人海戦術(じんかいせんじゅつ)とは、兵数の優位に物を言わせて目的を達成する戦術思想をさす。戦争における一般的な人海戦術のイメージは、端的に言えば「こっちが10万発の弾丸を持っているのに、向こうは(何も考えずに)10万人以上の兵で突撃してきた。だから押し切られて負けた」という考えである。この一見原始的な戦術は、第二次世界大戦におけるソ連軍や、朝鮮戦争における中国人民解放軍が運用した、そして両軍は21世紀の現代もなおそれしかできない原始的な軍隊だというイメージが一般的である。同時にそれは、ソ連軍や中国軍、そしてソ連や中国、ひいては共産主義陣営そのものを原始的と見下す偏見と表裏一体のものであった。しかし、実際ソ連軍等のドクトリンは非常によく考えられた高度なものであった(#人海戦術の実際の節を参照)。この「蛮族は数任せの正面突撃しかできない無能、だから蛮族」という偏見と過小評価は、古代ギリシャや古代中国以来の自称文明国の悪しき伝統でもあり、太平洋戦争当時の大日本帝国陸軍は(そして日本人そのものが)欧米諸国(特にアメリカ)からバンザイ突撃しかできない「黄色いサル」と見下されていた。そしてその日本も、中国国民党軍を数だけの弱兵と見下し、中国人そのものを劣等と見下していた(そもそも、少数の部隊が孤立してしまい、優勢な敵の攻撃を受けてしまうこと自体、自称先進国側の用兵にも問題がある)。また百団大戦の各所でみられたように、堅固な陣地に対してひたすら海のように、兵隊が押し寄せる状態のことを人海戦術ととらえる向きもある。ごくわずかな機関銃陣地が、多数の歩兵の正面からの突撃を撃退できることは、第一次世界大戦で明らかになった。以後、上記の「一般的な人海戦術の理解」で描かれた戦術が成功した例はなく、撃破された例は多数ある。かわって、この大戦で編み出された歩兵浸透戦術が、以後の歩兵攻撃の常道になった。以下にあげるソ連・中国いずれの場合も、上記の「端的」な発想で押し切れるほどの兵力差はなかった。同時に複数から攻撃を受けた将兵のパニックが、敵の人海戦術という認識を生み、その認識が、自軍の敗北の言い訳に用いられたのである。ただし、戦術的には圧倒的な兵力差を持って目標を達成した例はいくつかある。第二次世界大戦におけるソ連軍は、ミハイル・トゥハチェフスキーが理論化した縦深攻撃のドクトリン(=基本原則)を持っていた。このドクトリンでは、攻撃正面を広くとり、数波に分け間断なく攻撃することで、防衛軍を全域にわたって拘束する。阻止される箇所がいくつあっても、戦力の優位によってどこかで弱点を突破できる。その後は追撃局面となり、なおも抗戦を続ける防衛軍がいれば、包囲殲滅する。このような攻撃にさらされたとき、防衛側の司令部は、予備軍を突破に備えて待機させなければならず、前線は援軍なしで戦わなければならなかった。さらに、前線の部隊は、自分の担当正面からの圧力が弱いときにも安心できず、他の部隊の戦線崩壊による孤立を恐れなければならなかった。枢軸国軍は、ソ連軍の数的優位を何倍にも増幅して感じた(また枢軸側はもともとソ連を、というよりロシア人そのものを常識が通じない劣等人種と見下し、そして常識が通じない怪物と見なして恐れていた)。このドクトリンは、大量の砲弾と多数の戦車(および理論上はさらに多数の航空機)を組み合わせ、火力と機動力と物量で敵を圧倒することを中心にしており、人の数だけで押し切ろうとするものではない。攻撃正面を絞り込まないため、不利な戦場をいくつか抱え込むことになったが、ソ連軍の考えでは、それも全体での決定的勝利のために必要な犠牲であった(「個人もしくは少数(そしてかなり多数までも)が、人民全体のために犠牲になる」のは、当時のソ連の政治思想では当然のことであった)。1950年11月に朝鮮戦争に参加した中国の人民志願軍は、北朝鮮軍を追撃して北上する国連軍(アメリカ軍主体)に対し、軽装備の歩兵を山岳丘陵地帯から迂回させる戦術を大規模に適用した。数日分の食糧を携えて山野を越える中国軍の機動は、道路輸送に完全に依存していた国連軍にとって予想外であり、戦略的奇襲となった。各所で側面や後方を脅かされたアメリカ軍は、自分たちが踏み込めない山野が中国兵で埋め尽くされていると感じ、敗走に移った。夜間行軍をともなう山岳機動を大規模に実施して成功したのは、第2次大戦後、中国大陸で武装解除した日本軍将校を招聘して人民解放軍を訓練したことにもよっている。追撃が一段落してから、1951年2月に中国軍は再び攻勢に出て、初期の浸透には成功した。しかし、取り残された防御陣地を潰す際に、結局は歩兵による正面突撃、すなわち一般的な理解での「人海戦術」をとることになり、機関銃等の重火器を備えていた国連軍の前に甚大な損害を被って失敗した。中国軍の伝統的なドクトリンは、国土防衛に重点を置いており、兵力の優位はまず自国の防衛を利するものとしている。近年の軍備近代化は攻撃能力向上を目指しているが、それはもっぱら質の向上に基づくものである。毛沢東が豪語したように、「人民の海に敵軍を埋葬する」ことが戦略としての人海戦術である。そもそも漢字での「人海戦術」という一連の用語は、毛沢東の造語であるとの説もある。具体的には日本軍を点と線に封じ込め、その周囲を積極的な浸透工作によって獲得した敵性の住民の住む領域で包囲することである。こうした敵性の地域が広がれば、軍の遊撃、ゲリラ戦なども容易になり、追撃されても分散と逃亡も容易になる。このため、日中戦争は第二次国共合作以降、まさに非対称戦争の様相を呈し始めた。そういった意味でも、「戦術」ではなく「戦略」ととらえたほうが妥当かもしれない。現在でもこうした構想はまだ踏襲されており、人民公社単位で民兵を編制した体制を維持している。外国の攻撃があった場合、人民公社単位、村単位で民兵が抵抗し、正規軍が反撃を行うのである。中国国民党側によって、中国共産党軍が平民を先頭として、国民党軍陣地につき出すことを人海戦術とも称す。転じて、他の一般の、主として単純作業を、多数の人を動員して進める事を指す(一人当たりの必要作業量が減れば、総じて費やす時間をそれだけ減らせる)。批判的には機械等の導入によって作業を合理化し生産性を向上する手法に対比して用いられる。
出典:wikipedia
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