浅草松竹演芸場(あさくさしょうちくえんげいじょう)は、東京浅草の通称「公園六区」と呼ばれた歓楽街に存在していた演芸場。松竹直営。落語定席ではなく、軽演劇と色物芸人(落語家以外の演芸人の通称)主体の興行を行っていた。軽演劇を主体に、合間に色物が入る番組構成。昭和30年代は演歌なども入り、演劇もブームとなった女剣劇の一座が出演していた。軽演劇の一座は複数劇団が交互に出演していたが、トリはデン助劇団の芝居であった。昭和40年代に入ると演芸ブームもあってコントや漫才、漫談などが増加。とりわけ漫才協団(現・漫才協会)はこの劇場を本拠地としていた。昭和50年代になると軽演劇は上演されなくなった。漫才ブームの終息と共に客足が鈍り閉鎖されたとされているが、実際の興行成績は終始黒字のままであり、この時期における松竹の演芸部門は大阪道頓堀角座の方が悪化していたという。実際の閉鎖理由は「再開発」ではあるが、建物取り壊し後敷地は松竹の手を離れ、TOCの手による再開発ビルが建っている。なお、落語はほとんど上演されなかったが、昭和20年代は5代目古今亭今輔の口利きで今輔門下の噺家見習いが前座扱いで開口一番を務め、修行していた。
出典:wikipedia
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