粋なオリジナル創作だけの場を設けるべきではないかという話もあったという。原田は、創作漫画サークルの発展を期待していた。そのため二次創作物が主流となり、創作漫画も既存の商業作品の二番煎じと思しき作品のサークルが多かった現状は誤算だった。しかしコミックマーケットの理念として、もとより排斥すべきではないと考え原田はC12を最後に身を引く形で代表を辞任した。C14から米澤嘉博が代表になった。原田はコミックマーケットから全く身を引き、のちに米澤の訃報を聞くまで参加することはなかった。まんが・ミニ・マーケットは1981年にMGM(Manga Gallery & Market)と改称、現在も存続している(会場の都合で2007年から休止、2012年再開。2013年より運営を交代し、「MGM2.XX」と改称した。XXは開催回次が入り、2013年9月8日、改称第1回となる「MGM2.01」が開催された)。1980年春のC14から1981年春のC17にかけて川崎市民プラザで開催されたコミックマーケットは参加サークル350〜400、参加者約7,000人規模で推移するがすぐに会場が手狭になった。横浜産貿ホールを2日間使用した1981年夏のC18ではついに参加サークルが500、参加者が1万人を上回った。換言すればこの時期まではコミックマーケットといえば女性参加者が主体だったがこの時期『うる星やつら』のサークルが激増し、当時のロリコンブームと相まって男性参加者が本格的に進出。現在の男性向創作分野の基礎が作られ、わいせつな内容の同人誌が増えた。漫画家・吾妻ひでおらの「シベール」の行列が館外に作られ、今の壁サークルの走りとなったのもこの時期である。1981年冬のC19は、当初川崎市民プラザで開催される予定だった。しかし、そこに主催者の内部分裂騒動が発生し「反主流派」(「クーデター派」「コミケ改革派」などと自称した)は先手を打って会場を押さえてしまった。「反主流派」の行動の動機については、規模拡大に伴い規制強化が必要と認識したからとも既に同人界に影響力を持ち始めていたコミケットの名声に目が眩み乗っ取りを謀ったなどの諸説がある。また声優を呼んだりアニメの上映会を開いたりできないかとする意見が当時からあったが、コミケットの趣旨にはそぐわないと却下された経緯もあったという(ただし後者は後年、企業ブースとしてコミックマーケットでも実現する)。こうして、コミケット準備会は望まぬままに東京・晴海にあった東京国際見本市会場(通称:晴海)の使用に踏み切った。なお分裂した「反主流派」は「新・コミックマーケット」を名乗り、後に「コミックスクウェア」と改称した。しかしいつまで続いたのかは文献が確認出来ず不明である。また2006年現在、現存する同人誌即売会の「コミックスクエア」とは無関係である。「コミックスクウェア」終了後、「反主流派」の流れを汲む人物の一部は「コミックレヴォリューション」開催に加わったとも言われている。以後、コミックマーケットの会場は6年間にわたって晴海に落ち着く。その間、参加サークル、参加者数共に増大を続け、1983年冬のC22において参加サークルは1,000を超え、さらに第1期晴海時代の最後の開催であるC30(1986年夏)には3,900サークル、約35,000人が参加するに至る。またこの間に1983年以降、1988年の冬コミが中止になったことから代替として1989年春に開催されたC35を除き春コミは廃止された。この間、1985年頃から『キャプテン翼』(『C翼』と略された)が女性サークルに絶大な人気を呼び商業作品を題材に男性キャラクター同士の同性愛を表現した同人誌を制作・頒布するいわゆる「やおい」サークルが増加。若い女性参加者を大きく増やすこととなった。1983年よりスタッフに加わった岩田次夫は、『キャプテン翼』ブームが少女漫画再生の鍵になると見てやおいサークルを激賞。『キャプテン翼』そのものは少年漫画であるにもかかわらず女性がほとんどを占めたことが同人サークルの特異性である。ブームから外れた時期になるが1992年のC43での公表データによると『C翼』サークル代表者は男性6、女性1083で女性比率は99%を超えている。少年漫画(特に「週刊少年ジャンプ」作品)サークルが女性中心の傾向は現在でも変わっておらず、むしろ出版社側も利用する動きがある。また、岩田はサークル情報などの事務管理のコンピュータ化を企画・実行し急激な作業量の膨張に対応した。これには、参加可能なサークル数を増やすことで人材発掘・育成を進めようという意図もあったという。岩田はスタッフの第一線を退いた後も「イワえもん」の愛称で親しまれ、同人誌評論などの活動で同人界に影響力を持ち続けた。岩田は2004年に逝去したが、現在でもカタログや参加申込書にはイワえもんが欠かさず登場する。商業イベントとの競合により晴海会場の確保が不可能になったため、1986年冬のC31から1987年冬のC33まで平和島にある東京流通センター(TRC)を使用した。