野付郡(のつけぐん)は、北海道(根室国)根室振興局の郡。以下の1町を含む。1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町から別海町の一部(走古丹・奥行・上風連・矢臼別・泉川および本別海・別海・中西別・西春別の各一部)を除き、標津郡中標津町の一部(協和・豊岡および俵橋の一部)、標津町の一部(茶志骨)を加えた区域にあたる。江戸時代の野付郡域は、松前藩によって開かれたネモロ場所に含まれた。江戸時代後期、野付郡域は東蝦夷地に属していた。南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え1799年(寛政11年)野付郡域は天領とされた。1821年(文政4年)に一旦松前藩領に復したものの、1855年(安政2年)再び天領となり西別川の古川の河口からチャシコツ、ここからシカルンナイまでを結んだ線以南(野付郡域)を仙台藩が警固をおこない、安政6年の6藩分領以降の野付郡域は仙台藩領となっていた。1858年(安政5年3月)に漁場請負人藤野四郎兵衛が野付半島龍神崎に大綿津見神を奉斎したのが野付神社の創祀と伝わる。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して野付郡が置かれた。
出典:wikipedia
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