サヨナラゲーム(英:walk-off/ウォーク・オフ)とは、野球およびソフトボールで「後攻チームが、最終回または延長回の攻撃において、決勝点を上げると同時に終了する試合」を指す俗語である。勝利チームの攻撃で試合が終わる事から、「さようなら」を略して「サヨナラ」と呼ばれる。野球やソフトボールでは攻守交替が明確になされるため、両チームの攻撃回が同数となるのは自明である。ただし、最終回の表が終了した時点で後攻チームが勝ち越している場合にはその勝利が決しており、もはやその裏の攻撃機会を与える必要がない。ゆえに最終回の裏の攻撃は、最終回の表が終了した時点で、同点もしくは先攻チームが勝ち越している場合にのみ行われる。また延長回においては、各回の表が終了した時点で後攻チームが勝ち越していることはありえず、攻撃回数の公平を図るため裏の攻撃は当然に行われる。こうして行われる最終回または延長回の裏の攻撃において、後攻チームが勝ち越し点を奪えば、先攻チームに新たな得点機会がない以上、その時点でゲーム(試合)の勝敗が決するが、これを俗にサヨナラゲームという。したがって、サヨナラゲームは必ず後攻チームの勝利になる。このように、最終回または延長回の裏に後攻チームが勝ち越し得点を挙げたその時点で(フェンス越えの本塁打の場合は、打者が本塁に生還した瞬間に)、回が完了していなくても試合終了となる。もっとも、守備側にアピールプレイの権利があり決勝点が無効となる可能性がある場合には、真の試合終了はアピールプレイの権利喪失後(守備側がフェアフィールドから出た後)になされる必要がある。さらには、アピールプレイの権利がある場合にのみ試合終了の宣告を遅らせるとすれば、守備側にアピールプレイの存在を示唆することになり、公平を欠く。したがって、アピールプレイの権利の存否に関わらず、球審は走者の本塁生還後に得点を宣告するのみであり、試合終了の宣告は守備側が引き上げた後となる。プロ野球の場合、ルールによりホームチーム(主催球団、本拠地で試合をするチーム)は試合開始時点で守備に付く事になっているが、これはサヨナラゲームの可能性がある為だと言われている。なお、コールドゲームの場合には、最終回で後攻チームが決勝点を奪ってもサヨナラゲームとの呼び方はしない場合が多い。また、点差コールドが設定されていて、当該回裏の攻撃中にその適用要件を満たした場合(例えば、5回10点差コールドとなる試合の5回裏攻撃中に10点差開いた場合)の試合打ち切りについても同様の方式を準用することが多いが、これもサヨナラゲームとは呼ばない場合が多い。スコアのランニング表示では、最終回裏の得点表記の後ろに「x」印を付ける。また、チームの総得点で勝利チームの得点の横に「x」印をつけることもある(例:1x - 0)。もともとこの「x」印は、最終回の表終了時に後攻チームがリードしておりその裏を行わない場合、最終回裏のスコアボードに付ける(ことが多い)印であり、「裏の攻撃が行われていないが、試合が終了した」ことを意味する。サヨナラゲームの場合に得点表記の後ろに「x」印をつけるのは、ここから派生し、「裏の攻撃が途中のうち(第3アウトが成立する前)に試合が終了した」ことを意味すると考えて差し支えない(コールドゲームの場合でも、そのイニングで第3アウト成立前に打ち切られた場合はそれが付けられている)。サヨナラゲームの決勝点を挙げたプレーにも、しばしば「サヨナラ」が冠せられる。例えば「サヨナラヒット」「サヨナラホームラン(本塁打)」のように用いられる。「サヨナラエラー」、「サヨナラ暴投」、「サヨナラ押し出し」「サヨナラボーク」などというように、守備側のミスによってサヨナラゲームとなる場合もある。なお、「サヨナラ内野ゴロ」、「サヨナラスクイズ」というものは(記録の上では)存在しない。