フォアグラ()は、世界三大珍味として有名な食材。ガチョウやアヒルなどに沢山のエサを与えることにより、肝臓を肥大させて得る。フランスではクリスマスや祝い事の伝統料理(ご馳走)となる。濃厚な味であるため、フランス料理の食材の一つとなり、宮廷料理となったり、美食家、富裕層に食される。生産も消費もフランスが最も多いが、フォアグラは高級食材であり商品価値があるため、20世紀後半から生産を開始する国や地域が増えた。一方で、強制給餌(ガヴァージュ)を伴う生産方法は、欧州連合などで生産や販売を禁止する動きもある。これに対してフォアグラ生産者は、数百年前から伝わる製法であり、鳥たちに害はないとした上で、「渡り鳥なので元来栄養を貯め込むものだし、苦痛は無いし、苦痛が有ったら良いフォアグラにならない」と主張する。生産地を抱えるフランスやハンガリーは議会が生産者を保護する方向に動く。紀元前2500年頃の古代エジプトでガチョウの肥育が既に行われていた。古代エジプト人がフォアグラを求めたか定かではないが、野生状態のガチョウを観察して、肥育の技術を得たと考えられる。古代ローマ人が、干しイチジクをガチョウに与えて飼育し、その肝臓を食べたのが始まりと言われる。大プリニウスの『博物誌』によると、古代ローマでは、ガリアからもたらされたガチョウに強制肥育を施して、食材としていたことが記録されている。これにある美食家がさらに工夫を加えて、イチジクで肥育させた上に、肥大した肝臓を蜂蜜入りの牛乳に浸して調理する技法を発案したと伝えられている。ローマ帝国崩壊後にこれらの技法はいったん衰退したが、徐々に復活し、ルネサンス期にはフォアグラ生産業が定着して、食材として認知されるようになった。フランス革命前までは、フォアグラの製造にはガチョウだけではなくニワトリなども用いられたが、19世紀になると、ガチョウがフォアグラの素材の定番として定着した。ガチョウは牧草などの粗飼料で大きく育つため、古くからあまり地味の豊かでない土地で多く飼育され、またその地方では17世紀になるとアメリカ州からトウモロコシが導入されて、農業生産がようやく向上した。後述するような今日のフランスの主要フォアグラ産地は、このような地理的、歴史的条件を背景とし、ガチョウ飼育農業とトウモロコシの出会いの上に成立した。伝統的に、フォアグラ用ガチョウの肥育は他の家禽の世話と同じく農家の女性の仕事とされた。今日ではガチョウ以外にアヒルのフォアグラも作られており、野生的な味がガチョウのものと異なるものとして評価されているが、火を通したときに溶けやすいこともあって、料理法の許容範囲はガチョウのものほど広くはなく、ガチョウのフォアグラよりも安価である。なお、日本におけるフランス料理用語では野生のカモと野生のマガモを家畜化したアヒルを訳し分けない慣行であるため、アヒルも「鴨」と表記される。ロワール川の南方にある、西ゴート王国(現在のフランス西部)のアラリック2世 (484年 - 507年) は日常的にフォアグラを食べていたと伝わる。千年以上の時を経て、フランスブルボン朝・ルイ14世の頃に、宮廷でフォアグラが食されている。ルイ16世がフォアグラを好んたことで流行した。19世紀のイタリアの作曲家ジョアキーノ・ロッシーニは美食家で「ロッシーニ風」と呼ばれるフォアグラやトリュフを用いた料理を残した。フランスでは、2004年4月5日、12年ぶりに国賓としてフランスを訪れた英エリザベス女王を迎えて、大統領ジャック・シラクが主催したエリゼ宮殿での晩餐会のメニューに前菜としてフォアグラのテリーヌが出された。また、アメリカ合衆国の大統領バラク・オバマもフォアグラをディナーに用い、2013年も用いている。日本では、昭和天皇が鄧小平(中国の最高実力者、初訪日は1978年)を招いた宮中晩餐会の際、フランスのフォアグラブランドのルージエ社によると、皇室の料理長がフォアグラとペリゴール産トリュフを使った神戸牛のトゥルヌドを作り、その料理を「トゥルヌド・ジャン・ルージエ」(Tournedos Jean Rougié) と命名したという。フォアグラの生産も消費もフランスが最も多くなっている。