鋼索線(こうさくせん)は、神奈川県足柄下郡箱根町の強羅駅と早雲山駅とを結ぶ箱根登山鉄道の鋼索鉄道(ケーブルカー)である。駅ナンバリングで使われる路線記号はOH 。一般には箱根登山ケーブルカーと呼ばれている。箱根観光の旅客輸送を担う。関東では最も古いケーブルカー路線である。小田原電気鉄道では1911年に強羅の土地を取得し、旅館や別荘地として販売を行っていた。しかし、この地域の傾斜がきついため、この別荘地内の居住者の便を図って鋼索線を建設することになったもので、同時に箱根回遊コースの一環として敷設されたものである。1912年に敷設免許を申請し、1915年4月23日に免許が下りている。しかし、登山鉄道の工事が優先されたため、建設に着手したのは登山電車の開業後の1921年であった。軌条・車両・巻上げ装置など、一切の装置をすべてスイス製から現物を輸入したもので、同年12月1日に開業した。日本においては1918年に開業した生駒鋼索鉄道に続く2番目の鋼索鉄道で、関東では初の鋼索鉄道である。1922年7月1日には、下強羅駅を強羅駅に改称した。1923年9月1日の関東大震災においても軽微な被害で済んでいるが、復旧工事は後回しとなり、運行が再開されたのは翌々年となる1925年3月21日であった。1926年7月10日、上強羅駅(初代)を早雲山駅に改称した。1928年1月1日付けで、小田原電気鉄道は日本電力に合併となったが、同年8月16日には軌道線・鉄道線とともに箱根登山鉄道に分離された。第二次世界大戦に入り、不要不急路線として施設をすべて撤去して供出することになり、1944年2月10日限りで運行を休止し、施設については早雲山駅の建物を除いた施設一切を産業設備営団に売却、撤去された。戦後、運行を再開したのは1950年7月1日からで、同日から運行を開始した同社の早雲山と湖尻を結ぶ路線バスによって、自社の路線のみによる芦ノ湖までのルートを形成することになった。1951年5月1日には、早雲館駅を上強羅駅(2代目)に改称した。その後、鉄道線が3両編成化されたことに伴い、本路線も輸送力増強を行なうことになり、1995年3月16日よりスイス製の車両による2両編成での運行が開始された。この置き換えに際し、それまで987mmであった軌間が983mmに改軌された。運行開始当初の車両は、歴史節で述べたようにスイス製で、フォードベルン社の車両であった。戦後の運行再開時に車両も2代目となり、1971年3月20日からは3代目の車両が運用を開始した。その後、輸送力増強のため、1995年3月16日から2両編成・冷房付きとなったケ100・ケ200形車両に置き換えられた。鋼索線(ケーブルカー)では、強羅駅・早雲山駅において「箱根八里」の発車メロディが使用されている。
出典:wikipedia
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