例えば一死三塁で内野ゴロを打ちその間に三塁走者が生還した場合、通常は「1打数0安打1打点」であるが、その得点がサヨナラの場合は打者走者のアウトは勝敗に関係ないので、タイミングによらず安打(適時打)と記録され「1打数1安打1打点」となる(これは、通常なら野手選択(フィルダースチョイス)となるような、本塁に送球したが間に合わなかった場合においても同様である)。また、この時仮に三塁走者以外の走者や打者走者をアウトに取っていたとしても記録されず、投手の投球回にも含まれない。ただし、守備側のエラーがあった場合を除く(本塁に送球すればアウトを取れたが、ボールをジャッグルした、悪送球となった、捕手が落球したなど)。このルールはプロ野球では明文化されており、明文化されていないアマチュア野球においても準用されている。英語では、打たれた投手が歩いて引き揚げる様から、"walk-off"が使われる。「サヨナラ勝ち」はwalk-off win、「サヨナラ負け」はwalk-off loseである。「サヨナラヒット/本塁打」に相当する語はwalk-off hit/home runなどと言う。またアメリカ・メジャーリーグの実況では、通常の本塁打の際にも、日本語のを受けて「Sayonara!」と叫ぶことがあるが、アメリカでは本塁打の際にスタンドに入る打球を見送るという意味で「Good-bye homerun」(「入った! ホームラン!」というニュアンスに近い)という表現が使われるため、それと同じ意味合いで使われることがほとんどである。通常の試合は、敗戦チームの攻撃終了で試合終了となるが、サヨナラゲームでは勝利チームの得点で試合終了となるため、劇的な印象を与える。そのため、サヨナラゲームに関しては、様々な逸話が残されている。代打逆転サヨナラ満塁本塁打の事例については後述10月2日、後楽園球場での東京セネタース対ライオン軍戦において、初回ライオン先頭打者坪内道則が東京セネターズ先発金子裕から初球本塁打を放つ。試合はその裏東京セネターズが1点を返し、そのまま同点で迎えた延長10回裏、東京セネターズの代打浅岡三郎がライオン菊矢吉男からサヨナラ本塁打を放ち4対1で東京セネターズが勝利する。先頭打者初球本塁打で始まり、サヨナラ本塁打で終わった最初の事例となった。川崎徳次は宇佐美徹也の「プロ野球記録大鑑」でも珍記録に度々縁がある選手として紹介されており、サヨナラゲームにおいても勝った方と負けた方で記録を作っている。10月24日の阪神軍対南海軍戦において、1対1で迎えた11回裏満塁の場面で、投手の川崎が三輪裕章に投じた4球目の際、三塁走者の御園生崇男が本盗を決めて、サヨナラ勝利しているが、投手によるサヨナラ本盗は日本プロ野球史上初となった巨人に移籍しての5月29日、読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ戦において12対11で巨人リードの9回裏、無死一塁の場面で巨人はリリーフに川崎徳次を送るが、その初球を中日の杉山悟が2ラン本塁打を放ち、サヨナラ勝ち。川崎はこの試合の敗戦投手となり、日本プロ野球史上初となる「1球で敗戦」を記録している。西鉄に移籍しての、8月26日の西鉄ライオンズ対大映スターズでは林義一との投げ合いとなり、同点で迎えた9回裏1死から川崎が二塁打で出塁し、内野ゴロの間に三塁まで進み二死三塁とすると、宮崎要への林の初球の際に本盗でサヨナラ勝利。日本プロ野球史上2度目の投手によるサヨナラ本盗を決めており、8年前とは逆となった。なお、同年11月20日の対近鉄パールス戦の11回表に三塁走者の川崎は本盗を試みるが、これには失敗し、同イニングの裏に近鉄の坂本直留にプロ入り第1号が満塁本塁打の日本プロ野球史上最高齢となるサヨナラ満塁本塁打を打たれて川崎が敗戦投手になっている。