会場面積の減少を補うため2日間開催を実施。この間4,400サークル、4〜6万の参加者を獲得した。また、ジャンル別にサークルを割り振るジャンルコードが導入された。東京流通センターでの2日開催でも人員・サークルを収容しきれなくなったコミックマーケットは、翌1988年夏のC34より会場を晴海に戻すことになった。この時期に至って事務管理のコンピュータ化が確立し、第34回では倍以上の9,200サークルを参加を実現させた。とはいえ、この間も会場の確保に困難を極める状況に変わりはなく、1988年冬に開催予定としていたC35開催に至ってはついに会場を確保できず、翌1989年3月まで開催延期を余儀なくされる。これが、通常開催では最後の「春コミ」である。また1989年夏のC36ではサークル数1万、参加者数は10万人の大台に乗った。急激な膨張はとどまるところを知らず、ついには晴海の全館2日使用でさえ収容能力の限界を露呈するほどに巨大化したコミックマーケットは、1989年冬のC37より当時日本国内屈指の巨大イベント会場だった千葉県の幕張メッセへと会場を移した。ところが、有害コミック騒動などの影響で、1991年夏のC40開催直前に幕張メッセ側から会場の使用を拒否され、急遽、場所を晴海に戻さざるを得なくなった。後に「コミケ幕張メッセ追放事件」などと呼ばれる出来事であり、コミケットの歴史の中では最大の存続の危機と見ている者は多い。当時この出来事を体験した参加者の多くがいまだに幕張メッセに対して極めてネガティブなイメージと強烈な不信感を抱いており、これについては現在もほとんど払拭されていない。とはいえ、準備会としては幕張メッセへの公式な批判は避けている。また、事件後20年以上経過し実際に追放事件を体験していない参加者が増えたことや、現在多くのアニメ・ゲーム関連の大規模イベントが幕張メッセで開催されていることもあり、幕張メッセに対してネガティブなイメージを抱く人は相対的に少なくなってきている。以上のような経緯を経て、コミックマーケットは1991年夏のC40から1995年冬のC49まで、再び晴海の東京国際見本市会場に舞い戻ることになる。そのため、コミックマーケットは3度晴海に移転し開催されたということになる。しかし猥雑図画に対する自主規制の強化は避けられず、この時期に見本誌チェックによる規制を導入している。この時期には1980年代後半の『聖闘士星矢』とその商業的成功の影響を受けて製作された『鎧伝サムライトルーパー』などのいわゆる美少年アニメが若い女性のアニメファンの間でブームとなり、ファンダムにおける盛り上がりはテレビアニメ自体の放映終了後もなお数年間にわたり持続した。これは同人界・コミケットにも大きな波及を見せ、この時期に大量の同人誌が制作されコミケ内でそれぞれ単体ジャンルとして成立するほどの隆盛を見せた。しかしながら、その多くが「やおい」と呼ばれる男性同性愛の性描写を多かれ少なかれ含むもので本来は子供向けアニメである作品の二次創作物としては内容面で非常に問題があると言わざるを得ないものであった上、これらを収録した同人アンソロジーコミックが多数制作されたこと、さらにはこれら同人アンソロジーコミックが著作権などの面で違法性の高い同人誌やコミケットの状況を利用して商業出版の流通に乗せられたことなどは、それ以降のアニメ制作プロダクションやメディアミックス関連企業の二次創作全般に対する姿勢を改めさせる要因の1つとなり、最終的には著作権者である企業の著作権管理の強化にも繋がっていった。この著作権管理の厳格化は、以降のコミケットの同人誌も含めたの二次創作全般に大きな影響を与え、そこでは様々な制約の増加や自主規制のさらなる強化という形で影を落とすことになった。とはいえ、これら「やおい」同人誌の隆盛は以降のアニメ作品でも繰り返され、1990年代半ばになるとさらに発展し、商業出版・同人の枠を超えてボーイズラブジャンルが隆盛するその礎となっていく。参加者の膨張はとどまることを知らず、1992年夏のC42では入場待ちの長蛇の列に折からの猛暑が加わり数百人が熱中症で救護室に運ばれる騒ぎになった(いわゆる「ジェノサイドコミケ」)。また1995年夏のC48は、開催20周年記念として初の3日間開催を行うなど、イベント自体の規模もまた膨張を続けていく。この時期のコミックマーケットにおいて特筆すべきは、1992年の『美少女戦士セーラームーン』の登場である。男女両性の読者へ幅広くアピールした同作品の台頭をきっかけに、女性作家による男性向け創作が大幅に増えることとなり、この傾向は以後の『新世紀エヴァンゲリオン』のブームへと続いてゆく。また、1990年代半ばから2000年頃に掛けて、商業出版の男性向け成人向け漫画に数多くの女性作家が登場するその端緒ともなった。