新字体(しんじたい)は、日本において、1923年の『常用漢字表』に示された略字制定以降、1949年告示された『当用漢字字体表』などを経て現在まで正式に使用されている漢字の異体字である。新字体は、日本で第二次世界大戦後に内閣告示された『当用漢字字体表』(1949年)に掲げられている漢字の字形から抽出される標準的な字体のうち、活字の従来の習慣と異なるもの(狭義)。例えば『学』は『學』の新字体である。または、同表の字形に倣った字体を使った文書の用字法(表記の方式)を指すこともある。いずれも反対に「旧字体」という。当用漢字は原則として、印刷文字の字形と筆写文字の字形をできるだけ一致させることを目指したため、画数の多さなどを理由に必ずしも筆写に適していない従来の活字字体を、略字体や俗字体に変更させた。一方、1981年制定の『常用漢字表』(2010年改定)は主として印刷文字の面から検討され明朝体活字の一種を用いて字体例を示し、これを「通用字体」と呼んでいる。しかし、通用字体は(狭義の)新字体をすべて踏襲し、1981年と2010年に追加された字種のうち、新字体に準ずるものが採用された。さらに、1981年には、当用漢字では『燈』だった字体を簡略化し、『灯』を通用字体にした。新字体に対し、康熙字典に基づく従来の字体は、旧字体・正字体、本字体、(いわゆる)康煕字典体などと称されている。新字体は、旧字体の旁(つくり)を同音の画数の少ない文字に差し替える、複雑な部分を省略した記号に置き換えるなどの手法で簡略化したものである。公文書や新聞・書籍などでは第二次世界大戦前から一部字体が使われ、1950年代以後に全面的に新字体に切り替えられた。しかし、固有名詞は別扱いであることから人名・地名などでは旧字体や異体字の使用が継続されており、JIS漢字もUnicodeも新字体とその他の字体が並存して混乱が生じていることがある。新字体は明治期から続く文字改革の流れで誕生した。しかし、このときにすべて新しく考案されたのではなく、それ以前から広く手書きに使われていた誤字・譌字・略字を正式な字に昇格させたものが多い。漢字は字形が繁雑なため、第二次世界大戦前から筆記時には多くの略字が通用していた。現在、「門」、「第」がしばしば略字「」「」で書かれるのと同様である。また、個別に簡略をおこなったため、「しんにょう」を例とした部首の省略は「道」・「通」は簡略化されているが、「遜」・「逕」など画数が多い、あまり使われないような漢字は簡略化がなされていない。漢字の行書体及び草書体を活字体として楷書体化し、新字体にしたもの。圖→図、觀→観、晝→昼など。「門」の略字()も書き順は違うが行書に由来する。中国大陸の簡体字では略字「」を採用しているが、日本ではふつう活字においては使わない。2通り以上の字体が使われていた漢字を統一したもの。「島」の字には「嶋」、「嶌」という字体もあったが「島」に統一された(「」は本字)。手書きの形に合わせたものもある。「道」などの「しんにょう」は活字では点が2つ、筆記では1つで書かれていたため、1つに原則的に統一。「青」は「月」の部分が活字では「円」、筆記では「月」と書かれていたため「月」に統一(「円」の場合は圓と書かれていたので、月と紛れてしまうことはない)。「葛」の字はにおける字体が「」(人葛)であるが、の字体は「」(ヒ葛)である。JIS漢字の例示字体は「」であるが、Microsoft Windows Vistaにおいて「」に変更されている。「半」「尊」「平」などは「ソ」の部分が活字では逆の「ハ」となっていたが「ソ」に原則統一された。「絆」「鮃」などは現在も「ハ」の形のままであるが、筆記でこれにならう必要はない。ただし、これは徹底したものではなく、固有名詞ではある程度許容されている。「しんにょう」の「点の数」は人名など「司馬遼太郎」の「遼」や「邦生」の「」は二つ点である。また、「半」「平」が「ハ(、)」か「ソ(半、平)」かについても、「佐藤」や「加藤」の「藤」は「ハ藤(藤)」、「ソ藤()」といって戸籍では区別されている(藤については草冠の「+ +」形や月の点が斜めにうたれているケースもある)。また、新字体導入後に旧字体を意図的に使用する例もある。大相撲の元横綱曙太郎の四股名「曙」は、当初は旁の「署」に点がなかったが「『点』は『天』に通じ天下を取ってから点をつける」といい、大関に昇進と同時に「点のある『』」に改められた。眞子内親王の名前「眞子」は新字体では「真子」であるが、新字体による表記はマスコミなどではみられない。映像作家の手塚眞の本名は新字体で「真」であるが、旧字体の「眞」で活動している。その他、グループ名では氣志團、作品名では『ゲッターロボ號』『皆殺しの數學』『活動寫眞の女』『東京魔人學園伝奇』『恋愛寫眞』『惡の華』『聲の形』などで旧字体が使用されている。漢字の大半は形声文字である(指事文字や象形文字、会意文字など形声文字以外の漢字もあるが、全体の10%にも満たない)。形声文字には事物の類型を表す意符と発音を表す音符がある。