4月27日、この日まで11連敗の洋松ロビンスは西京極球場で対巨人戦を行うが、6回まで4点リードしていたものの、7、8回に4点ずつ取られて、4点差で迎えた9回裏2死走者無しから松岡一郎の当たりもショートへのゴロで12連敗達成かと思われたが、これを広岡達郎が悪送球した事から事態が一転。広岡の再度のエラーで1点が入った後、さらに攻め立て満塁として、青田昇が笠原正行からセンターへ逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、洋松が連敗を止める奇跡的なサヨナラ勝利をおさめる。サヨナラ打の青田は日本プロ野球初となる、二度目のサヨナラ満塁本塁打を記録。またこの一打で、当時劇団「新日劇」が30周年記念行事でつけていた1万円の賞金と、雑誌「ホームラン」による賞金3000円に、ホームラン賞の200円を合わせて13200円の賞金を手にしている。青田の話ではこの時のサラリーは7500円で、それを上回る賞金を一打で獲得した事で話題となった。6月25日に行われた巨人対阪神戦(後楽園球場)は、日本のプロ野球史上唯一の天覧試合であった。9回裏、巨人の長嶋茂雄が阪神の村山実から左翼ポール際に入るサヨナラ本塁打を放った。村山は生涯「あれはファウルだった」と言い続けた。スコアは5x対4。、近鉄バファローのルーキーの徳久利明は4月23日の対阪急ブレーブス戦ダブルヘッダーにおいて、第1試合9回1死一塁の場面で初球を中田昌宏に左越2ラン本塁打を打たれて3対2で敗戦投手となっている。続く第2試合においても、5対5で迎えた延長11回裏にリリーフで登板、前試合でサヨナラ本塁打を打たれた中田に三塁打を打たれ、続く代打岡島博治の場面で徳久の投じた球を捕手がパスボールし、徳久は二試合続けてサヨナラ負けで敗戦投手となっている。この年徳久は15勝を挙げ新人王になっているが、リーグ最多の24敗も喫している。この中には3度のサヨナラ勝ちがあるが、8度に渡るサヨナラ負けもあり、うち5度のサヨナラ本塁打による敗戦は前年までの2度を更新する日本プロ野球記録となった。8月30日に行われた阪神対中日戦(阪神甲子園球場)で、阪神の江夏豊は中日の松本幸行と11回まで投げ合い、11回裏に松本から右翼ラッキーゾーンにサヨナラ本塁打を自ら放つという劇的な形で、日本プロ野球史上初の延長戦ノーヒットノーランを達成した。、クラウンライターライオンズに在籍していた長谷川一夫はこの年16年目の現役生活で、前年までに689試合を野手として出場していたが、7月11日の対日本ハムファイターズ戦、同点で迎えた9回2死一、三塁の場面で急遽登板、これがプロ入り初登板となったが、ジーン・ロックレアへの初球を中前安打され、サヨナラ負けとなった(ただし長谷川に負けはつかず)。 長谷川のプロでの登板はこれが唯一であった。8月9日の巨人対国鉄スワローズ戦(札幌市円山球場)で、同点で迎えた延長13回裏に巨人は一死一・三塁のチャンスを迎え、代打に藤本英雄を送った。国鉄ベンチはマウンドの金田正一に敬遠を指示したが、金田が速い球を投げたため捕手が取ることができず、三塁走者が生還して国鉄は5x-4でサヨナラ負けとなった。それから30年後の4月3日の横浜大洋ホエールズ対阪神戦(横浜スタジアム)で、8回まで大洋打線を0点に抑えていた阪神の小林繁は9回裏、2 - 2の同点にされた直後に大洋・高木由一を敬遠し、満塁にして次の打者で勝負しようとした。ところが小林は高木への3球目を暴投してしまったため、その間に三塁走者の生還を許し、阪神はサヨナラ負け(3x - 2)を喫し、2例目となった。1991年6月5日、横浜大洋ホエールズ対広島東洋カープ戦での出来事。また、ほぼ同一の出来事が2015年5月4日の広島東洋カープ対読売ジャイアンツ戦でも起こった。6月18日の中日対大洋戦(ナゴヤ球場)で中日・彦野利勝が大洋・盛田幸妃からサヨナラ本塁打を放ったが、一塁付近で右膝靭帯を負傷し、走塁を続けられなくなった。