2005年のフォアグラ総生産量は23,500トンであった。フランスはフォアグラの主たる産地である。世界のフォアグラの生産量は2000年で約1万8000トンだが、そのうちフランス産は1万5300トンにも及んだ。フランス国内では、南西部のペリゴール地方(現ドルドーニュ県)とランド県が主産地で、ガチョウと鴨の両方のフォアグラが生産されている。南西部全体での生産量は、フランスの生産量の75%を占める。また、アルザス地方のストラスブールやラングドック地方のトゥールーズも、産地としてよく知られている。また、ガチョウよりもアヒルの方が飼育が楽で、病気にも強いことから、今日では鴨のフォアグラの生産量は増加傾向にある。フランスのフォアグラ産業は、その関連事業の労働者が約10万人いるといわれる。2005年に議会がフォアグラはフランスの文化遺産だとする宣言を行うほど、熱心に生産者を保護しているが、動物愛護団体の攻撃があったり、近年では、バイオ燃料の普及でエサとなるトウモロコシなどの穀物が高騰し、生産コストがかつての10倍以上に上昇した。農家は利益を上げるため飼育数を増やしたが、経済危機が追い打ちをかけ、フランスでは採算が合わなくなって廃業する農家がでている。2013年現在、フォアグラの主要生産国であるフランスは、欧州向け以外に、中国やロシア、ブラジル、大韓民国、台湾などの新興経済発展国への輸出を行う。また、フランス観光開発機構によると、あるフォアグラのブランドは、世界120か国に輸出しているとしている。フォアグラの大産地であるフランス南西部ランド県では、その県都モンドマルサンで2年に一度、「フォアグラエキスポ」(見本市)が行われ、生産者が生産技術を展示する。また、フランス南西部のペリゴール地方にあるサルラは、フォアグラの街として知られ、2月の第3日曜に「サルラのガチョウ祭」(サルラ フェストワ:Sarlat Fest'Oie)が開催されたり、「フォアグラルート」 (la route du Foie gras) と呼ばれる、多くの農家がフォアグラを販売する街道もある。1994年には、フランスのアジャン近郊に世界初の「フォアグラ博物館」(Le Musée du Foie Gras) が開設された。2013年、ヴェルサイユ宮殿ではルイ14世の製法をできるだけ再現したフォアグラが、「Chateau de Versailles - Epicerie Fine」(ヴェルサイユ宮殿-高級食料品)と言う名で販売された。ハンガリーのドナウ川西岸(、)でも昔からフォアグラの生産が行われており、フランスなどへ輸出も盛んである。フォアグラ(肝臓)を取る前のアヒルやカモを数週間フランスで飼育するとフランス産と表示でき、フランス産と記されたフォアグラの半分以上がハンガリーで飼育されたガチョウやカモであることにより、ハンガリーは世界一のフォアグラの生産国だという者もある。2006年に欧州に鳥インフルエンザが流行した際、日本など各国がフランス産からハンガリー産に切り替え、これが世界にアピールする機会になったという。ハンガリーでは、年間2500-2600トンのフォアグラ(ガチョウとアヒル)が生産され、約20億フォリントの売上げがあり、これは鶏肉生産高の約1割を占める。また、約5,000人分の雇用を提供する産業でもある。欧州のユダヤ人は、ローマ帝国の崩壊後もフォアグラの生産に携わり、伝統を伝えた。たとえば、1581年にボヘミア皇帝(現在のチェコ一帯)の料理人がフランクフルトで出版した「新しい料理の本」の中には、「ボヘミアに住むユダヤ人たちに太らせた、3リーヴル(1リーヴル=500g)以上のガチョウの肝臓をローストした」とある。植物油が入手しにくい寒冷地では、調理油は主に動物から自給されるが、ブタからとれるラードはユダヤ人にとって禁忌であり、バターは乳製品なので肉料理を中心とした献立だけでなく、その後に食べられるデザートにも使用できない。このためカシュルートに適正なガチョウの脂肪を抽出してシュマルツとして利用した。