その後、東京国際見本市会場の閉鎖が決定し、1995年冬のC49をもって晴海での定期開催を終了。翌1996年春の「さよなら晴海!! コミケットスペシャル」をもって晴海での開催は終了となった。1996年夏のC50から、コミケは同年完成した東京ビッグサイト(有明)での開催となる。C50の開催はビッグサイトの会場の一部で行われたが同時開催の他のイベントからの多数の苦情が来たことから、次のC51では早くもビッグサイト全館貸し切りでの開催となった。1997年夏のC52以降、夏コミは3日間開催が定着、参加サークルは3万を超えるまでに至っており、2013年夏のC84では普段の夏コミの金・土・日の開催ではなく土・日・月の開催となり、普段の2日目と3日目のジャンルが入れ替わる形となった。冬コミについても会場の都合により1999年冬のC57で3日間開催を実施、2002年冬のC63以降(C67・69を除く)は3日間開催が定着しており、2006年冬のC71以降(C75・87を除く)は大晦日を含む3日間開催となっている。一例として、C81とC87の概ねの日割を紹介しておく。有明の初期、1990年代後半は『新世紀エヴァンゲリオン』のブームがコミックマーケットを席巻した。『美少女戦士セーラームーン』や各種対戦型格闘ゲームに続く同人誌バブルともいえるこのブームで、コミックマーケットはいっそうの活況を呈した。一方でSFというジャンルの存在感がさらに薄れ、「萌え」を打ち出した90年代後半型作品の同人誌が急激に増加した。また、Windows95などのパソコンの普及に伴い、CD-ROM系のPCゲームが登場し、所謂エロゲーやギャルゲーなどの同人誌が増加した。この流行は2005年頃まで続いた。2000年代前半に入ると、同人ソフト『月姫』や『ひぐらしのなく頃に』、『東方Project』などの登場により同人ソフトを元にした同人誌という「同人の同人」とも呼ばれる現象(ただし前述の作品は同人でもいわゆるオリジナル作品であり、そのパロディなどが出ることは矛盾も重複もしていない)が生じた。これもコミックマーケットの巨大化の一つの現れといえるだろう。また、『月姫』については製作サークルTYPE-MOONが商業メーカーへの転換に成功している。さらに、同作品を題材とした渡辺製作所(現・フランスパン)製作の対戦格闘ゲーム『MELTY BLOOD』のアーケードゲーム進出、音系の同人に関しても片霧烈火らがメジャーへの道を辿るなど、漫画以外の表現方法についても同人活動をプロへの登竜門とする流れが生まれつつある。2000年代後半になると、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『灼眼のシャナ』、『とある魔術の禁書目録』をはじめとするライトノベルを元にした同人誌も増加し、『らき☆すた』や『けいおん!』などの深夜アニメが大人気となり、その関連同人誌も増加した。また、この頃からジャンルの超多様化(従来の同人活動の概念を逸脱する、オリジナルアクセサリーなどのサークルも出現)が発生している。2006年冬のC71では現役の声優である堀江由衣が自らがパーソナリティを務めるラジオ番組の企画で設立したバンド・黒薔薇保存会の作品を後述する企業ブース内で販売した実績があり、日本国内のあらゆる「表現」を呑み込んで今もなお成長している。2007年冬のC73では、VOCALOIDの初音ミクと鏡音リン・レンが発売され、オリジナル曲が発表・頒布されるようになった。また、漫画家・作家・イラストレーターのみならず、声優や歌手などのプロフェッショナルとして活動する人物が自ら活動の場の一つとしてコミケへのサークル参加を行うようになり、特に2014年夏のC86では、演歌歌手の小林幸子が、これまでVOCALOIDを使って発表された楽曲をカバーした(歌ってみた)CDを製作、個人サークルとして参加し自ら手売りを行ったことが大きな話題となった。2010年代に入ると、ブラウザゲームやスマートフォンのアプリゲームから生まれたジャンルが増えたことも特記する点である。特にC84からは『艦隊これくしょん -艦これ-』のサークルが爆発的に増加し、C88からは『刀剣乱舞』などのブラウザゲームの同人サークルが激増した。このため前者はC86、後者はC89からジャンルコードに指定された。またスマホゲームの普及に伴い、『あんさんぶるスターズ!』や『グランブルーファンタジー』などを扱う同人サークルも増えた。2006年9月30日、米澤代表が重体となりC71より後任の代表は安田かほる・筆谷芳行・市川孝一の共同代表制に移行した(米澤は翌10月1日死去)。有明移転後のコミックマーケットで特筆すべき点は、会場建物の構造上の問題からサークルスペースとしての運用が難しい西地区4階フロアをコミックマーケット準備会が企業に販売・プロモーション・市場調査のスペースとして提供する「企業ブース」の本格的導入である(1996年冬のC51より)。