彦野はそのまま退場したため、山口幸司が代走として起用され、生還した。本塁打を打った打者に代走が出されたのはこれが2例目だが、それがサヨナラ本塁打であったのは日本プロ野球史上唯一の例(2013年シーズン終了時点)である。6月5日の藤井寺球場における近鉄バファローズ対福岡ダイエーホークス戦で、9回表終了時に2-8と6点差を付けられた近鉄だったが、9回裏に猛攻、7点を奪い逆転サヨナラ勝ちした。この9回裏に6点差を逆転したのは、現時点で日本プロ野球史上最大得点差の逆転サヨナラである。ダイエーは16安打で8得点したが残塁も9と多く、これが響いた。決勝点は大野久の三塁への返球が悪送球になった失策によるものである。9月20日、北海道日本ハムファイターズ対福岡ダイエーホークス戦(札幌ドーム)の9回裏、日本ハムは3点を入れて12 - 12の同点とし、なお二死満塁で日本ハム・SHINJO(新庄剛志)の放った打球は左翼席に飛びこんだ。この場面で一塁走者だった田中幸雄は、歓喜のあまり新庄を二塁ベース付近で迎え、新庄と抱き合ってその場で一回転した。だがこれによって新庄は前位の走者(田中幸)を追い越したことになってしまい、新庄にアウトが宣告され本塁打は取り消された。新庄は一塁に到達していたため記録上は安打となり、新庄のアウトより先に三塁走者・奈良原浩が生還していたのでサヨナラ勝ちは成立したが、新庄のアウトは第3アウトであるから、奈良原がこのアウトよりも前に本塁に到達していなければ、サヨナラ勝ちは成立しないところであった。スコアは13x - 12。"幻の本塁打一覧も参照。"2004年9月24日、オリックス・ブルーウェーブとの球団合併が決まり、この日の試合が本拠地大阪ドームにおいての最終試合となった大阪近鉄バファローズは西武ライオンズと対戦。試合は同点で迎えた延長10回裏1死二塁の場面で星野おさむが森慎二からライト前にタイムリーを放ち、近鉄球団最後の本拠地主催試合でサヨナラ勝ちをおさめている。9月27日に行われた、球団最終試合の対オリックス戦では負けているので、球団として最後の公式戦勝利ともなった。9月7日、横浜ベイスターズ対広島戦(下関球場)。5 - 5の同点のまま迎えた10回裏二死満塁で、横浜の佐伯貴弘は広島の永川勝浩が投じた4球目を打ったが、ファウルボールになった。このとき広島の捕手の石原慶幸のミットに佐伯のバットが当たっており、打撃妨害が認められて佐伯に一塁が与えられた。押し出された三塁走者が生還し横浜のサヨナラ勝ちとなった。6月6日の巨人対ロッテ戦(東京ドーム)。巨人の加治前竜一は試合の途中から守備で出場しており、3対 3の同点で迎えた延長10回裏一死の場面にプロ初打席が回ってきた。ロッテの投手・川崎雄介が投じた3球目を打った加治前の打球は、右翼スタンドへ飛び込むサヨナラ本塁打となった。プロ初打席で本塁打を放ったのは加治前で47人目だが、それがサヨナラ本塁打だったのは日本プロ野球史上初。日本プロ野球における『代打逆転サヨナラ満塁本塁打』は2011年シーズン終了までに8例存在する。3月25日、読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ戦(後楽園)ダブルヘッダー第2試合での出来事。6月24日の阪神タイガース対広島カープ戦で、1対0で迎えた9回裏二死満塁、阪神の選手兼任監督だった藤村富美男が自ら「代打はこのワシや」と言って打席に立ち、代打逆転サヨナラ満塁本塁打を決めた。これは藤村の現役最後の本塁打でもある。1966年8月2日の中日ドラゴンズ対読売ジャイアンツ戦(中日球場)において、中日の5対3のビハインドで迎えた9回二死満塁の場面で、三番広野が巨人堀内恒夫からセンタースコアボードに飛び込む逆転サヨナラ満塁本塁打を放っている。