かつてイスラエルは1940年代-1950年代にヨーロッパから移民したユダヤ人によってフォアグラ生産が行われ、生産量世界3位の国となり、600人の労働者と農夫が150の農場に働いていたが、2003年のイスラエル最高裁の決定でフォアグラ生産は禁じられることになった。近年、生産を開始した国には、ヨーロッパではベルギー、スペイン、ギリシャ。その他の地域ではマダガスカル、インド、グアテマラ、キューバ、チュニジア、タイ、中国がある。フォアグラの消費はフランスが圧倒的に多い国となっている。また、フランス国内では、伝統的にクリスマス前や年末に消費が偏る。フランスは世界最大のフォアグラの消費国であり、全世界で生産されるフォアグラのおよそ75%がフランス国内で消費される。パテに加工し甘めの柔らかいパンに塗って食べるか、ソテーして食べるのが一般的だが、トリュフ入りのパイ包み焼きのような、パイ料理の素材としてもよく使われる。フォアグラとトリュフを乗せて焼いたヒレ肉のステーキは、ロッシーニ風トゥルヌドステーキ () と呼ばれる。フランスでは、伝統的にソーテルヌなど甘口のワインと合わせる。フランスではクリスマス前になると、産地にフォアグラを買いに行く人が増える。フランス人はフォアグラを買うことに景気付けの意味合い(うまくいかない時に元気になるため)もあるという。フランスでは、クリスマスの時期の消費が全体の8割に上る。2013年現在、フランスの8割の人々がフォアグラを食す。フランス人の多くにとってはクリスマスやという新年前夜の晩餐などでしか口にすることのない珍味である。が、近年になって生産量が増加したため珍しさは薄れてきた。また、クリスマスに偏りがちなフォアグラの消費を通年消費にするために、生産業者はあれこれと販売を工夫し、消費量を拡大している。中には一年中フォアグラを賞味する地域もある。20世紀終盤から、フランス国内には自国産品以外に、東欧(ハンガリー、ブルガリア)などからの安価な輸入品が流入し、近年は中国産も台頭する。2010年上半期の貿易収支は、フランス国外からの輸入が激減した影響で、黒字額が大幅に増えた。フランス北部には「ルクルス」(Lucullos) というフォアグラと牛タンで作られる郷土料理があり、輸出も始まった。ハンガリーでは、お祝いなどにフォアグラを食す。特にフォアグラのリゾットは、ハンガリー人の大好物とされる。フォアグラのリゾットは、リゾットの本家イタリアでは、元来フォアグラを食べる習慣がなく、ハンガリー料理と言ってよいとする者もいる。日本では、定番のソテー以外に、フォアグラのとんかつ、丼、鍋、寿司などに調理する店がある。また、スナック菓子に用いる例もある。2013年現在、日本への輸入は、全てハンガリー産とフランス産で占められている。ガチョウのフォアグラの最大の輸入先はハンガリーで、鴨のフォアグラの最大の輸入先はフランスである。また、イスラエル又はユダヤ人が生産するフォアグラは質が高いため、かつてはイスラエル産も日本に輸入されていた。2013年、日経トレンディは、日本でフォアグラが目につく機会が増えたことを報じた。フォアグラは2012年頃にはジョナサンやココスなど日本のファミリーレストランのメニューにも登場した。また、居酒屋チェーンの魚民や笑笑などにもみられる。これらの現象について、消費者がアベノミクスの効果で“プチ贅沢”を楽しみたいという気分が盛り上がったからだという見方がある。また、フォアグラが安い価格帯で提供可能となったのは大量仕入れと、またフォアグラの集客効果を期待して採算はあえて求めず、他のメニューで利益を出していると説明する店もある。また、日本での価格低下について、人件費の安い中国産が入っていることを推測するメディアもある。2014年2月、日本で初めて、フォアグラの料理コンクールが開催された。この「ルージエ レシピコンクール」は仏大手フォアグラメーカー・ルージエ社 (rougié) などが「日本の料理人の腕を通してフォアグラの調理法を広めたい」と主催した。フォアグラは他の高級素材キャビアやトリュフよりも料理のバリエーションが豊富で、温かい料理でも冷たい料理でも使え、ほかの料理の調味料のような使い方も可能であり、アレンジの幅が広い。