光が丘(ひかりがおか)は、東京都練馬区にある地名。一丁目から七丁目まである。郵便番号は、179-0072。2010年(平成22年)2月1日現在、地域の人口は28,977人(平成5年ピーク時は世帯数12,352、人口38,171人)。光が丘(ひかりがおか)は練馬区北部に位置する新興住宅地と公園の総称である。
多くの団地が建ち並び、中心部には光が丘駅、ショッピングセンターIMAがある。団地内に多くの公園が点在し、光が丘駅北側には都立光が丘公園が位置する。光が丘公園は都内でも有数の面積を持ち、公園中に図書館、体育館、テニスコート、野球場を備えるなど人々の憩いの場となっている。都営地下鉄大江戸線が全線開通してからは新宿・青山・六本木・汐留・大門などの都心部へも電車一本で行けるようになった。南北方向に長大な区域のため、居住区域によって利用可能な駅は異なる。光が丘駅を中心に、大江戸線の練馬春日町駅、東武東上線の成増駅・下赤塚駅、東京地下鉄有楽町線・副都心線の地下鉄成増駅(旧:営団成増)・地下鉄赤塚駅(旧:営団赤塚)・平和台駅、西武池袋線の練馬高野台駅が徒歩・バス等で利用可能である。また、長距離にはなるが国際興業バス練馬営業所が光が丘駅より平和台駅経由池袋駅東口行のバスを運行しており、光が丘団地の中を大回りしている事から使い勝手が良い。池袋駅及びその先の副都心エリアへは必ず乗換を伴う事から、それらを嫌う住民が多く利用している。埼玉県との境界が近く、いずれも光が丘に接してはいないものの付近には主要幹線道路が複数ある。北側に川越街道、西側に笹目通り、南側に目白通り、南東方向に環八通りがある。また、環七通り、関越自動車道練馬IC・東京外環自動車道大泉JCT、新大宮バイパスが比較的近い。交通の面で現在は鉄道、道路共に比較的便利な街である。しかし1990年頃までは都営大江戸線、西武池袋線練馬高野台駅が存在せず、また道路も東京外環自動車道全線と環八通りの一部区間が未開通で、さらに環八通りは井荻トンネルも未完成で西武新宿線との交差で常に大渋滞が起こり、便利とは言い難かった。元は武蔵国豊島郡上練馬村田柄、高松および下土支田村(土支田)にまたがる地区で、広大な農地だった。地区の中央部である、現在の地域医療振興協会練馬光が丘病院(旧・日本大学医学部付属練馬光が丘病院)付近には、西から東へ田柄川(江戸時代は土支田川と呼ばれる)および田柄用水(現在の光が丘第二アパート付近の分水堰で田柄川と分水)が流れ、流域の東部に水田が、北と南の一部には、練馬大根の畑があった。地区の北西部(ふれあい橋周辺)は、盛岡藩抱地(かかえち)で南部山と呼ばれる畑山があった。曲がりくねった農道と、屋敷森が随所に見られる農村地帯で、成増飛行場建設直前には、約80世帯が居住していた。成増飛行場建設までは、以下の神社や道路があった。練馬区のイメージである「緑と太陽のまち」にちなんで名付けられた。緑が丘・緑台・青葉台・若葉台・光が丘の五つの候補があった。地租改正後の記録として残る小字は以下のとおり。左が現町名、右が小字名である。光が丘パークタウン(ひかりがおかパークタウン)は、光が丘の多くの部分を占める集合住宅街。光が丘団地ともいう。都市再生機構 (UR) と東京都住宅供給公社 (JKK東京) の分譲・賃貸住宅で構成され、一部板橋区に属している。光が丘一丁目から光が丘七丁目までが存在し、小学校は5校、中学校が4校、都立高校が1校ある。いずれは、老人ホームになることを視野に入れて建設されている。ごみ処理場の廃熱を活かした、地域熱供給も導入されている。光が丘の65歳以上の人口(高齢人口)が占める割合(高齢者化率)は14%と、全国平均の20.04%と比べれば低めである。しかし、光が丘における非高齢人口に占める60-64歳の割合は9%、55歳-64歳だと22%になり今後5-10年の間に高齢化率は大きく上がってゆく可能性が高い。現に団地が分譲されたのが他より5年程度早かった光が丘五丁目の高齢化率は51%にまで達している。ただし賃貸住宅が多い丁目は高齢化率は低いので、高齢化は場所によって大きく異なってくることが予想される。一つの原因としては、光が丘団地は1980年代に新造され、当時20〜30代の若いファミリー層が一気に移り住んできた背景にある。当時、多くの子供を抱え入居し、その後子供が成人し、親の手から離れ独立、結局、両親のみがそのまま光が丘団地に居住し続けて今に至っているケースが多い。光が丘団地は、都営住宅など比較的住居費が安いアパートが多く、また都営住宅は基本的に給与によって住居費も変動する。息子娘が社会人になると世帯所得で住居費計算されるため、子供達がその場に留まると高額な住居費になるか、最終的には収入超過で退去の対象となる。よって、社会人となった子供たちは光が丘団地を離れざるを得ない。定年を迎え年老いた両親は年金生活に入り、さらにつましい生活になるが、年金生活になることで、現役時より更に住居費用が安くなり、結果的に、高齢により転居をすることが体力的にしんどくなることに加え、前述のような公営住宅における住居費の恩恵を受けることで、より高齢者が光が丘団地で定住化するという構図が浮き彫りになる。光が丘各小学校中学校の急速な統廃合は、このような光が丘団地における高齢者の定住化と、子供達の流出によって起こされたものでもある。また、高齢者の定住化は、新しいファミリー層の入居を阻害する要素にもなり(一等地にある都営住宅なため、依然として入居競争率は高い)、学校の統廃合はいよいよ必然となった。一方で、近年光が丘の急速な高齢化を懸念して、各アパート自治体は、集会場で老人会を開催したり、孤独死対策、急病人が生じる事を懸念し、定期的な部屋の巡回、呼びかけをするなど、高齢化対策が次第に活発化している。光が丘団地が造成された1980年代と現在を比べると、子供たちの遊び声は少なくなり、団地の至る所に老人が増え、団地全体がひっそりとした空気に包まれつつあるのは否めないが、これは光が丘団地に限ったことではなく、多摩ニュータウンなど大規模な団地群で、造成後長期経過した場所では一様にみられる現象である。各丁目の高齢化率光が丘には町内会・自治会にあたる東京都練馬区光が丘地区住民組織連絡協議会(略称:光連協)という住民組織が存在する。賃貸住宅の自治会と分譲住宅の管理組合計35団体が加盟し、総世帯数は12157世帯(2006年6月24日現在)に達する光が丘地区最大の住民団体となっている。この規模は通常の町内会・自治会等と比べてかなり巨大な部類に属する。光連協内部は自治会(賃貸住宅)が加入する自治会部会と管理組合が加入する管理組合部会に分けられ、それぞれの固有の問題が扱われている。他にも防災対策専門委員会や自転車問題専門委員会など光が丘地域の問題に密着した専門委員会も六つ設けられている。
出典:wikipedia
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