企業ブースについては、初めて導入された晴海のC48(この時は新館2階奥半分を使用)にも導入がされており、企業の参加に関する趣旨について、C48の反省会時に当時の米澤代表より説明がなされていた。やがて企業ブースの常態化に伴って当初ほど批判の声は聞かれなくなり、企業ブースで販売・配布される限定商品を目当てに来場しアマチュア作家たちの同人誌には目もくれない「企業専」と呼ばれる来場者たちも出てきているほどである。企業側でも、コミックマーケットが貸し出す企業ブースは高い販売効果が望めるプロモーションの場として注目されていると言われている。その結果、2000年代に入ると同人サークルなどと同様に抽選によって落選する企業まで出る事例もみられるようになり、2009年以降は企業ブースに落選した美少女ゲームメーカーの中にはコミックマーケット開催日前日に開催される「秋葉原電気外祭り」へと出展するケースもある。また従来ではアニメ、ゲームなどに関する企業の出展が中心となっていたが、2012年夏のC82にグーグルが、同年冬のC83にマイクロソフトが出展すると、これまで企業ブースでは見られなかった一般的な企業・団体が出展するようになり、中には雪印メグミルク(雪印コーヒー)、サントリーフーズ(オランジーナ)、日本国際映画著作権協会(NO MORE 映画泥棒)(いずれもC84〜)、ディズニー(C85、『エンダーのゲーム』のPR)、本田技研工業(C86)といった多様な企業がプロモーションの場として活用している。C87ではNHKが初の出展を行った。会場利用の面でも企業ブースへの来場者が増えたことから2008年夏のC74より、安全面を考慮し西地区4階フロアを全面的に企業ブースとして使用し屋上展示場を来場者待機場所に変更、従来まで屋上展示場を使用していたコスプレ広場を北コンコースレストラン街そばの庭園に移転、同年冬のC75からは庭園と1・2日目は屋外展示場、3日目は屋外展示場が駐車場として占有される代わりに企業ブース待機列が少なくなる屋上展示場を開放して併用する形となる。その後ブリッジの慢性的混雑緩和のため東1ホールと西1ホール間の公道を試験的に通行出来るようにし、その後本運用するようになった。2012年冬のC83からはコスプレ広場を「コスプレエリア」と名称変更し、トラックヤードやエントランスプラザもコスプレの場として開放、さらに2014年夏のC86からは屋外展示場を全日使用開始体制を取ったが、3日目にトラブルが起きたため、念のために確保していた有明西ふ頭公園を急遽使用し、続くC87では正式にコスプレエリア化した。また2009年夏のC76では会議棟の国際会議場でシンポジウムやステージイベントを開催、ついに東京ビッグサイトを全面使用する体制となった。2016年夏のC90では2020年の東京オリンピックに向けた西ホール拡張棟建設開始や企業ブースの慢性的な混雑に伴い、企業ブースを西地区1階に移動して会期を最終日を削減した2日間のみにし(2日目の企業ブースは16時で終了)、サークルの配置も西4階も含めて変更したほか、ビッグサイト前交差点の横断も可能にし、庭園と東4・5・6ホールトラックヤードへのコスプレしたままでの行き来や、東京臨海広域防災公園で2014年冬のC87から併催されている「有明防災フェア」へのコスプレでの来場(実質的なコスプレエリアとしての使用)が可能となった。企業ブース出展期間が短縮された件に関しては、売上面では「初日で6割、2日目で3割」と言う状況から「大きな問題はない」と見る一方、プロモーション面では「コミケは体験する楽しみもある。最終日のダラダラ感も大事」「業界関係者が一堂に会しての意見交換をする時間がなくなる」などの指摘も見られ、これに関連して「出展企業も手慣れてしまい、サプライズがなく、プロモーション効果も弱くなっている」とマンネリ感に陥っている事や、「(個人サークルとして一般ブースに出展した)T.M.Revolutionの西川貴教に対抗し得る、パワーのある作品を生み出せていない」と言う手厳しい意見も見られる。続くC91では東地区に新たに完成する東7・8ホールの使用を開始する予定となっている。2013年夏のC84において、2日目の東ホールにてコミケに訪れた大勢の来場者達の身体から発せられた汗などの水分によって水蒸気が発生し、ホールの天井付近に溜まっていった水分が会場内の空調(冷房)によって冷却された結果、水蒸気が凝結して室内に白い霧のようなものが発生する現象(通称「コミケ雲」)が発生した。この現象は晴海時代にも目撃されているが、有明では近年においてはこれが初めてとなる。現在では、コミックマーケットは一般化も進み、参加者数は50万人を超え、サークル参加者も急増している大イベントとなっている

出典:wikipedia

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