脂肪含有量が60パーセント以上といわれ、常温で放置すると柔らかくなるため、切る時や焼く時は冷蔵庫から出してすぐに行い、テリーヌなどの下処理をする時は、柔らかくして用いるとよいとされる。デリケートな調理が必要とされ、強火で調理すると脂分が溶け出したり、生の状態で放置しても脂分が部分的に溶けてしまったりする。また、品質の低いフォアグラはフォアグラ独特の香りではなくレバーのような香りしかしなかったり、何を食べているか分からない食感になったりする場合もある。真空低温調理法ともいう。フォアグラは脂肪分が多いため、そのままテリーヌなどの加熱調理を行うと、脂分が溶け出し、4割以上も目減りしてしまうという。真空調理法は、この課題の解決のために1974年にジョルジュ・プラリュにより考え出された調理法で、フォアグラをプラスチックフィルムで真空パックし、パックしたまま低温で加熱調理を行う。この方法で脂分の目減りが5パーセント程度に少なくなった。弾力のあるものを選ぶ。色は鮮やかな象牙色からやや黄色みがかった色、またはピンク色のものがよいとされる。胆汁の緑色がついているものは避ける。日もちはしないのでその日のうちに使いきるのが原則とされる。保存するときはラップで包み冷蔵庫で保管する。フォアグラの重量の約半分は脂肪だが、他の動物のレバーと同じくビタミン類やミネラル分に富む。特にビタミンAや葉酸が多い。フォアグラの期待される働き(機能)は、貧血改善、視力維持改善とされる。フレンチパラドックスという逆説に、フランス人はフォアグラなどの動物性脂肪を摂取するのに心臓病が少ないというものがある。フォアグラの生産者・ルージエ社 (rougié) は、鴨の脂には不飽和脂肪酸がオリーブオイル(植物性脂肪)とほぼ同様に、豊富に含まれていることを理由に挙げている。なお、犬にフォアグラを与えてはならない、膵炎になるからと、獣医は言う。今日フランスなどでフォアグラ用に飼育されるガチョウは「オワ・ド・トゥールーズ 」などの大型品種である。初夏に生まれた雛を野外の囲い地で放し飼いにし、牧草を餌とし十分運動させて育て、肥育に耐えられる基礎体力を付けさせる。夏を越して秋になるとなどに飼育小屋に入れ、消化がよいように柔らかくなるまで蒸したトウモロコシを、漏斗(ガヴール)で胃に詰め込む強制給餌(ガヴァージュ)と呼ばれる“肥育”を1日に3回繰り返す。職人技の手作業にこだわる農場では、餌のトウモロコシは250グラムから始め、最後に倍になるよう少しずつ増やしていく。1ヶ月の肥育で、脂肪肝になった肝臓は2kgに達するほどに肥大し、頭部と胴体を水平にする姿勢をとるようになる。この段階のガチョウを屠殺して肝臓を取り出し、余分な脂肪、血管、神経などを丁寧に除いてから、冷水に浸して身を締めたものがフォアグラである。食味をよくするために、調理の前処理でも血管や神経を除く。鴨のフォアグラ生産用には、ノバリケンを家畜化したバリケン種(バルバリー種)と、マガモを家畜化したアヒル(ペキンアヒルが好まれる)を交雑した一代雑種が好まれる。またはムーラーと呼ばれるこの雑種アヒルは、バリケン種のように大型でマガモ系アヒルのように成長が速く、しかも丈夫でおとなしいためフォアグラ生産に向いている。アヒルは、ガチョウにはない素嚢(そのう)と呼ばれる食道にある袋のような器官に餌が多量に入っていると、消化の速度が上がるという特性を持っている。そのため、人の手によるガヴァージュを行う前に10日間ほど好きなだけ餌を食べさせるプレガヴァージュを行い、効率よくガヴァージュを進める。給餌は一日2回で、期間は3週間である。また、近年では機械化された飼育場ですりつぶしたトウモロコシを自動的に与え、2週間ほどでガヴァージュを終わらせる速成法もあるが、素嚢でトウモロコシが発酵してしまうため、フォアグラの質は劣る。フォアグラ生産で最も大切な点は、ガチョウやアヒルにできるだけストレスを与えないことだという。自然豊かな場所にある農場に、広い運動場を設けることもある。また、毎日同じ人が餌を与えると、ガヴァージュのストレスが軽減されるという。