「青」、「清」、「晴」、「静」、「精」、「蜻」、「睛」がみなセイの音をもつのは音符が「青」であるためであり、「清」の場合、部首の「さんずい」が意味を、「青」が音を表している。「諌(カン)」、「練(レン)」、「錬(レン)」」、「蘭(ラン)」、「欄(ラン)」、「瀾(ラン)」の音符は「煉瓦」の「煉」のように「柬(カン)」であるが、「柬」は「東」と略されている。そのため「東(トウ)」を音符にもつ「棟」「凍」とは区別がつかなくなっている。繁雑な音符をもつ漢字を、同じ音を持つ別の音符に置き換えてつくられた新字体がある。たとえば、「囲」はもともと「圍」であったが、「韋」も「井」も同じイと読む(ただし、「井」は訓)ため簡単な井に変更された。竊→窃、廳(廰)→庁、擔→担、證→証、釋→釈なども同様。なお、「魔」や「摩」を「广+マ」、「慶」・「應」を「广+K」・「广+O」、「藤」を「くさかんむり」にト、「機」を「木キ」と書く人がいるが、それもこれを応用した略字といえよう。漢字の一部分を削る。「応」は「應」と書いたが「イ隹」を削除、「芸」は「藝」であったが中間にある「」部分を削除、「県」は「縣」から「系」を削除、「糸」は「絲」であったのをひとつにし、「虫」は「蟲」をひとつにした。だが、これにより、後述の通りもとあった別字と重複したり、本来の部首まで削られたがために部首が変更されたりした漢字も数多く存在する。なかには筆画が増えたものがある。「歩」がそうであり、旧字では右下の点のない「」であった。このため、「」や「」といった字も「頻」、「渉」というように1画増やされている。「卑」「免」(四角の中から外へ線がつながるか否か)、「致」(旁が夊から攵に)、「雅」「緯」(「ヰ」の部分の左下をつなげるか否か)なども増加している。簡略化のために部首が変わった字もある。「闘」がそれであり、もともと、部首は「門(もんがまえ)」ではなく「鬥(とうがまえ)」で、もとの字体は「」である。この部首の文字には「鬨」や「鬩」などがある。現在、多くの辞書が「門」の部に「闘」を掲載している。その他にも「單」(口部)が「単」に、「學」が「学」になった例などがある。また、「声」、「医」などは本来の部首を取り除いた(「声」は「聲」から「耳」、「医」は「醫」から「酉」がそれぞれ部首である)ため辞書での扱いが変わった。多くの辞書では、「声」は「士(さむらい)」の部、「医」は「匸(かくしがまえ)」(「匚(はこがまえ)」と統合されていることもある)の部に掲載されている(が、旧字体の部首から「声」を「耳部」、「医」を「酉部」に分類する辞書も存在する)。当用漢字字体表による簡略化には部分字体の不統一がいくつか見られる。「瀧」は「龍」を「竜」に簡略化して「滝」となったが、「襲」は簡略化されていない。「獨」「觸」は「蜀」を「虫」に簡略化して「独」「触」となったが、「濁」は簡略化されていない。「佛」「拂」は「弗」を「厶」に簡略化して「仏」「払」となったが、「沸」「費」は簡略化されていない。「轉」は「專」を「云」に簡略化して「転」に、「團」は「專」を「寸」に簡略化して「団」になったが、「專」は「専」と中央部を省略したに過ぎない。さらに、部分字体の統一として異なる部分字体を同一の字形に合わせたものにも不統一が見られる。「呈」「程」「聖」などでは「壬(テイ、土部1画)」を「王」に変えたが、「廷」「庭」「艇」では「壬」のままであった。「壬(ジン、士部1画)」を部分字形に持つ「任」「妊」も「壬」のままであった。「犯」の旁の部分は「犯」「危」「腕」「範」では元のままであるが「港」「巻」「圏」では「己」に変えている。主に上記のように簡略化されているが、既にある別の字と重なってしまったものもある。新字体は、本来、当用漢字ないし常用漢字のみに適用されるものであるから表外字(常用漢字でない漢字)では今も旧字体が正式である。たとえば、「擧」は「挙」に簡略化されたが、「欅」は同じ「擧」の部分を含んでいながらも常用漢字外であるため簡略化されない。しかし、JIS漢字では表外字も広く常用漢字にならって簡略化され、「﨔」という字体もある。また、『朝日新聞』は独自に表外字の簡略化を徹底した字体に作った時期があった(朝日文字を参照)。また、灘はさんずい以外の部分が難と同じように略されていたが、JIS X 0213ではくさかんむり状の部品が「廿」の形となったものへ改められている。中国文学者の高島俊男は、筆写字(手書き文字)は文章の中の文字であり文脈で読まれるものだから他の文字と類似してもかまわないが、印刷字は一つ一つが独立してその字でなければならず、印刷字を筆写字と同じようにした新字体は間違いだったと主張している。また、高島は、印刷字を筆写字にあわせてしまったために、例えば、專は専、傳・轉は伝・転、團は団となってしまい、「專」の部分が持っていた「まるい」・「まるい運動」という共通義をもった家族(ワードファミリー)の縁が切れてしまったと指摘している。
出典:wikipedia
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