北区(きたく)は、東京都の特別区のひとつ。旧武蔵国豊嶋郡(北区、板橋区)。郵便番号(上3桁)は、114・115。2005年に夜間人口(居住者)は330,345人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は307,317人で昼は夜の0.93倍の人口になる。通勤者で見ると区内から区外への通勤者は100,120人、区外から区内への通勤者は76,299人と労働人口の移動は区内から区外へ出る通勤者のほうが多い。東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行136,137ページ 国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に誤差は生じる)東京23区の北部に位置し、東西に約2.9km、南北に約9.3kmと南北に細長い形状で、面積は20.59平方キロメートルと東京23区中第11位。北は荒川および荒川放水路を隔てて埼玉県川口市、戸田市に、東は荒川区と隅田川を隔てて足立区に、西は板橋区に、南は文京区、豊島区に接する。尚、区南端から台東区の区界までは100m程の近距離にある。田端の大部分と中里の一部はJR山手線の内側に位置する。都県境に接しつつ山手線内のエリアを共有しているのは、23区では唯一である。明治通り、環七通り(東京都道318号環状七号線)、環八通り(東京都道311号環状八号線)、中山道、本郷通りという幹線道路が通っており、都心へのアクセスは比較的便利である。また、JRの駅数が23区中で最も多く(10駅)、区内のほとんどの住宅地が駅からの徒歩圏内にある。北区は地理的に概ね、東北本線を境に南西側は武蔵野台地の北東端にあたり、北東側は荒川の沖積平野にある。行政の成り立ちから、王子地区、赤羽地区、ならびに滝野川地区に区分されている。当区は、練馬ナンバー(東京運輸支局)を割り当てられている。(2016年6月23日現在)北区区議会議員の年収は、議長1106万円、副議長950万円、委員長789万円、副委員長757万円、議員737万円である。これに政務活動費など各種手当が加えられる。その額は年200万から300万円前後である。区議会議員選挙は平成23年4月24日に行われたが、有権者数26万9306人に対して投票者数13万4000で、投票率は49.76%である。当選者の得票数は、最高5282票、最低1778票である。任期は平成27年4月30日までである。次の区議会議員選挙は、平成27年4月26日に行われる。定数は、44人から40人に削減される。定数40人に対して立候補者数は、50人である。立候補すれば80%の確率で当選する計算になる。以下3市と交流を有する。1995年(平成7年)10月には3市と災害時相互応援協定を締結。1997年(平成9年)4月19日に「北とぴあ」において3市との友好都市交流協定の調印をおこなった。行政の中心は王子だが、交通機関のうち特に鉄道は赤羽に一極集中している(京浜東北線、埼京線、湘南新宿ライン、宇都宮線、高崎線、地下鉄南北線、埼玉高速鉄道線)。その他にも、山手線の走る田端、下町情緒あふれる十条、高級住宅地の西ヶ原などがある。なお、都営地下鉄三田線、日暮里・舎人ライナーもわずかに区内を通るが、いずれも駅はない。※かつて所在していた大学※かつて所在していた専門・専修学校※かつて存在していた高等学校※かつて存在していた中学校※かつて存在していた学校※かつて存在していた小学校北区における工産の発端は、江戸幕府末期に滝野川反射炉が、現在の醸造試験所跡地公園の場所に設営されたこととされている。また、この反射炉(大砲工場)の建設が、北区が明治期より昭和中期に至る時期に軍都となるきっかけになった。この滝野川反射炉への用水の供給を目的に掘削された、王子分水の水力が利用できることから、王子地区に鹿島紡績所、王子製紙が明治初期に開設され、この出来事が昭和中期までに紙業・食品製造業などの消費材生産業が発達する先駆けとなった。※北区、板橋区、足立区などのエリアには、関連の事業所が集積されている。
出典:wikipedia
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