フォアグラを取り出した残りの屠体には、肥育によって多量の脂肪が蓄積されている。フランスの伝統的なフォアグラ産地では残った肉はグリルや煮込み料理の他、ガチョウ自身の脂肪で油煮にして保存食料のコンフィを作る。ガチョウの血をパセリやニンニクなどと混ぜて凝固させたものはサングェットまたはと呼ばれ、ガチョウの脂で炒めて食べる。また、飼育期間の長いピレネー地方のムーラー種からは良質の羽毛が副産物として取れる。強制給餌を用いずに飼育期間を長くしてフォアグラを生産する、しばし“倫理的なフォアグラ”(ethical foie gras) と紹介される飼育法がある。スペインのが経営する農場兼レストラン、ラ・パテリア・デ・スーザ (La Pateria de Sousa) では、自然に近い飼育場で半野生のガチョウを放し飼いにし、渡りの季節にエネルギー源として肝臓に脂肪を蓄える習性を利用してフォアグラを生産している。農場から渡りに出てしまい出荷できなくなるガチョウもいるが、全体の10パーセント程度に留まるという。この方法の課題は、近年の気候変動の影響を受けてか、収穫の時期(渡りの時期)が一定しないことだという。この生産者のフォアグラは、2006年、フランスのクー・ド・クール (coup de coeur) という美食コンテストで優勝したことで注目された。この飼育法はガチョウに強制給仕をすることなく、ガチョウに自ら餌をついばませる方法であるため、飼育期間は一年かかるといわれ費用がかかるが、味などの品質に高い評価を得ているため価格は高価になる。批判の主な矛先は、上記のような伝統的な職人技の農場や、倫理的な生産法ではなく、工場化した大規模農場に集中している。ある大きな生産農場では、数千羽のアヒルが、3羽ひとまとめの狭いケージで肥育されるが、ケージは給餌作業がしやすいよう作業者の身長に合わせて地上に設置され、床にはアヒルの糞尿と食べ残しが放置されたり、飼育数が多いため、一羽一羽の健康状態にまで手が回らないと報じられる。近年は、飼育環境を改善するための対策が取られ始め、フランスの農業・農産加工業・林業省はフォアグラ生産者に対し、3羽が少なくとも動き回ったり翼を広げたりできる大きさのケージを2016年までに採用するよう求めた。強制給餌(ガヴァージュ)への批判に対しては、米国の Artisan Farmers Alliance は、鴨やアヒルは(人間と違って)咽頭反射は無く、苦も無く大きな魚を呑み込めること、独立した獣医や科学者などが害が無いと考えているなどと反論している。仏国の伝統的な生産を行う生産者は、数百年前から伝わる製法であり、鳥たちに害はないとした上で、「渡り鳥なので元来栄養を貯め込むものだし、苦痛は無いし、苦痛が有ったら良いフォアグラにならない」と主張する。今日では動物愛護や動物の権利論の高まりなどもあり、一部の国では、生産者や消費者に対する風当たりが強くなりつつある。動物愛護団体(独:Vier Pfoten、英:Four Paws、ハンガリー:Négy Mancs Alapítvány、オーストリアが拠点)の創設者ドゥングラーは、「我々の活動で西欧のフォアグラ市場はすでに崩壊寸前だ。次の標的はハンガリーなど東欧諸国だ」と2011年に述べた。欧州評議会の「農業目的で保持される動物の保護に関する欧州条約」加盟国35カ国では、フォアグラの生産は「すでに定着している場合を除き」、1999年に禁止された。イタリア、チェコ、デンマーク、ドイツ、ノルウェー、フィンランド、ポーランド、ルクセンブルクの各国とオーストリアの9州のうち6州では、「動物の強制給餌」自体が禁止されたことにより、フォアグラの生産は事実上、違法となった。ただし、輸入したフォアグラの販売は必ずしも禁止されていない。また、アイルランド、イギリス、スウェーデン、オランダ、スイスでも、動物保護法の解釈上、フォアグラの生産は違法とされた。フランス、スペイン、ベルギー、ギリシャ、ルーマニア、ブルガリアなどでフォアグラの生産は行われている。2005年度の世界生産量23,500トンの内、18,450トンがフランスで生産され、フランスが依然として一大産地である。