広野はその後この時の対戦相手の巨人に移籍しているが、1971年5月20日の対ヤクルトスワローズ戦においても、日本プロ野球史上3人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を記録している。、近鉄バファローズは6月9日の対南海ホークス戦において加藤英司が逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち勝利しているが、翌日の試合を雨天中止として、続く6月11日の同カードにおいても、近鉄は2対1のビハインドで迎えた9回裏二死満塁の場面で、代打柳原隆弘が南海の山内和宏からパ・リーグ初となる代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、2試合続けて逆転サヨナラ満塁本塁打による勝利となった6月18日、阪急ブレーブズの藤田浩雅は対南海ホークス戦(西宮)において、9回裏無死満塁の場面で吉田豊彦から日本プロ野球史上5人目となる代打逆転サヨナラ満塁本塁打を記録。同日に行われたヤクルトスワローズ対広島東洋カープ戦において、ダグ・デシンセイが同月15日の対巨人戦に続き、日本プロ野球史上5人目となる2試合連続サヨナラ本塁打を記録している2001年9月26日、大阪近鉄バファローズ対オリックスブルーウェーブ戦(大阪ドーム)での出来事。前述の北川の一打から4日後の2001年9月30日、オリックス対千葉ロッテマリーンズ戦(グリーンスタジアム神戸)でオリックスの藤井康雄が9回裏にロッテの小林雅英から放った本塁打は、「3点差」、「二死」、「代打」の3つを全て満たした逆転サヨナラ満塁本塁打であり、これは日本プロ野球史上唯一の記録(2015年シーズン終了現在)である。しかし、藤井の記録は、すでに優勝チーム決定後の消化試合であり、さらに同日は読売ジャイアンツの2001年本拠地最終戦であり長嶋茂雄の退任セレモニーと斎藤雅樹・槙原寛己・村田真一の引退セレモニーが大きく報道され、また、高橋尚子がベルリンマラソンで当時の世界最高記録を達成したこともあったため、藤井のこの一打はメディアでほとんど扱われなかった。以下「3点差」、「二死」、「代打」のうち1つだけを満たしていない例上記を2つ以上満たしていない例は多数。に開催された第32回選抜高等学校野球大会決勝戦、高松商対米子東において、1対1で迎えた9回裏、高松商の主将山口富士雄が米子東の宮本洋二郎から春夏通じて決勝戦では初となるサヨナラ本塁打を放ち、優勝を決めている。に開催された第59回全国高等学校野球選手権大会決勝戦、東洋大姫路対東邦高校で、これまた1-1で迎えた延長10回裏、東洋大姫路高校の主将安井浩二が東邦高校の坂本佳一から春夏史上2本目、夏の甲子園史上初で史上唯一のサヨナラ本塁打を放ち、優勝を決めている。に開催された第80回全国高等学校野球選手権記念大会の2回戦、豊田大谷高校対宇部商業高校戦(8月16日)では、高校野球全国大会で史上唯一の「サヨナラボーク」で試合が決着した。延長15回裏、無死満塁からの4球目を投じようとした宇部商業高校の2年生エース・藤田修平(福岡大学を経て現在は彦根製錬軟式野球部でスタッフ)は、捕手・上本達之(現・埼玉西武ライオンズ)からの意外なサインに驚き、無意識に投球動作を止めてしまう。これを見逃さなかった球審林はボークの判定を下し、豊田大谷高校の三塁走者が生還してサヨナラ勝ち。スコアは3x - 2。敗戦投手となった宇部商業の藤田はショックを隠し切れないまま、ボークの瞬間についてのインタビューには「何も覚えていません、分かりません……」と記者団に答えるのが精一杯であった。7月20日の第84回全国高等学校野球選手権大会・大分県予選2回戦、緒方工業高校対中津北高校戦で、9回表に降雨が激しくなり中津北高校の投手の制球が乱れ、既に2点をリードしていた緒方工業高校は7点を追加してスコアを14 - 5とした。