広州市(こうしゅうし、、、、)は、中華人民共和国広東省に位置する副省級市で、広東省人民政府が置かれる省都。広東省のみならず、華南地域全体の経済、文化、教育、交通などの中心都市の一つであり、国務院により、の一つに指定されている。2010年の常住人口は1,270万人、市内総生産は1兆0604億元(約13兆円)であり、昔から羊城と愛称され、花城、穂城の名もあり、穂()と略称される。地下鉄、高速道路網が発達している。2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第66位の都市と評価された。中国本土では北京市、上海市に次ぐ第3位である。古代の百越の地。秦の始皇帝が中国を統一して現在の広州に南海郡番禺県を設置したのが始まりである。秦帝国の崩壊後、漢人官僚・趙佗が南越国を樹立して自立したが、前漢の武帝によって滅ぼされた。漢代には交州に属し、三国呉が広州を分置した。古代から中国の南海貿易の中心地として発展し、唐代半ばの741年には最初の市舶司が設置され、多数のイスラム教徒やユダヤ人やゾロアスター教徒が訪れ、外国人居留区である蕃坊もおかれたが、アブー・ザイド()の『東邦誌』によると878年のでコミュニティーが消滅した。唐末の黄巣の乱に際して襲撃を受けて多大な打撃を受けたが復興し、五代十国時代には南漢王国の首都となった。海禁政策を取った明代でも広州は南海諸国の朝貢船入港地となり、清代半ばの1757年からは広州のみが対外開放されて欧米諸国と広東貿易が行われた。この構図は近代に入り西欧列強の圧力に屈するまで続く。阿片戦争中の1841年には一時イギリス軍に占領され、1911年には孫文が広州蜂起を行い、辛亥革命の先駆けとなった。袁世凱の没落後、孫文は1921年に越秀山南麓で非常(時期)大総統に就任した。1924年には軍閥割拠の中国を統一するため国共合作を行い、黄埔軍官学校を設立、蒋介石が校長となり、周恩来が政治部主任を務めた。この時期には毛沢東も農民運動講習会をこの地で開催している。孫文没後、蒋介石の国民党は共産党と決裂し、1927年共産党は広州コミューンを樹立したが、間もなく国民党軍の攻撃を受けた(広州起義)。蒋介石は1928年に首都を南京に移転している。1938年日本軍が占領。終戦まで占領状態が維持される。中華人民共和国成立後も香港に近い広州は中国の対外貿易港として機能し、毎年春秋には広州交易会(カントン・フェアー)が開催され続けている。1979年、鄧小平が対外経済開放政策を取ると、・珠海の経済特区を経済圏に収める広州は経済的に急速に発展を遂げた。しかし、多数の人口が農村から流入し、治安の悪化が社会問題となっている。広州は珠江デルタ地帯の北部、西江、北江、東江の合流地点に位置する港湾都市である。海からは虎門を入り、獅子洋を遡る。隣接する行政市は仏山市、東莞市、中山市、清遠市、恵州市である。中国の気候区分による南亜熱帯海洋性季風気候であり、年間平均気温は摂氏22.4度、最も暑い7月の平均気温は摂氏28.9度、最も寒い1月の平均気温は13.9度である。年間降水量は1,801.4ミリメートルであり、年間日照時間は1,538.8時間である。最高気温極値は摂氏39.1度。最低気温極値は摂氏0度。11区を管轄する。2005年に東山区(越秀区へ編入)・芳村区(茘湾区へ編入)を廃止するとともに南沙区・蘿崗区を新設した(「十区二市」の総数に変化はない。同時に一部の区において境界線も変更された)。2014年2月12日,黄埔区、蘿崗区を廃止するとともに黄埔区を新設した;県級市従化市、増城市を廃止,従化区、増城区を新設した。今回の行政区域を調整した後、広州市の行政区域の面積は上海市を超え、中国で一番広い都市になった。広州市の2012年の市内総生産は1兆2303億元であり、上海市、北京市に次ぎ、中国大陸で3位の都市である。特別行政区である香港と密接な貿易関係にある広州市はなどともに中国では比較的裕福な地域である。「食は広州に在り」といわれる広東料理の中心地。香港の方が洗練されているかもしれないが、歴史的には広州が本場である。朝などに、点心を食べながら喫茶する飲茶の習慣がある。現在は、中国各地の料理店も林立しており、ハンバーガー、フライドチキン、ピザなどの欧米系ファストフード店やコーヒーショップ、香港風の茶餐廳、回転寿司店なども多い。共通語である普通話も通用しないわけではないが、広東語使用の中心地であり、広州方言(広州話、広府話)は広東語の標準として扱われる。中国国内の他の地域と同様に簡体字を用いるが、香港の影響を受けて、一部で繁体字を用いようとする傾向が強い。広東語を話す地元住民の間で、普通話に対する反発が広がっており、1997年の中国への返還以後急速に標準語の普及が進む香港でも同様の反発が起こっている。ただし広州市自体が移住制限を設けていないため、他省からの移住者が実質市内人口の約半数を占めるようになり、普通話しか話せない者が増加の一途をたどっている。上海語の事例同様、普通話一辺倒での教育により、両親が広東語話者でも子供は普通話しか話せないケースが増えている。それに対し、学校教育側で広東語の時間を設けるなどし、広東語離れに歯止めをかけようと試みている。2010年7月25日には広東語擁護を求める抗議集会が開かれ、広東語を話す地元住民2000人以上が参加、8月1日には広州と香港でほぼ同時に広東語擁護を求める住民デモが行われたが、どちらも警察隊によって解散させられた。詳しくは広東語の項を参照。広東語による伝統劇、粤劇が伝えられている。広東語による現代話劇も演じられることがある。2006年レスリング世界選手権、第49回世界卓球選手権団体戦(2008年)が開催された。2010年11月12日から11月27日までアジア競技大会が開催された。広州市を本拠地とするスポーツチームには次のものがある(所属リーグは2012年時点のもの)。「羊城八景」は広州市の中で著名な8景観を指したもので、2002年に選ばれた新八景は以下の通り。広州は以下の都市と姉妹都市である。
出典:wikipedia
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