2005年10月、フランスの国民議会の下院が農業政策に関する包括法の一部として、フォアグラは仏文化の遺産であるとした法案を全会一致で可決した。その際、フランスが世界でフォアグラの80%以上を生産していることを指摘し、保護すべき仏文化、料理の貴重な遺産であると宣言した。ガチョウやアヒルの強制肥育についても、他に方法はなく止むを得ないとして、擁護する姿勢を鮮明にした。フォアグラを文化遺産とするのは、欧州連合 (EU) の家畜保護規定が、宗教・文化的な習俗は規制対象外としていることによる、という。ハンガリー最大のフォアグラ生産会社フンゲリト社(Hungerit Zrt.: (Szentes) に本社・工場)が2008年8月末に強制給餌で飼育されたガチョウとアヒルの生産を中止し従業員200人を解雇するが、同社の労働組合は9月、解雇の原因となった動物愛護団体のフィアープフォーテンの建物前で抗議した。この動物愛護団体は2006年からフンゲリト社を攻撃し、ハイパーマーケット向けのブラックリストに掲載させ取引をしないよう呼びかけるなどしていた。労働組合はブラックリストからの削除と、生産の再開を求めた。動物愛護団体の攻勢が強まった2008年、ハンガリー議会が国内の特産物を保護する決議を採択した。これを受け、「食の伝統文化」としてフォアグラを保護し、財政支援などをする法案づくりの動きが進む。鶏肉生産者団体 (Baromfi Termék Tanács) は、伝統的なフォアグラ生産を「ハンガリーの文化」の一部として認めるよう動物愛護法を改正するよう求めた。2011年7月、オロシャザ市で、新たにフォアグラ業界団体「ハンガリー・フォアグラ協会」を設立する計画が発表され、11月9日に正式に発足した。国内の養鶏や加工、貿易、レストランなど業界全体がスクラムを組み、動物愛護団体の圧力に対抗する。トルコ、イスラエル、アルゼンチン、および米国カリフォルニア州だけである。2004年9月29日、アメリカ・カリフォルニア州では、州内で「肝臓肥大を目的とした鳥類の強制給餌」と「強制給餌によって作られた製品の販売」を2012年以降禁止する法律を成立させ、2012年7月1日から飲食店やスーパーでの提供が禁止となり、違反すれば1日当たり1000ドルの罰金が科されることとなった。このためか、禁止直前に消費が4倍に増加したり、禁止後に隣接するネバダ州でフォアグラの消費が増加した。カリフォルニアから遠出して買いにくるからだという。また、あるレストランは州政府へ抗議を込めて、フォアグラを使ったハンバーガーの早食い競争にフォアグラを販売せずに無償提供した。抗議の意味が込められたハンバーガーの名前は「Shut the Duck Up Burger」(「だまりやがれ!」という意味のフレーズの一部を“duck”に置き換えた名称)だった。また、フランスの政治家は、カリフォルニア州への報復措置として、カリフォルニアのワインを提供しないようフランスのレストランに呼びかけた。2006年4月には、イリノイ州シカゴで、市議会の決議によってフォアグラの販売が全面的に禁止された。しかしこの条例制定後、すぐに地元レストランのシェフらから猛反発を受け、訴訟にまで発展した。市民の反発があるため、取り締まりもほとんど行われなかった。市長も「シカゴ市を国中の物笑いの種にするようなもの」などと批判し、撤廃を訴えた。当時48対1の圧倒的多数で可決した同条例は、2008年5月、市議会で37対6で廃止が決まり、制定後2年で失効した。フォアグラ禁止中は、市内のいくつかのレストランがフォアグラを無料にするなど「法の抜け穴」を利用してフォアグラを提供した。こうしたレストランは、1920年-1933年の禁酒法時代に「スピークイージー」 (speakeasy) と呼ばれる場所で酒をこっそり売っていたのに因み、「ダッキージー」 (duckeasy) と呼ばれた。
出典:wikipedia
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