このまま終わるかと見られた9回裏、中津北高校は二死満塁から適時打で2点、5連続四球による押し出しで4点、遊撃手の失策で1点、そして3点適時打で計10点を奪い、9点差をひっくり返して14 - 15xで逆転サヨナラ勝利。4月1日の第75回選抜高等学校野球大会準々決勝第4戦(再試合)、花咲徳栄高等学校対東洋大学附属姫路高等学校戦。5 -5の延長10回裏無死から先頭打者に三塁打を打たれ、その後満塁策を選んだ花咲徳栄だが、次打者の5球目に9回からリリーフした、投手・福本真史が暴投し捕手が後逸。ボールがバックネット方向へ転々とする間に3塁走者が生還し、5 - 6xで東洋大姫路がサヨナラ勝ちを収めた。なおこの試合の球審は、前述の豊田大谷対宇部商業のサヨナラボークの判定を下した林球審であった。(詳細は「花咲徳栄対東洋大姫路延長15回引き分け再試合」を参照)3月31日の第86回選抜高等学校野球大会準々決勝第4戦、桐生第一高等学校対龍谷大学付属平安高等学校戦。延長10回一死、4 - 4で走者三塁となって一打サヨナラの大ピンチに満塁策を選んだ桐生第一だが、これが裏目に出て、投手・山田知輝が緊張のあまり暴投し捕手が後逸。この隙に三塁走者が本塁を駆け抜けた。4 - 5xで敗北。7月27日の第96回全国高等学校野球選手権大会・石川県予選決勝戦、小松大谷高校対星稜高校戦で、9回表終了時点では小松大谷が8-0と大きくリードしていたが、その裏の攻撃で先頭打者から四球を挟み、本塁打を含む6連打で6点を返した。その後、2死を取られたものの2点を加え、同点とし最後はランナー1,2塁からのタイムリーツーベースで9点目を奪い、8-9xで星稜が逆転サヨナラ勝利を収め、甲子園出場を決めた。に開催された昭和十七年度全国男子中等学校体育大会野球部決勝戦、平安中対徳島商業において、7対6と平安中リードで迎えた延長11回裏、平安中の富樫淳は連投の疲れと肩痛で制球を乱し、2死1塁から4者連続四球で2点を与え、徳島商業が8対7でサヨナラ勝利を収め優勝を決めている。アメリカンフットボールで、残り時間数秒という局面で挙げた勝ち越し点が決勝点になった試合のことを、野球に倣ってサヨナラゲームと呼ぶことがある。また、その決勝点の原因となったプレイにも、同様にサヨナラタッチダウンなどと「サヨナラ」を冠することがある。また、サッカーでも、ロスタイムに勝ち越し点が入った場合「サヨナラゴール」と言われることがある。また、かつて国際ルールとして使用されていた「ゴールデンゴール」方式は日本のJリーグで「Vゴール」と呼ばれ、後に国際サッカー連盟 (FIFA)も採用したが、野球のサヨナラゲームにヒントを得たとも言われている。バスケットボールでも、試合終了と同時に放たれるいわゆる「ブザービーター」や終了間際に得たフリースローで勝ち越しまたは逆転となった場合にサヨナラゲームと呼ぶことがあり、そのゴールをサヨナラブザービーターなどと呼ぶことがある。残り時間数秒であっても、勝ち越し点を取られたチームにも得点のチャンスがあるので、その時点で負けているチームにも逆転の可能性が残されているという意味では、野球のように厳密に「サヨナラゲーム」を定義することはできない。しかし、残り時間が5秒を切っていると得点のチャンスは1度、多くても2度しかなく、しかもよほど上手くボールを運ぶか、相手が大きなミスをしない限りは得点できないので、勝ち越し点を挙げたチームはほぼ勝利を確定したことになる。劇的な得点シーンの直後に試合が終了する感覚が、野球のサヨナラゲームに似ているところからこう呼ばれていると思われる。
出典:wikipedia
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